深澤神社

深澤神社

深沢神社は、元は三島神社と称した。永禄7年(1564)南条重長の父・重頼が伊豆の三嶋大社から御分霊を勧請したことに始まる。明治42年(1909)深沢村内各所に祀られていた天祖神社・伊勢神社・御嶽神社・八幡神社・山際神社・稲荷神社など7社を合祀、深澤神社と改称した。
世田谷区の神社

正式名称 深沢神社〔ふかさわじんじゃ〕
御祭神 天照大神 大山都見尊 日本武尊 倉稲魂命 八幡大神
社格等 旧村社
鎮座地 東京都世田谷区深沢5-11-1 [Mapion|googlemap]
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御朱印

  • 深澤神社の御朱印

    (1)

  • 深澤神社の御朱印

    (2)

(1)平成18年拝受の御朱印。朱印は「深澤神社之印」。

(2)平成29年拝受の御朱印。中央の朱印は平成18年のものと同じ「深澤神社之印」。左下は「村社深澤神社参拝印」。

御由緒

明治42年(1909)深沢の各地域に鎮座していた伊勢神社・天祖神社・稲荷神社(2社)・山際神社・八幡神社・御嶽神社を村社・三島神社に合祀し、社号を深澤神社と改めて現在に至る。これらはいずれも深沢村の名主・谷岡氏とゆかりの深い神社である。

小田原北条氏の家臣で伊豆衆の一人である南条右京亮重長は、永禄7年(1564)の第二次国府台合戦での戦功により深沢村兎々呂城を拝領し、村の東境に深沢城を築いた。小田原征伐の後は深沢村に引き籠もり、子孫は姓を谷岡と改めて深沢村の名主となった。

三島神社は永禄7年(1564)南条重長の父・重頼が伊豆国の三嶋大社の御分霊を奉斎したことに始まる。重頼は伊豆国三島の地も領しており、ことに三嶋大社を深く尊崇していたため、遙拝のために勧請したという。明治7年(1874)村社に列格した。

伊勢神社と天祖神社はどちらも元は神明社と称し、重長の子・重継が父の命により伊勢の内宮外宮の御分霊を勧請したものである。また、八幡神社は屋敷の鬼門に石清水八幡宮の御分霊を勧請したものという。御嶽神社は重継の子・谷岡重久が開基となった薬王山医王寺の境内に祀られていた。

現在の社殿は昭和42年(1967)の造営で、建築家・建築史学者の大岡實の設計である。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 深沢弁天社

    深沢弁天社

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

鉄道を利用する場合、最寄り駅は東急田園都市線の桜新町駅か大井町線の等々力駅ということになるが、けっこうな距離がある。公共交通機関を使うのであれば、バスが無難であろう。
初めての参拝は平成18年。神前に参拝した後、社務所にうかがうと留守だった。都内とはいえ、簡単に参拝できるところではないので残念に思ったのだが、ちょうどそこへ宮司さんの奥様が帰ってこられ、無事に御朱印をいただくことができた。気さくな奥様で、ざっくばらんにいろいろな話を聞かせてくださった。

深澤神社の概要

名称 深沢神社
旧称 三島神社
御祭神 天照大神〔あまてらすおおみかみ〕
〈合祀〉
大山都見尊〔おおやまづみのみこと〕
日本武尊〔やまおたけるのみこと〕
倉稲魂命〔うかのみたまのみこと〕
八幡大神〔はちまんおおかみ〕
鎮座地 東京都世田谷区深沢五丁目11番1号
創建年代 永禄7年(1564)
社格等 旧村社
例祭 10月体育の日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月3日/節分祭
4月29日/弁天祭
6月27日/夏越大祓い
11月23日/新嘗祭
12月27日/師走大祓い
12月31日/除夜祭

交通アクセス

□東急大井町線「等々力駅」より徒歩約19分、またはバス
■東急バス渋谷駅行き「深沢坂上」下車、徒歩約3分
□東急田園都市線「等々力駅」より徒歩約23分、またはバス
■東急バス等々力操車場行き「深沢坂上」下車徒歩約3分

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