目黒大鳥神社

目黒大鳥神社

正式名称 大鳥神社〔おおとりじんじゃ〕
御祭神 日本武尊 〈相殿〉国常立尊 弟橘媛命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都目黒区下目黒3-1-2 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://www.ootorijinja.or.jp/

【由緒概要】
下目黒村の鎮守。日本武尊を祀り、大同元年(806)に社殿が造営されたと伝えられる。区内最古の神社で、目黒が上中下に分村する前は目黒村全体の総鎮守であったという。室町時代の長禄江戸図に「鳥明神」として名前が見える古江戸九社の一つ。11月の酉の市は都内でも古いものの一つで、多くの参拝者で賑わう。

目黒大鳥神社の御朱印

  • 目黒大鳥神社の御朱印

    (1)

  • 目黒大鳥神社例大祭の御朱印

    (2)

(1)平成17年拝受の御朱印。社号は印判。中央の朱印は「大鳥神社」、右上の印は「参拝記念」、日代理下は「東京都目黒区下目黒鎮座」。

(2)平成28年拝受、例大祭の御朱印。朱印は平成17年のものと同じで、「例大祭」の文字が入る。

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目黒大鳥神社について

名称 大鳥神社
通称 目黒大鳥神社
旧称 大鳥社 大鳥大明神社
御祭神 日本武尊〔やまとたけるのみこと〕
〈相殿〉
国常立尊〔くにのとこたちのみこと〕
弟橘媛命〔おとたちばなひめのみこと〕
鎮座地 東京都目黒区下目黒三丁目1番2号
創建年代 大同元年(806)社殿造営
社格等 旧村社
例祭 9月9日に近い土・日曜日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
6月30日/大祓
11月酉の日/酉の市
12月31日/大祓

御由緒

下目黒村の鎮守で、目黒区内最古の神社と伝えられる。目黒村が上中下に分立する以前の総鎮守だったとされ、天保5年(1834)の銘を持つ大鳥明神像には「武州荏原郡三目黒惣鎮守」と記されているという。旧別当は隣接する天台宗・大聖院。

社伝によれば、景行天皇の御代(71~130)当地に国常立尊を祀る社があり、日本武尊が東征の砌に東夷平定を祈願した。また、部下の目の傷の平癒を願ったところ、傷が癒えて再び剣を振るうことができるようになったため「盲神」と称し、十握剣を奉納して神恩に感謝したと伝えられる。

日本武尊が能褒野で薨去された後、尊の神霊が白鳥となって当地に飛来し、大同元年(806)社殿を造営したという。『江戸名所図会』は大同元年(806)和泉国一宮・大鳥神社を勧請したとする。

長禄年間(1457~60)太田道灌が江戸城を築いた頃の江戸の地図とされる『長禄江戸図』には「鳥明神」と記されており、古江戸九社に数えられる。

11月に行われている酉の市は天保6年(1835)大黒屋与兵衛が浅草から熊手を取り寄せたことに始まるといい、都内の酉の市でも古いものの一つである。

境内にあったオオアカガシの巨木はアカガシの変種で都の天然記念物に指定されていたが、平成14年(2002)に枯死が確認され、平成24年(2012)指定が解除された。

新編武蔵風土記稿

大鳥社

除地九百九十八坪、字新屋鋪にあり。本社二間に三間、東に向ふ。祭神は日本武尊。大同年中の鎮座なり。当村及ひ中目黒両村の鎮守なり。鳥居あり、柱間九尺、大鳥大明神の五字を扁す。鳥居の内外に石階あり。
神楽堂 本社の側にあり。二間に二間半。年々九月九日祭礼の日神楽を奏。
稲荷社 本社に向て右にあり。小祠。前に鳥居をたつ。

目黒町誌

大鳥神社

江戸名所図会に「相伝ふ、大同元丙戌年泉州大鳥の御神を勧請し奉るとぞ。按ずるに目黒不動尊の縁起に日本武尊の説を交へしは、此社を誤りて云ふならん乎」と載せてある。然して神職田中氏その他の人々が、伝説であるとて言ふ所を綜合して見るに、当大鳥神社は、昔より幾度か火災に罹つて、古文書の類が一つも伝はつて居らぬが、申伝ふる所では日本武尊が東夷征討の砌りに暫く此処に滞留あらせられ、国常立尊を勧請せられたもので、其後に当所の者等が日本武尊の御神徳を慕つて、武尊及妃橘媛尊を合殿に祀つたのであると。

元は総鎮守 当社は延喜式神名帳に載せられて居る武蔵国荏原郡磐井神社(入新井町にある)の旧跡で、往古は官祭の神社であつた。そして元は総鎮守と称へて目黒村全体の氏神であつたものが、上中下に分村された時から、下目黒一村のみの鎮守となつたのである。尚ほ大鳥神社と呼ぶ故事に就ては、日本武尊の御陵から白鳥が飛び出で、大和国琴弾野に停り、更に河内国に飛んで同国古市村に留り、夫れより東国に飛び来つて、当社の社に飛び入つて其儘消え失せたから、これは武尊の御神霊に相違なしと云ふので、其時から大鳥神社と号し奉る様になつたのであると伝へて居る。

酉の市開市 当社の祭神は国常立尊、日本武尊、橘媛尊の三神で、例年九月九日に例祭を執り行ひ、二月二十日に祈年祭を、十一月二-五日に新嘗祭を行ふ事になつて居る。然して当日は町長が供進使として参向し、幣帛を供進する事氷川神社、八幡神社と同断である。其他当社では毎年十一月に、境内に於て酉の市を開いて、熊手売其他が軒を並べ、頗る雑踏を極めるので有名である。此の酉の市は古来から開いて居たもので、現に東京及近郷では市内で浅草の大鷲神社、四谷の須賀神社があり、市外でも近くは渋谷宮益の御嶽神社でも最近之を行ふが、然し本社のそれが古く旦く知られて居る。
(後略)

写真帖

  • 前景

    前景

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 切支丹灯籠

    切支丹灯籠

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

目黒通りと山手通りの交差点に鎮座する。周囲を車がひっきりなしに通る街中の境内に風格のある木像の社殿が鎮座する。
以前は普通に御朱印の授与してもらえたのだが、その後、対応をやめたようで、社務所にその旨の掲示がある。近年は例大祭と酉の市に限り、書き置きの御朱印を授与している。


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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