穴八幡宮

穴八幡宮

正式名称 穴八幡宮(あなはちまんぐう)
御祭神 応神天皇 仲哀天皇 神功皇后
社格等 旧村社
鎮座地 東京都新宿区西早稲田2-1-11 [Mapion|googlemap]

【由緒概要】
穴八幡宮の社伝によれば、康平5年(1062)源義家が前九年の役から凱旋の際、この地に兜と太刀を納めて八幡宮を勧請した。寛永18年(1641)別当・放生寺を造営するために山裾を切り開いたところ、横穴が現れて八幡神の本地である阿弥陀如来像を得た。この奇瑞により穴八幡宮と称するようになった。歴代将軍から江戸の庶民まで広く信仰を集め、特に冬至の「一陽来復」の御守は有名である。

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穴八幡宮の御朱印

  • 穴八幡宮の御朱印

    (1)

  • 流鏑馬神事の御朱印

    (2)

  • 例大祭の御朱印

    (3)

(1)平成17年に拝受した御朱印。揮毫は「一陽来復」。朱印は「穴八幡宮」、左下に「東京牛込高田鎮座」。

(2)平成22年に拝受した流鏑馬神事の御朱印。揮毫は共通で、朱印は流鏑馬の図に「牛込高田 穴八幡宮 神事流鏑馬」。

(3)平成25年に拝受した例大祭の御朱印。揮毫は共通で、朱印は鳥居と随神門に「牛込高田 穴八幡宮」。

昔の御朱印

  • 穴八幡宮の御朱印

昭和9年頃の御朱印。中央の朱印は「穴八幡宮」、左下の印は「穴八幡神社社務所之印」。

穴八幡宮について

名称 穴八幡宮
旧称 高田八幡宮 八幡神社 高田八幡神社 穴八幡神社
御祭神 応神天皇〔おうじんてんのう〕
仲哀天皇〔ちゅうあいてんのう〕
神功皇后〔じんぐうこうごう〕
〈相殿〉
仁徳天皇〔にんとくてんのう〕
徳川家康〔とくがわいえやす〕
宇迦御魂命〔うかのみたまのみこと〕
大汝牟智命〔おおなむちのみこと〕
福神
〈合祀〉
天照大神〔あまてらすおおみかみ〕
天児屋根命〔あめのこやねのみこと〕
木花開耶姫命〔このはなのさくやひめのみこと〕
菅原道真〔すがわらのみちざね〕
市杵島姫命〔いちきしまひめのみこと〕
鎮座地 東京都新宿区西早稲田二丁目1番11号
創建年代 康平5年(1062)
社格等 旧村社
例祭 9月13~15日(※限定御朱印あり)
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月3日/元始祭
2月節分/追儺式
2月11日/紀元節祭
3月春分/皇霊祭
4月3日/神武天皇祭
5月15日/夏祭
6月30日/水無月晦日大祓
9月秋分/皇霊祭
10月体育の日/流鏑馬奉納祭(※限定御朱印あり)
10月17日/神嘗祭
11月3日/明治節祭
12月冬至/冬至祭(※立春まで御朱印対応なし)
12月31日/師走大晦日大祓・竈神祭・除夜祭

御由緒

穴八幡宮は、社伝では康平5年(1062)源義家が凱旋の際、この地に兜と太刀を納めて八幡宮を祀ったことに始まるとする。以来、神木の元に祠が祀られていたという。

寛永13年(1636)幕府の御持弓組頭・松平直次がこの地に的場を築き、八幡宮を守護神として祀った。同18年(1641)別当・放生会寺(現・放生寺)を造営するために南側の山裾を切り開いたところ横穴が現れ、金銅の阿弥陀如来像が現れた。これによって穴八幡宮と称するようになった。因みに、放生寺の山号である光松山は、この頃、神木の松が瑞光を放ったことによる。

3代将軍・家光は当社を江戸城北の総鎮護とし、幕府の祈願所となった。歴代将軍が度々参拝し、社殿の造営・修築も行われた。特に虫封じの祈祷は、広く江戸庶民からも信仰を集めた。享保13年(1728)には、8代将軍・吉宗が世嗣の疱瘡平癒祈願のため、流鏑馬が奉納された。

また、加賀前田家も深く当社を崇敬し、金沢城内に分社を勧請した。明治初年、夢告によって石川郡野々市町に遷座し、光松八幡神社として祀られている。

赤城神社とともに牛込の総鎮守とされ、江戸時代、牛込の大半の町内は穴八幡宮と赤城神社の両社の氏子として祭礼に奉仕していたという。牛込には幕臣が多く、将軍の日光参拝に供奉しなければならなかったのだが、赤城山の神と日光山の神はたびたび戦を行い、仲が悪かったため、赤城大明神(牛込の赤城社は上州・赤城大明神の分社)の氏子が日光に参拝すると山が荒れるという伝説があった。そこで、穴八幡宮を牛込の総鎮守とすることにより、穴八幡宮の氏子という名目を立てたのだという。

また、神楽坂の名の由来については諸説あるが、『江戸名所図会』などには穴八幡宮の御旅所が神楽坂にあり、祭礼の山車がこの坂に並んで神楽を奏したことによるとある。当社の祭礼には32番の山車や練り物が供奉し、日枝神社の山王祭や神田神社の神田祭に次ぐ大祭であったという。

特に冬至祭の「一陽来復」の御守は有名で、金銀融通の御守とも呼ばれ、穴八幡宮に伝わる福神(打ち出の小槌)に由来する。この福神は養老7年(723)聖武天皇が竜神より授かったと伝えられ、祈れば無量無辺の福徳果報を生じるという。公卿の水無瀬家から奉納され、冬至に金柑・銀杏・柚子を供えて祭礼が行われていたが、江戸時代の中頃から「一陽来復」の御守を授与するようになった。今日でも冬至祭にはこの御守を求めて多くの人が参拝する。

明治以降は幕府の庇護を失って衰微したものの、明治12年(1879)皇太子(大正天皇)の御虫封祈祷を行ったことから崇敬者が増え、現在では虫封祈祷・冬至の一陽来復守などで信仰を集めている。さらに平成元年(1989)から慶安・元禄の設計絵図に基づいて社殿の造営を行い、往事の姿を取り戻している。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 流鏑馬射手の像

    高田馬場 流鏑馬射手の像

  • 随神門

    随神門

  • 神武天皇遙拝所

    神武天皇遙拝所

  • 布袋尊

    布袋尊

  • 拝殿

    拝殿

  • 流鏑馬

    流鏑馬神事

  • 冬至祭

    冬至祭

メモ

穴八幡宮の旧社格は村社だが、府県社クラスの神社に劣らぬ風格を持った社殿と境内。御朱印をいただいたときが初めての参拝だったが、これほどの神社とは認識していなかったので、ちょっと驚いた。平成になって再建されたものとはいえ、黒塗りに白壁の社殿は重厚で、落ち着いた印象を与える。
追記:当社にオリジナルの御朱印帳があるとの情報を得て、早速入手すべく参拝したのだが、偶然、流鏑馬神事の日であった。御朱印をいただいたところ、墨書は通常と同じく「一陽来復」であったが、朱印は流鏑馬神事の特別のものであった。(H22.10.13)
例大祭限定の御朱印もあり。宵宮祭でも拝受可能のよう。(H25.09.14)
※冬至祭から節分まで御朱印の授与はしないので注意が必要。
※流鏑馬神事・例大祭の御朱印の拝受は取りやめたという情報あり。(H28.10.25)


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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