紀州神社

紀州神社

正式名称 紀州神社〔きしゅうじんじゃ〕
御祭神 五十猛命 大弥津姫命 抓津姫命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都北区豊島7-15-5 [Mapion|googlemap]

【由緒概要】
紀州神社は豊島村の鎮守で、鎌倉時代末期の元亨年間(1321~24)紀州熊野の人・鈴木重尚が王子村に移住し、領主の豊島氏と図って紀伊国の伊太祁曽神社の御分霊を若一王子宮(王子神社)境内に祀ったことに始まる。天正年間(1573~92)豊島村と王子村で争論があり、豊島村の人々が自分たちの氏神が他村にあるのは望ましくないとして、豊島村に遷し祀ったと伝えられる。

紀州神社の御朱印

  • 紀州神社の御朱印

    (1)

  • 紀州神社の御朱印

    (2)

(1)平成18年拝受の御朱印。中央の朱印は鳥居に八咫烏の神紋。左下の印は「紀州神社宮司之印」。

(2)平成26年拝受の御朱印。中央の朱印は「紀州神社」、左下は「紀州神社宮司之印」。

紀州神社について

名称 紀州神社
御祭神 五十猛命〔いそたけるのみこと〕
大弥津姫命〔おおやつひめのみこと〕
抓津姫命〔つまつひめのみこと〕
鎮座地 東京都北区豊島七丁目15番5号
創建年代 元亨年間(1321~24)
社格等 旧村社
例祭 8月第4土・日曜日
神事・行事 1月1日/元旦祭
12月31日/大祓
※『平成「祭」データ』による

御由緒

紀州神社は豊島村の鎮守。元亨年間(1321~24)、紀州熊野の人・鈴木重尚が王子村に来住、豊島氏(神社の縁起によれば豊島景村、新篇武蔵風土記によれば豊島清光とされる)と図り、紀伊国名草郡(現・和歌山市)の伊太祁曽神社の御分霊を王子村の若一王子宮(王子神社)境内に勧請したことを創祀とする。

『新編武蔵風土記稿』によれば、天文17年(1548)重尚の十二世の子孫である弥三郎が豊島村に移住した。

天正年間(1573~92)王子村と十島村の間で水争による争論があった際、豊島村の人々が自分たちの鎮守が他村に祀られているのは望ましくないとして、御神体を村内の小名・宮の前(豊島6)に遷した。さらに小名・馬場(豊島8)に遷したが、村はずれの寂しい場所で会ったため、御祭神が村人たち夢枕に立ち「もっと賑やかな場所に行きたい」と告げた。そこで現社地に遷されることになったという。

明治6年(1873)村社に列格。同年、拝殿を再建している。明治23年(1890)拝殿を改築、明治43年(1910)本殿を造営。

昭和30年(1955)銅葺総檜造で本殿を再建した。

写真帖

  • 拝殿

    拝殿

  • 鳥居

    鳥居

  • 神紋

    拝殿扉の神紋

  • 本殿

    本殿

  • 三峯神社・金刀比羅神社

    三峯神社・金刀比羅神社

  • 水神社

    水神社

メモ

紀州通りに面して鳥居があり、距離を置かずに拝殿がある。その右手が広場になっている。おそらく通りを拡げるときに、かなり境内地が削られたのではないだろうかと思われる。
社紋は珍しい鳥居に八咫烏。下の写真は拝殿の扉のもの。ただし、屋根には三つ巴も用いられている。

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