猿江神社

猿江神社

社伝によれば、前九年の役に従った源頼義・義家父子の家臣・猿藤太が当地の入り江で力尽きてしまった。地元の漁師たちが当社の境内に塚を築いて丁重に葬ると、それ以来、豊漁が続いた。そこで猿藤太の「猿」と入り江の「江」を取って猿江の地名が起こり、当社も猿江稲荷と称するようになった。昭和21年(1946)天照大御神を合祀し、猿江神社と改称した。
江東区の神社

正式名称 猿江神社〔さるえじんじゃ〕
御祭神 天照大御神 宇迦之御魂命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都江東区猿江2-2-17 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://homepage3.nifty.com/saruejinjya/
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御朱印

  • 猿江神社の御朱印

    (1)

  • 申年正月の御朱印

    (2)

  • 猿江神社の御朱印

    (3)

(1)平成17年拝受の御朱印。朱印は「猿江神社」。

(2)平成28年申年1月限定の御朱印。朱印は扇子を持った猿に「猿江神社」。右上に金泥で「丙申」。

(3)平成28年拝受の御朱印。通常の御朱印の左上に扇子を持った猿の印。

御由緒

創建年代は不詳。社伝によれば、康平の頃(1058~65)奥州で前九年の役を戦った源頼義・義家父子の家臣に猿藤太という武将がいた。数々の武勲を立て、武勇の士と称された人物であったが、この地の入り江において力尽きてしまった。

そこで地元の漁師たちが当社の境内に塚を造り、手厚く葬ったところ、豊漁が続いたという。これに因み、猿藤太の「猿」と入り江の「江」を取って「猿江」と称するようになったという。

あるいは、この地の入り江に武将の屍が漂着し、毎夜光明を発した。人々が不思議に思って調べたところ、鎧の引合せに「源頼義の臣、猿藤太」と記されており、懐には一部一巻の法華経があったとも伝えられる(『文政寺社書上』)。

元の別当は住善寺であったが退転したため、谷中より移転してきた法華宗本門流の妙寿寺(現・世田谷区北烏山)が別当となった。

元は妙寿寺の西側にあったが、明治17年(1884)現社地に遷座。大正12年(1923)の関東大震災で焼失した後、昭和6年(1931)当時としては珍しい鉄筋コンクリートの社殿を再建。昭和20年(1945)の東京大空襲で深川一帯が灰燼に帰した時も焼け残ったという。

昭和21年(1946)天照大御神を合祀し、社号を稲荷神社(通称・猿江稲荷神社)から猿江神社に改めた。

境内に鎮座する藤森稲荷神社は、もともと本所横網町の幕府御用材木蔵に祀られていたが、享保19年(1734)御用材木蔵とともに猿江の地に移転した。藤の木が社殿を囲み、藤の花が咲く頃に祭礼が行われたことから藤森神社と称された。昭和52年(1977)猿江貯木場の移転に伴って潮見に遷座したが、平成13年(2001)猿江の地に戻ることとなり、当社の境内に奉斎された。古くより木材の守護神として崇敬され、商売繁昌・工事作業安全の神徳で信仰されている。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 猿江地名発祥之地碑

    猿江地名発祥之地碑

  • 馬頭観音社

    馬頭観音社

  • 藤森稲荷社

    藤森稲荷社

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

ありふれた鉄筋コンクリートの社殿かと思っていたら戦前の建築とのこと。クリーム色の社殿がスッキリした印象を与える。本殿の北側、道路を挟んだところに妙寿寺の管理する猿江稲荷社が鎮座している。

猿江神社の概要

名称 猿江神社
旧称 稲荷神社 猿江稲荷神社
御祭神 天照大御神〔あまてらすおおみかみ〕
宇迦之御魂命〔うがのみたまのみこと〕
鎮座地 正式な鎮座地の住所
創建年代 東京都江東区猿江二丁目2番17号
社格等 旧村社
例祭 8月14日
※3年に1土の式年大祭は8月第1土曜日
神事・行事 2月節分/節分祭
旧2月上午の日/初午祭

交通アクセス

□東京メトロ半蔵門線・都営新宿線「住吉駅」より徒歩約5分

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