葛谷御霊神社

葛谷御霊神社

葛谷御霊神社は、寛治年間(1087~94)前九年の役で奥州に向かう源義家に従った京の桂(葛)の里の者が京へ凱旋する途中、故郷に似た当地に留まり、氏神である八幡神を勧請したことに始まるという。1月に行われる備射祭は新宿区の無形民俗文化財に指定されている。
新宿区の御朱印

正式名称 御霊神社〔ごりょうじんじゃ〕
通称 葛谷御霊神社〔くずがや ごりょうじんじゃ〕
御祭神 仲哀天皇 神功皇后 応神天皇 武内宿禰
社格等 旧無格社
鎮座地 東京都新宿区西落合2-17-17 [Mapion|googlemap]
東都神社御朱印集
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御朱印

  • 葛谷御霊神社の御朱印

平成17年に拝受した御朱印。中央の朱印は「御霊神社」、右上は「葛谷」、左下は「御霊神社之印」。

御由緒

葛谷御霊神社は、葛ヶ谷村の鎮守。江戸時代の別当は真言宗の西光山自性院(西落合1)であった。

社伝によれば、寛治年間(1087~94)前九年の役で源義家が奥州に向かった際、京都の桂(葛)の里の一族がこれに従い、常に八幡宮に勝利を祈願した。無事に安倍氏を討伐し、京都に帰還する途中、故郷の地形・風土に似たこの地に留まった。そして、八幡神を勧請したのが当社の創祀であるという。

なお、『東京府豊玉郡誌』(大正5年)は、京の葛野大納言という貴族が時の帝の不興を蒙り、東国に流浪して当地に留まった。赦免を願い、崇敬していた京都の御霊社を勧請してひたすら祈願していたところ、宿願が叶って京に召還された。その霊験があらたかであったことから、土地の人々が産土神としたという伝承を載せている。

現在の社殿は昭和46年(1971)に再建されたものである。

1月に行われる備射祭は新宿区の無形民俗文化財に指定されている。弓で的を射ることにより、その年の豊凶を占い、悪霊を払って豊作を祈願する神事である。かつてはあちこちで行われていたが、現在、新宿区内では当社と中井御霊神社に伝わっているのみである。

境内末社の天神社は疣・瘤取り天神として信仰を集めたという(境内末社の五社に「疣天神社」として合祀されているようである)。

補足

社号は御霊神社だが、御祭神は八幡神で、御霊信仰に由来するわけではないようだ。八幡系でありながら「御霊」を称するのは珍しいが、新宿区においては隣接する旧下落合村中井の中井御霊神社も同じく八幡系である。
現在、両社は異なる由緒を伝えているが、『東京府豊玉郡誌』には、徳川家康が江戸に入り、葛谷村の地を割いて旗本に給付した際、当社を中井に分祀して産土神としたという所伝を載せている。一方、中井御霊神社に伝わる分木(備射祭で用いるコンパス)には、「元和六年申年葛谷村江古分木、分ケ遣也」との銘があるという。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 境内社

    境内社

  • 力石

    力石

  • 神紋

    葛の葉に三つ巴の神紋

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

葛谷御霊神社は哲学堂公園のすぐ東に鎮座する。現在の西落合は旧葛ヶ谷村で、明治22年に上落合村・下落合村と合併して落合村さらに落合町となった後も大字として葛ヶ谷の地名を残していたが、昭和7年(1932)東京市に編入された際、淀橋区西落合とされたようだ。
神紋は「葛の葉に三つ巴」で、葛ヶ谷に因むそうである。一般的な三つ巴も用いられるが、拝殿の扉や燈籠、神輿蔵など、あちこちに葛の葉に三つ巴の紋が用いられている。

葛谷御霊神社の概要

名称 御霊神社
通称 葛谷御霊神社
旧称 御霊社
御祭神 仲哀天皇〔ちゅうあいてんのう〕
神功皇后〔じんぐうこうごう〕
応神天皇〔おうじんてんのう〕
武内宿禰〔たけしうちのすくね〕
鎮座地 東京都新宿区西落合二丁目17番17号
創建年代 寛治年間(1087~94)
社格等 旧無格社
例祭 9月第1日曜日
神事・行事 1月13日/備射祭

交通アクセス

□西武新宿線「新井薬師前駅」より徒歩9分
□都営大江戸線「落合南長崎駅」より徒歩11分

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