神道大教院

神道大教院

神道大教院は教派神道十三派の一・神道大教の本宮。明治5年(1872)大教宣布の詔に基づいて開設された大教院を起源とする。同8年(1875)神仏合同の大教院は解散するが、神道の布教機関として神道事務局が発足し、大教院は神道大教院と改められて神道の講学布教の中心となった。明治19年(1886)神道事務局は神道本局と改められ、同29年(1896)麻布の現在地に神殿と事務所が完成した。昭和15年(1940)神道本局は神道大教と改称した。

正式名称 神道大教院〔しんとうたいきょういん〕
御祭神 天之御中主神 高皇産霊神 神皇産霊神 伊邪那岐神 伊邪那美神 天照大御神 天神八百萬神 地祇八百萬神
社格等 神道大教本宮
鎮座地 東京都港区西麻布4-9-2 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 広尾(日比谷駅)
六本木(日比谷駅・都営大江戸線)
バス停:日赤医療センター前
公式サイト  http://www.shinto-taikyo.org/

御由緒

神道大教院は教派神道十三派の一、神道大教〔しんとうたいきょう〕の本宮である。明治3年(1870)に発布された大教宣布〔たいきょうせんぷ〕の詔〔みことのり〕に基づき、同5年(1872)神仏合同で設けられた宣教機関である大教院を淵源とする。この時、府県レベルでは中教院、さらにその下に小教院が設置された。

当初、麹町紀尾井町の紀州長屋に仮大教院が置かれ、明治6年(1873)芝の増上寺に移された。本堂に祭壇が設けられ、本堂の背後に旧神祇官の八神殿を移築して神殿とした。増上寺の火災後、御神体は一時芝東照宮に安置された。しかし、神道側と仏教側の対立が激しくなり、同8年(1875)宣教制度は崩壊、神仏合同の大教院は解散することとなった。

これに先立ち、神道側においては大教院に代わる布教機関として、有楽町に「神道事務局」を発足するとともに、大教院は「神道大教院」と改称され、神道の講学布教の中心機関となった。

ところが同13年(1880)新しい大教院の神殿に遷座祭を行うにあたり、祭神に大国主命〔おおくにぬしのみこと〕を加えるか否かが問題になり、伊勢派と出雲派で神道界を二分する祭神論争に発展した。最終的に勅裁を仰ぐこととなり、宮中三殿の御祭神を祀ることが定められるとともに(出雲派・平田学派の敗北)、一品有栖川宮幟仁親王〔いっぽん ありすがわのみやたかひとしんのう〕を神道総裁に迎えることとなった。

同15年(1882)には神官教導職分離の布達があり、神社に奉職する神官は葬祭及び布教活動に従事することが禁じられた。そのため、神道の布教・教化に携わることを志す神道家は神社への奉職を諦め、神社神道と教派神道が分離した。教派神道の中心となったのが神道事務局・神道大教院である。この時、有栖川宮幟仁親王は総裁職を免ぜられたが、教導職達の嘆願を受けて、再度就任することとなった。同年、後の神社本庁・國學院大學につながる「皇典講究所〔こうてんこうきゅうじょ〕」が設置され、有栖川宮幟仁親王が総裁を兼任している。

この間、同8年には神道黒住派(現・黒住教、本祠は神道山)、神道修成派、同15年には神道神宮派(後の神宮奉斎会、本院は現在の東京大神宮)、神道大社派(現・出雲大社教、本宮は出雲大社)、神道扶桑派(現・扶桑教、本祠は富士山太祠)、神道実行派(現・実行教)、神道大成派(現・神道大成教)、神道神習派(現・神習教、本祠は桜神宮)、神道御嶽派(現・御嶽教)が別派独立している。

明治18年(1885)には旧淀藩主の稲葉正邦〔いなばまさくに〕子爵が初代管長に就任、同19年(1886)には神道事務局を神道本局に改組する(教派名は「神道」)。同27年(1894)禊教、同33年(1900)金光教、同41年(1908)天理教が別派独立、同22年(1889)神道本局から御嶽教に転属し、同27年別派独立した神理教を加え、ここに教派神道十三派が成立する。昭和15年(1940)神道本局は神道大教と改称される。

戦後、大神教・丸山教・自然社・神道天行居などが独立するが、残った教会・神社により道統が護持されている。

神道大教院は、神道本局の事務所移転に伴いたびたび神殿も遷座した。これは御祭神に対して申し訳ないことだという意見が起こり、明治29年(1896)麻布の現在地に神殿及び事務所が落成した。

昭和20年(1945)大教院は戦災のため焼失、同23年(1948)再建された。現在の本殿は同37年(1962)に落成したものである。

御朱印

  • 神道大教院の御朱印

平成20年に拝受した御朱印。中央上の朱印は「神道大教」。右上の印は神道大教の教紋。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 門標

    門標

  • 境内

    境内

  • 本殿

    本殿

  • 御霊殿

    御霊殿

メモ

現在では一教派神道の本祠的存在だが、明治以後の神道史を語る上で欠かすことのできない重要な存在である。いわば神社神道(祭祀)の中心が伊勢神宮とすれば、教派神道(宣教・講学)の中心が神道大教院であった。それは新しい宗教を作ろうというものではなく、宗教としての神道を護持しようという立場であり、当時のオーソドックスな神道を継承している。
かつて神道本局-神道大教に所属していた主要な教会がほとんど独立していったため、すっかり世の中から忘れられたようになっているのが残念である。神社としての活動は一般の方も対象にしているようなので(もともと歴史的経緯から、神道大教はセクト的ではない)、もっと世の中に知られてよいのではないかと思う。
御朱印は、平日のみの対応のようである(※平成20年時点の情報)。

神道大教院の概要

名称 神道大教院
旧称 大教院
御祭神 天之御中主神〔あめのみなかぬしのかみ〕
高皇産霊神〔たかみむすびのかみ〕
神皇産霊神〔かみむすびのかみ〕
伊邪那岐神〔いざなぎのかみ〕
伊邪那美神〔いざなみのかみ〕
天照大御神〔あまてらすおおみかみ〕
天神八百萬神〔あまつかみやほよろづのかみ〕
地祇八百萬神〔くにつかみやほよろづのかみ〕
鎮座地 東京都西麻布四丁目9番2号
創建年代 明治5年(1872)
社格等 神道大教本宮 (大教院)
例祭 4月21日(春季例大祭)
10月21日(秋季例大祭)
神事・行事 1月1日/歳旦祭
3月21日/春分霊祭
6月21日/夏越大祓
9月21日/秋分霊祭
12月21日/年越大祓

交通アクセス

□広尾駅(日比谷線)より徒歩7分
□六本木駅(日比谷線)より徒歩15分
□六本木駅(都営大江戸線)より徒歩20分
□渋谷駅(JR)よりバス
■都営バス日赤医療センター前行「日赤医療センター前」下車徒歩10分

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