多度大社

多度大社

多度大社の創建年代は不詳だが、神代の古に遡るであろうという。雄略天皇の御代(457~79)に社殿が造営され、天平宝字7年(763)満願禅師が神宮寺を創建した。延喜の制では名神大社に列し、江戸時代には歴代桑名藩主の崇敬が篤かった。大正4年(1915)県社から国幣大社に昇格した。
三重県の神社

正式名称 多度大社〔たどたいしゃ〕
御祭神 天津彦根命 〈相殿〉面足尊 惶根尊 〈別宮一目連神社〉天目一箇神
社格等 式内社(名神大) 伊勢国二宮 旧国幣大社 別表神社
鎮座地 三重県桑名市多度町多度1681 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://www.tadotaisya.or.jp/
諸国神社御朱印集
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御朱印

  • 多度大社の御朱印

    (1)

  • 多度大社の御朱印

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  • 多度観音堂の御朱印

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(1)平成19年拝受の御朱印。朱印は「多度社印」。

(2)平成28年拝受の御朱印。朱印は平成19年のものと同じ「多度社印」。

(3)伊勢西国33番・多度観音堂(旧・多度神宮寺)の御朱印。中央の朱印は「多度観音」、右は「伊勢西国第三十三番」。多度大社の社務所にていただける。

昔の御朱印

  • 多度大社の御朱印

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  • 多度大社の御朱印

    (2)

(1)明治12年の御朱印。墨書は「伊勢國縣社/多度神社/社務所」。中央と左下の朱印は「多度神社社務所之印」。

(2)昭和15年頃の御朱印。朱印は「多度社印」、現在のものとは文字の形などが少し違っている。

御由緒

多度大社は多度山の南麓に鎮座する。創祀については不詳だが、山中の磐座から30面もの銅鏡が発見されるなど、はるか古代に遡ると考えられている。

御祭神の天津彦根命は天照大神と素盞嗚尊の誓約〔うけい〕の際、天照大神の八坂瓊之五百箇御統から誕生した五柱の男神の一柱で、大神の御子神である。そのため、当社を「北伊勢大神宮」とも称するという。また、当地方を開拓した桑名首の祖神であることが『新撰姓氏録』に記されており、平安時代の初めには桑名地方の人々の総氏神として崇敬されていたであろうという。

別宮・一目連〔いちもくれん〕神社に祀られる天目一箇神は天津彦根命の御子神である。鍛冶の神であり、『古語拾遺』によれば伊勢国の忌部の祖とされる。当地方においては片目の龍神という伝承があり、雨乞いの神・風難除けの神として信仰を集める。

社伝によれば、雄略天皇の御代(457~79)に社殿が造営された。天平宝字7年(763)多度神の託宣により満願禅師が神宮寺を創建した。その経緯や伽藍配置、寺領などについては重要文化財の『多度神宮寺伽藍縁起併資財帳』に詳しく記されている。嘉承2年(849)真言別院とされ、法雲寺と号した。

皇室の崇敬篤く、延暦元年(782)従五位下を奉授されたのをはじめ、承和11年(844)従四位下、貞観元年(859)従二位、同5年(863)正二位に昇叙、弘長元年(1261)には正一位に進んだ。延喜の制では名神大社に列し、多度神宮寺は伊勢国准国分寺とされている。さらに後一条天皇、鳥羽天皇、六条天皇の御即位に際して一代一度の大奉幣に預かった。

中世に入ると、伊勢平氏も当社を深く崇敬し、軍神としても知られるようになった。『梁塵秘抄』には「関より東の軍神」として鹿島・香取・諏訪などとともに当社の名前が挙げられている。暦応年間(1338~41)の頃、多度祭の上げ馬神事が始まったという。

元亀2年(1571)織田信長の長島攻めの際、織田勢により焼き討ちされ、社殿や神宮寺の伽藍、神宝、旧記等灰燼に帰した。

慶長5年(1600)桑名藩主・本多忠勝より社領30石が寄進され、同10年(1605)には社殿が再建された。以来、歴代桑名藩主(本多氏・松平氏)は当社を深く崇敬した。

明治6年(1873)県社に列格。大正4年(1915)国幣大社に昇格した。平成8年(1996)多度大社と改称。

多度神宮寺は明治の神仏分離で廃寺とされた。落葉川のほとりに観音堂が建立され、本尊の十一面観音と千手観音が祀られたが、明治33年(1900)の集中豪雨で流出。翌年、小堂が再建され、両観世音菩薩像が安置された。昭和38年(1963)信者の寄進により改築されている。伊勢西国の三十三番札所で、多度大社が管理している。

5月の例祭(多度祭)に行われる「上げ馬神事」は、6名の少年が馬に乗って約2.5mの上げ坂を駆け上り、その成否で農作の時期や豊凶を占うというものである。南北朝時代の暦応年間(1338~41)の頃に始まったと伝えられ、昭和53年(1978)には三重県の無形文化財に指定された。

写真帖

  • 多度観音堂

    多度観音堂

  • 上げ坂

    上げ坂

  • 新宮社

    摂社 新宮社

  • 神馬舎

    末社 藤波社と神馬舎

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 白馬舎

    白馬舎

  • 美御前社

    摂社 美御前社

  • 於葺門

    於葺門

  • 本宮

    本宮 多度神社

  • 一目連神社

    別宮 一目連神社

メモ

谷川のほとりに本宮・多度神社と別宮・一目連神社の社殿が向かい合って立つ。神社の規模に比べて意外なほど小ぶりな社殿である。あくまで山そのもの、あるいは山中の磐座を依り代とする神霊が主体であって、社殿は対面の場でしかないことを思い出させる。社殿のなかった時代を彷彿とさせる神域である。
多度大社では本社の他、伊勢西国三十三番・多度観音堂の御朱印もいただくことができる。

多度大社の概要

名称 多度大社
旧称 多度神社 多度大神宮 北伊勢大神宮
御祭神 天津彦根命〔あまつひこねのみこと〕
〈相殿〉
面足尊〔おもだるのみこと〕
惶根尊〔かしこねのみこと〕
〈別宮 一目連神社〉
天目一箇神〔あめのまひとつのみこと〕
鎮座地 三重県桑名市多度町多度1681番地
創建年代 神代/雄略天皇の御代(457~79)に社殿造営
社格等 式内社 伊勢国二宮 旧国幣大社 別表神社
延喜式 伊勢國桑名郡 多度神社 名神大
例祭 5月4・5日(多度祭/上げ馬神事・流鏑馬神事)
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月3日/元始祭
1月最終日曜日/追儺祭
2月節分/節分祭
2月11日/紀元祭
2月17日/祈年祭
3月3日/桃花祭
3月春分の日/春季皇霊祭遙拝式
4月1日/神占祭・神御衣祭
4月3日/春季招魂祭・神武天皇祭遙拝式
5月6日/騎手奉賽祭
5月7日/祭馬慰霊祭
6月16日/御田植祭
6月30日/夏越の大祓式
8月11日・12日/ちょうちん祭り
9月8日/観月祭
9月9日/節句祭
9月15日/農家祭
9月秋分の日/秋季皇霊祭遙拝式
10月3日/秋季招魂祭
10月12日/松尾芭蕉翁顕彰祭
10月17日/神嘗祭奉祝祭・神嘗祭遙拝式
10月24日/満願禅師慰霊祭
11月8日/ふいご祭
11月23日/新嘗祭・流鏑馬祭
12月14日/崇敬者大祭
12月31日/師走の大祓式・除夜祭
文化財 〈重文〉金剛五鈷鈴 紙本墨書神宮寺伽藍縁起并資財帳(竹帙添) 銅鏡(30面)〈県有形文化財〉太刀〔銘:勢州桑名住藤原勝吉〕 短刀〔銘:(表)正重(裏)多度山権現〕〈県無形民俗文化財〉上げ馬神事 
巡拝 七福神など

交通アクセス

□養老鉄道「多度駅」より徒歩20分、またはバス
■コミュニティバス前山行き「多度大社前」下車すぐ

三重県の神社
神宮 皇大神宮(内宮) 鎮座地:伊勢市宇治館町 豊受大神宮(外宮) 鎮座地:伊勢市豊川町 月読宮 鎮座地:伊勢市中村町 瀧原宮 鎮座地:度会郡大紀町滝原 伊雑宮 鎮座地:志摩市磯部町上之郷 倭姫宮 鎮座地:伊勢市楠部町 月夜見宮 鎮座地:伊...
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