中丸熊野神社

中丸熊野神社

正式名称 熊野神社〔くまのじんじゃ〕
御祭神 伊佐奈美命 速玉之男命 事解之男命
社格等 旧無格社
鎮座地 東京都板橋区熊野町11-2 [Mapion|googlemap]

【由緒概要】
応永年間(1394~1428)岩田主水正氏兼が豊島郡中丸村に移り住んだとき、先祖以来深く崇敬してきた熊野権現を勧請し、鎮守として祀ったことに始まる。当初は岩田一族の守護神として祀られたが他の諸氏も氏神として尊崇し、中丸村の鎮守となった。

中丸熊野神社の御朱印

  • 中丸熊野神社の御朱印

    (1)

  • 中丸熊野神社の御朱印

    (2)

(1)平成18年拝受の御朱印。中央の朱印は神璽、左下の印は「熊野神社宮司之印」。

(2)平成29年拝受の御朱印。中央の朱印は「熊野神社之璽」、右下は「熊野神社宮司之印」。

中丸熊野神社について

名称 熊野神社
通称 中丸熊野神社
旧称 熊野宮 熊野三社権現 熊野社
御祭神 伊佐奈美命〔いざなみのみこと〕
速玉之男命〔はやたまのおのみこと〕
事解之男命〔ことさかのおのみこと〕
鎮座地 東京都板橋区熊野町11番2号
創建年代 応永年間(1394~1428)
社格等 旧無格社
例祭 9月第2日曜日
神事・行事 1月1日/除夜祭・元旦祭
2月3日/節分祭
旧2月上午の日/初午祭
8月15日/慰霊祭
12月31日/大祓式
※『平成「祭」データ』による

御由緒

中丸村の鎮守。江戸時代以前は熊野宮、熊野三社権現、あるいは熊野社と呼ばれた。旧別当は真言宗の医王山西光院(南町)であった。

社伝によれば、応永年間(1394~1428)庭田主水正氏兼(後に岩田姓に改める)が武蔵国豊島郡中丸村に移住した際、熊野権現を勧請して鎮守とした。氏兼は宇多天皇の皇子・敦実親王の孫で、敬神の念が深く、特に熊野権現は先祖以来篤く崇敬していたという。

さらに天正15年(1587)氏兼の5世の孫である岩田忠経もこの地に移り、一族の繁栄を祈り、氏神として深く敬ったという。当時、中丸村には岩田氏の他田中・荒井・庄野の各氏が住んでいたが、これらの諸氏も当社を氏神として崇敬し、四氏が協力して本社の造営を行ったという。

※本社の造営について『北多摩神社誌』(昭和8年)は元享2年のこととするが、誤植と思われる。元亨2年(1322)では神社創建以前ということになってしまうため、元和2年(1616)あるいは貞享2年(1685)のことではないかと思われる。

昭和20年(1945)空襲のため、大正2年(1913)造営の社殿が焼失。昭和23年(1948)仮殿にて復興、昭和40年(1965)から同43年(1948)にかけて本殿・拝殿等を再建した。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 地蔵尊

    地蔵尊

  • 観世音菩薩

    観世音菩薩

  • 戦死者之碑

    戦死者之碑

  • 厳島神社

    厳島神社

  • 不動尊

    不動尊

  • 伏見稲荷神社

    伏見稲荷神社

  • 拝殿

    拝殿

  • 社号標

    社号標

  • 本殿

    本殿

メモ

山手通りと川越街道が交わる熊野町交差点にあり、鳥居の前は首都高速が走る。正面に目に鮮やかな朱の社殿が建つ。境内には厳島神社や伏見稲荷神社といった境内社の他に、地蔵尊や不動尊が祀られている。明治の神仏分離を生き抜いたものか、戦後になって新たに祀られたものか判断はできないが、興味深い光景である。

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