中野氷川神社

中野氷川神社

正式名称 氷川神社〔ひかわじんじゃ〕
通称 中野氷川神社〔なかの ひかわじんじゃ〕
御祭神 須佐之男命 稲田姫命 大己貴命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都中野区東中野1-11-1 [Mapion|googlemap]

【由緒概要】
社伝によれば、長元3年(1030)源頼信が平忠常の乱の平定に向かったとき、鎮護のために大宮の氷川神社から勧請し、祠を建てたことに始まる。応永年間(1394~1428)旧別当・宝仙寺を中興した聖永が社殿を改築、さらに文明9年(1477)太田道灌が豊島氏の拠る石神井城を落とした奉賽として社殿を造営したという。

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中野氷川神社の御朱印

  • 中野氷川神社の御朱印

平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「氷川神社」、左下は「社務所印」。

中野氷川神社について

名称 氷川神社
通称 中野氷川神社
御祭神 須佐之男命〔すさのおのみこと〕
稲田姫命〔いなだひめのみこと〕
大己貴命〔おおなむちのみこと〕
鎮座地 東京都中野区東中野一丁目11番1号
創建年代 長元3年(1030)
社格等 旧村社
例祭 9月中旬
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月15日/新年祭
2月3日/節分祭
2月上午の日/初午祭
5月15日/中祭
6月30日/大祓
12月31日/大祓

御由緒

中野村の鎮守。旧別当は真言宗の明王山宝仙寺(中野区中央2)であった。

社伝によれば、長元3年(1030)源頼信が平忠常の征討に向かった際、鎮護のために大宮の氷川神社から御分霊を勧請し、祠を建てたことに始まるという。

応永年間(1394~1428)宝仙寺を中興した聖永が社殿を改築。文明9年(1477)太田道潅が豊島氏の依る石神井・練馬の両城を攻略するに際して戦勝を祈願し、杉数株を植えた。さらに凱旋した後、奉賽として社殿を造営したと伝わる。以来、氷川大明神として太田氏が篤く尊崇し、中野村の旧家の人々も氏神として崇敬したという。

明治元年(1868)神仏分離により宝仙寺より独立し、明治5年(1872)村社に列格して、氷川神社と改称した。

明治10年(1877)に拝殿、明治15年(1882)本殿を改築する。明治44年(1911)村内の無格社・三柱神社と荒沢神社を合祀した。

現在の社殿は昭和44年(1969)明治百年を記念して改築されたものである。

参道石段を登ったところにある御影石の明神鳥居は、鍋屋横丁の名の由来になった休み茶屋・鍋屋の主人である鍋屋勘右衛門の寄進によるもの。そのかたわらには敷石供養碑と石橋供養碑がある。敷石供養碑は慈眼寺の氷川坊覚順が境内の敷石を補修したときのもの。また、石橋供養碑は、かつて大鳥居の南側を流れていた川に氏子たちが石橋を架けた際、その安全を祈願して建立したものという。

鳥居と敷石供養碑は区の登録有形文化財、石橋供養碑は区の指定有形文化財である。その他、指定有形文化財に狛犬、手洗石、力石、登録有形文化財に明治初期の国文学者・福羽美静による「中野公園の記」の碑、庚申塔などがある。

9月中旬に行われる例大祭には各町会の神輿が練り歩き、区内でも最大の規模という。

写真帖

  • 参道

    参道

  • 二の鳥居

    鍋屋勘右衛門の寄進の鳥居

  • 敷石供養碑と石橋供養碑

    敷石供養碑と石橋供養碑

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 拝殿

    拝殿

メモ

山手通りの東側に、通りに沿うかのように南北に細長い境内がある。社殿の背後は元の社地だが今は氷川公園となっている。とはいえ、大樹が多く、社殿の前から見ると鎮守の森のような景観となっている。


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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