長島香取神社(茂呂神社)

長島香取神社

長島香取神社は、長島村の鎮守。古くは茂呂神社と称した。旧別当寺の火災で古記録が焼失したため創建年代などは不詳だが、400年以上の歴史があると伝えられる。昭和26年(1951)長島村西部に祀られていた八雲神社を境内に遷した。

正式名称 香取神社〔かとりじんじゃ〕
通称 長島香取神社〔ながしま かとりじんじゃ〕
御祭神 経津主命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都江戸川区東葛西2-34-20 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 葛西・浦安(東西線)

御由緒

長島香取神社は長島村の鎮守である。旧別当は真言宗の覚王山自性院。

文久年間(1861~64)自性院の火災で古記録が焼失したため、創建年代や由緒は不詳というが、400年以上の歴史があるだろうという。御祭神は経津主命で、香取神宮からの勧請である。

古くは茂呂神社と称した。茂呂の名の由来はわからないようで、『新編武蔵風土記稿』には「茂呂神社 村内の鎮守とす。祭神香取太神宮なり。茂呂と号せる謂われを伝えず。本地仏十一面観音を安ず」とある。

長島村は古い土地で、中世は伊勢神宮の神領・葛西御厨に含まれ、香取神宮の灯油料所として関所が設けられていた。応安5年(1372)関白・二条師良は香取神宮の大禰宜・大中臣長房に「長嶋関」を先例通り管領するよう命じている(香取旧大禰宜家文書)。このような背景があって、香取神宮の御分霊を鎮守として祀ったのであろう。

明治5年(1872)村社に列した。

平成25年(2013)社殿を新築。壁面に見事な彫刻が施されていた本殿は覆殿の内部に納められた。

境内社の八雲神社は長島村の西部に祀られていたが、長島地区東西融和のため、昭和26年(1951)当社境内に遷座した。

創建は江戸時代の中期で、『葛西志』には稲荷神社とあり、相殿に牛頭天王を祀ったという。『新編武蔵風土記稿』にある海潮山梵音寺(東葛西3、曹洞宗)境内の「牛頭天王稲荷海上神合社」がそれに当たるのではないかと思われるが、未確認。

3年に1度、6月第3または第4土・日曜日に大祭が行われ、昭和30年(1955)に新調された2基の神輿が渡御する。

「長島の富士塚」は江戸川区の登録有形民俗文化財で、明治41年(1908)長島・桑川両村の山玉参拝講の人たちが築いたもの。大正6年(1917)長島・桑川・南新川・十五面などの有志によって改築された。高さは約4mで、江戸川区内に現存する富士塚の中でも規模が大きいという。

御朱印

  • 長島香取神社の御朱印

    (1)

(1)平成17年拝受の御朱印。上の黒印は三つ巴の神紋、下の朱印は「長島香取神社」。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 八雲神社

    八雲神社

  • 諏訪神社

    諏訪神社

  • 境内末社

    境内末社

  • 富士塚

    富士塚(長島の富士)

  • 拝殿

    旧拝殿

  • 本殿(旧観)

    本殿(旧観)

  • 本殿彫刻

    本殿彫刻(側面)

  • 本殿彫刻

    本殿彫刻(背面)

  • 本殿彫刻

    本殿彫刻(側面)

メモ

近くにバス停がないため、公共交通機関を使う場合は葛西駅(もしくは浦安駅)から歩く。環七通りを北上するとわかりやすいが、近道を行こうとすると住宅街の中を歩くことになる。
平成17年に初めて参拝して御朱印をいただき、その後平成22年に再度参拝したのだが、その後の平成25年に新しい社殿が造営されたようだ。本殿の壁面には見事な彫刻が施されているのだが、今は覆殿の中に納められ、外から彫刻は見られないとのことである。

長崎香取神社の概要

名称 香取神社
通称 長島香取神社
旧称 茂呂神社
御祭神 経津主命〔ふつぬしのみこと〕
鎮座地 東京都江戸川区東葛西二丁目34番20号
創建年代 不詳
社格等 旧村社
例祭 10月29日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月27日/祈年祭
6月27日/八雲祭り・水神祭
※『平成「祭」データ』による

交通アクセス

□葛西駅(東西線)より徒歩13分
□浦安駅(東西線)より徒歩15分

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