大島稲荷神社

大島稲荷神社

正式名称 大島稲荷神社(おおじま いなりじんじゃ)
御祭神 宇賀之御魂神 〈合祀〉迦具土之神 倉稲能魂命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都江東区大島5-39-26 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://nttbj.itp.ne.jp/0336844749/index.html

【由緒概要】
慶安年間(1648~51)伏見稲荷から御分霊を勧請したことに始まる。昭和19年(1944)当社とともに大島村及び大島町の鎮守であった愛宕神社を合祀した。松尾芭蕉や小林一茶とゆかりがあり、境内には芭蕉没後に其日庵社中の俳人たちが建立した女木塚碑がある。

大島稲荷神社の御朱印

  • 大島稲荷神社の御朱印

    (1)

  • 大島稲荷神社の御朱印

    (2)

(1)平成18年拝受の御朱印。中央の朱印は抱き稲の神紋、右上は「招福萬来」。

(2)平成26年拝受の御朱印。平成18年の御朱印に加え、左上に「大島稲荷神社」、右下に「芭蕉」。

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大島稲荷神社について

名称 大島稲荷神社
通称 大島神社
旧称 稲荷神社
御祭神 宇賀之御魂神〔うがのみたまのかみ〕
〈合祀〉
迦具土之神〔かぐつちのかみ〕(愛宕神社)
倉稲能魂命〔うかのみたまのみこと〕(太郎稲荷)
鎮座地 東京都江東区大島五丁目39番26号
創建年代 慶安年間(1648~51)
社格等 旧村社
例祭 9月19日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月3日/節分祭
2月19日/祈年祭
旧2月上午の日/初午祭
3月春分の日/春分祭
6月30日/大祓
9月秋分の日/秋分祭
11月3日/文化祭
11月23日/新嘗祭
12月19日/納め稲荷祭
12月31日/除夜祭

御由緒

この近辺は小名木川・海辺に近く、数度の津波の被害に遭い、また悪疫の流行もあったため、村人が山城国の伏見稲荷を勧請したという。

明治36年(1903)浅草光月町の柳川藩の下屋敷の邸内社であった太郎稲荷、昭和19年(1944)大島五丁目の愛宕神社を合祀した。

昭和20年(1945)戦災により社殿が焼失、翌21年(1946)仮殿を建立した。現在の社殿は昭和42年(1967)の再建である。

合祀された太郎稲荷は柳川藩主立花家の歴代当主の崇敬を受けていた。ある時、当主の嫡男が疱瘡にかかったとき、病気平癒の祈願を行い、霊験があらたかであったことから、流行神として広く信仰を集めた。明治になり、柳川藩邸が収公された際、大島稲荷神社に合祀されたという(亀戸の天祖神社境内にも太郎稲荷が祀られている)。

また、愛宕神社は稲荷神社とともに大島村及び大島町の鎮守であり、ともに愛宕山勝智院が別当であった。

「女木塚」の碑は其日庵社中によって愛宕神社境内に建立されたもので、元禄5年(1692)松尾芭蕉が深川から小名木川を下って門弟の洞渓を訪ねていく途中、船を止めて大島稲荷を参拝した際に詠んだ「秋に添て行はや末は小松川」の句が刻まれている。

小林一茶は享和3年(1803)から4年にかけて愛宕神社に仮寓していたとされる。ただし、大島二丁目の愛宕神社だという説もある。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 女木塚

    女木塚と芭蕉の石像・句碑

  • 百度石

    百度石

  • 手水舎

    手水舎

  • 佐竹神社

    佐竹神社

  • 拝殿

    拝殿

  • 社号額

    社号額

  • 本殿

    本殿

メモ

宮司さんは女性で大変気持ちのよい方。御朱印をいただいた際、お礼を渡すと「御朱印をいただいてもらっただけでも有難いのに…」と恐縮され、かえってこちらまで恐縮してしまった。 

資料

大島町誌

愛宕神社

【愛宕神社】現大島町五丁目八十八番地にあり、格式は無格で軻遇突智神を祀る。今より約二百八十四年前、慶安年中創立し、爾後縷々水難に遭ひてその記録を失ひ、従つてその由緒も不詳である。明治六年七月より猿江神社兼務してゐたが、同四十二年八月より佐竹清太郎氏社掌になられてゐる。境内地四十六坪、殿堂建坪間口一間奥行九尺五寸とある。官有地に属してゐる。町内の鎮守にして、崇敬者は旧宮元上町下町上裏の外一般参詣者である。祭神日は、例祭六月二十四日、祈年祭二月十九日、新嘗祭十一月二十八日行はる。境内に女木塚がある。

大島神社

【稲荷神社】これは、現大島町五丁目九十三番地にあり、一名大島神社とも言ふ。その理は崇敬者が大島町内の者であるから、誰彼となく自づとかく唱へる様になつたと云ふ。
格式は無格で宇迦能魂神を祀る。この町の鎮守である。慶安年中創立し、前記と同様縷々水難に遭ひてその記録を失ひ、従つてその由緒も不詳である。明治六年七月より猿江神社兼務してゐたが、同四十二年八月より佐竹清太郎氏社掌になられてゐる。境内地六畝三歩七合六夕、内本殿一坪八合七勺五夕、拝殿間口三間、奥行二間あり、民有地に属している。
崇敬者は旧宮元(現五丁目)上町(現一丁目)下町(現五丁目、四丁目、一丁目)上裏(現一丁目、二丁目)。祭神日は、例祭九月十九日、祈年祭二月十九日、新嘗祭十一月二十八日に行はる。


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