皇大神宮別宮 伊雑宮

伊雑宮

伊雑宮は皇大神宮の別宮。垂仁天皇の御代、皇大神宮が五十鈴川の畔に鎮座すると、倭姫命は天照大御神の神饌を採るための御贄地を求めて志摩国を訪れ、伊佐波登美命に迎えられた。倭姫命は当地を御贄地と定め、伊雑宮を創建したと伝えられる。
三重県の神社

正式名称 皇大神宮別宮
伊雑宮〔いざわのみや〕
御祭神 天照大御神御魂
社格等 皇大神宮別宮 式内論社(大) 志摩国一宮
全国各地の神社の御朱印、由緒、アクセスなどの紹介
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御朱印

  • 伊勢神宮内宮伊雑宮の御朱印

    (1)

  • 伊勢神宮内宮伊雑宮の御朱印

    (2)

(1)平成18年拝受の御朱印。朱印は「伊雑宮印」。

(2)平成28年拝受の御朱印。

昔の御朱印

江戸時代の納経(御朱印)

  • 伊雑宮の御朱印

    (1)

(1)文政5年(1822)の納経(御朱印)。揮毫は「奉納経」「志州磯部」「伊雑皇太神宮」「千田寺」。朱印はない。

※無量山千田寺は行基菩薩の開創という古刹であったが、明治11年(1878)に焼失し、廃寺となった。跡地は倭姫命旧跡地として整備され、倭姫命が引水したと伝えられる千田の御池が残っている。

御由緒

伊雑宮は皇大神宮(内宮)の別宮で、垂仁天皇の御代の創建と伝えられる。

皇大神宮が五十鈴川の畔に鎮座された後、倭姫命〔やまとひめのみこと〕が天照皇大神に供える神饌を採るための御贄地〔みにえどころ〕を求めて志摩国を訪れたとき、伊佐波登美命〔いざわとみのみこと〕が出迎えた。倭姫命はここを御贄地と定め、伊雑宮を創建されたという。古くから「天照大神の遥宮〔とおのみや〕」と称され、延暦23年(804)の『皇大神宮儀式帳』にもその名が見える。

延喜式神名帳所載の粟島坐伊射波〔あわしまにますいざわ〕神社に比定され、志摩国の一宮とされるが、伊雑宮ではなく鳥羽市安楽島の伊射波神社だとする説もある。

養和元年(1181)源氏に味方した熊野の衆徒が平氏の地盤である伊勢・志摩に侵攻、伊雑宮は破壊され、神宝を奪われた。享禄4年(1531)には九鬼氏に神領を横領されるなど、苦難の歴史を辿った。

神領を守るために設けられた伊雑御浦惣検校職も室町時代には衰微し、慶長6年(1601)と寛永15年(1638)の2度の仮殿遷宮は磯部七郷の郷人によって執り行われた。一方、室町時代には伊雑宮の御師も現れ、檀那を持つようになった。

江戸時代に入ると、伊雑宮の神人を中心とする神領回復運動が起こり、その中で伊雑宮は「伊雑皇太神宮」を称し、内宮外宮と同格で伊勢三宮である、むしろ内外両宮は伊雑宮の分家であるとの主張がなされるようになった。その主張を裏付けるための偽書を作成し、さらに『先代旧事大成経〔せんだいくじほんぎたいせいきょう〕』の出版にも関与したとされる。

明暦4年(1658)朝廷からの綸旨により内宮の別宮とされたため、これを不満とした伊雑宮の神人は寛文2年(1662)江戸に入り、寺社奉行・井上河内守に訴えた。これも聞かれなかったため、ついに四代将軍徳川家綱の日光社参の途上、直訴に及んだ。しかし、これも受け入れられず、翌寛文3年(1663)伊雑宮の神人47人が伊勢・志摩両国を追放され、以来、伊雑宮は内宮の別宮と定められた。

伊雑宮は地元の人々との関わりが深かったことから、高欄をめぐらしたり、金銅飾金物を用いるなど独自の部分があったが、明治42年(1909)の式年遷宮から他の別宮と同じ形式となった。

毎年6月の月次祭当日に行われる御田植式は「磯部の御神田〔おみた〕」と称し、国の重要無形民俗文化財。平安時代の末期には、すでに現在の形になっていたという古式豊かな神事である。香取神宮の御田植祭、住吉大社の御田植神事とともに日本三大御田植祭に数えられる。

伊雑宮の南西約800mには伊雑宮の所管社の佐美長〔さみなが〕神社が鎮座する。佐美長神社は大歳神を祀り、江戸時代までは大歳社〔おおとしのやしろ〕、穂落社〔ほおちのやしろ〕などと呼ばれていた。式内社の粟嶋坐神乎多乃御子神社に比定される。佐美長神社の境内には同じく伊雑宮である所管社・佐美長御前神社四社〔さみながみまえじんじゃししょ〕が鎮座している。佐美長御前神を祀るが、伊佐波登美命とその子孫を祀るともいう。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 忌火屋殿

    忌火屋殿

  • 祓所

    祓所

  • 巾着楠

    巾着楠

  • 勾玉池

    勾玉池

  • 伊雑宮

    別宮 伊雑宮

  • 神田

    神田

  • 千田の御池

    千田の御池

  • 倭姫命旧跡地

    倭姫命旧跡地(天井石と鏡楠)

佐美長神社

  • 佐美長神社

    伊雑宮所管社 佐美長神社

  • 佐美長御前神社四社

    伊雑宮所管社 佐美長御前神社四社

メモ

近鉄志摩線の上之郷駅から歩いてすぐのところに鎮座する。周囲はかつての門前町の風情を残している。宮域のすぐ南側に磯部の御神田〔おみた〕が行われる御料田がある。さらに北に5分ほど歩くと、倭姫命ゆかりの千田〔ちだ〕の御池や倭姫命御旧跡地などがあり、かつての繁栄を偲ぶことができる。

伊雑宮の概要

名称 伊雑宮
通称 伊雑宮〔いぞうぐう〕 磯部の大神宮さん
御祭神 天照大御神御魂〔あまてらすおおみかみのみたま〕
鎮座地 三重県志摩市磯部町上之郷374番地
創建年代 伝・垂仁天皇の御代(B.C.29~A.D.70)
社格等 皇大神宮別宮 式内社(論) 志摩国一宮
延喜式 志摩國答志郡
粟嶋坐射佐波神社二座 並大
同嶋坐乎多乃御子神社(論:伊雑宮所管社 佐美長神社)
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月3日/元始祭
2月11日/建国記念祭
2月20日/祈年祭
5月14日/風日祈祭
6月24~25日/月次祭
※6月24日/御田植式
旧6月25日/御祭
8月4日/風日祈祭
10月24~25日/神嘗祭
※10月25日/調献式
11月26日/新嘗祭
12月24~25日/月次祭
文化財 〈重要無形民俗文化財〉磯部の御神田

交通アクセス

□近鉄鳥羽線「上之郷駅」より徒歩3分

神宮 皇大神宮(内宮) 鎮座地:伊勢市宇治館町 豊受大神宮(外宮) 鎮座地:伊勢市豊川町 ...

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コメント

  1. […] 伊勢神宮は、正しくは「神宮」と称し、皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)、14所の別宮、43所の摂社、24所の末社、42所の所管社の総称です。中でも最も重要なのが天照大御神をお祀りする皇大神宮(内宮)と豊受大御神をお祀りする豊受大神宮(外宮)で、御正宮と称します。このうち、内宮・外宮と別宮5所(月読宮・瀧原宮・伊雑宮・倭姫宮・月夜見宮)、合計7ヶ所で御朱印をいただくことができます。 […]