赤堤六所神社

六所神社

正式名称 六所神社〔ろくしょじんじゃ〕
御祭神 大国魂命 〈相殿〉素盞嗚尊 伊弉冉尊 瓊々杵尊 大宮売命 布留大神
社格等 旧村社
鎮座地 東京都世田谷区赤堤2-25-2 [Mapion|googlemap]

【由緒概要】
社伝によれば天正12年(1684)服部貞殷が府中の六所宮(大国魂神社)から御分霊を勧請し、服部氏の祈願所としたという。一般の人々の尊崇の念も篤く、元は一つの村であった赤堤村と松原村が分村した後、赤堤村の鎮守となった。

赤堤六所神社の御朱印

  • 六所神社の御朱印

    (1)

  • 六所神社の御朱印

    (2)

(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「六所大神神璽」。

(2)平成24年拝受の御朱印。中央の朱印は「六所神社」。右下のスタンプは鳥居と社殿、「六所神社」。

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赤堤六所神社について

名称 六所神社
通称 赤堤六所神社
旧称 六所宮
御祭神 大国魂命〔おおくにたまのみこと〕
〈相殿〉
素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕
伊弉冉尊〔いざなみのみこと〕
瓊々杵尊〔ににぎのみこと〕
大宮売命〔おおみやのめのみこと〕
布留大神〔ふるのおおかみ〕
鎮座地 東京都世田谷区赤堤二丁目25番2号
創建年代 天正12年(1584)
社格等 旧村社
例祭 9月23日
神事・行事 3月20日/祈年祭
10月/六所の森クラシックコンサート

御由緒

社伝によれば、天正12年(1584)平貞盛の子孫・服部貞殷が府中の六所宮(大國魂神社)より御分霊を勧請したことに始まる。社地4反1畝10歩、社領1町4反27歩を寄進し、服部氏の祈願所としたという。

旧別当は服部氏の菩提寺である光林山西福寺。一般の人々の尊崇も厚く、赤堤村の鎮守とされた。天明7年(1787)社殿を再建。

明治5年(1872)村社に列格。同22年(1889)暴風で社殿が大破したため改築した。現在の本殿は昭和44年(1969)に再建されたものである。

補足

上の由緒には疑問がある。旗本・服部貞信が赤堤村を知行するようになるのは天正18年(1590)徳川家康の関東入国以後のことである。貞信は別当・西福寺の開基でもある。また六所神社を創建したとされる服部貞殷は貞信の子孫で、正徳元年(1711)に家督を継ぎ、享保8年(1723)38歳で亡くなっている(※『寛政重修諸家譜』による)。天正12年(1584)貞殷による創建ということはあり得ず、創建や修築に関する所伝が混乱しているのではないかと思われる。なお、松前奉行としてゴローニン事件の解決に当たった服部貞勝は貞殷の曾孫である。

写真帖

  • 一ノ鳥居

    一ノ鳥居

  • 参道

    参道

  • 厳島神社

    厳島神社

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 松沢稲荷神社

    松沢稲荷神社

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

住宅街の中に緑豊かな鎮守の森がある。すぐそばを東急世田谷線が走っているが、境内は木々が生い茂り、昼でも薄暗いくらいである。
府中の六所宮(大國魂神社)からの勧請であるが、御祭神が異なっている。これらの神々は江戸時代の六所宮の御祭神である。明治になり、大國魂神社では『神道集』などに基づいて現在の御祭神に改められた(大國魂大神と武蔵国を代表する六社の御祭神)。しかし当社や下丸子の六所神社など、六所宮から御分霊を勧請した神社では旧来の御祭神を祀っているところが多いようである。


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