築土神社

築土神社

築土神社は、天慶3年(940)平将門縁の人々が京から首級を密かに持ち帰り、観音堂に祀って津久戸明神ことに始まると伝えられる。文明10年(1478)太田道灌が江戸城の北西に社殿を建立し、江戸城の鎮守とした。江戸城の拡張工事に伴い、元和2年(1616)筑土八幡神社(新宿区)の隣へ遷座したが、第二次大戦後、現在地に戻った。
千代田区の神社

正式名称 築土神社〔つくどじんじゃ〕
御祭神 天津彦火瓊々杵尊〈相殿〉平将門 菅原道真
社格等 旧村社
鎮座地 東京都千代田区九段北1-14-21 [Mapion | googlemap]
公式サイト http://www.tsukudo.jp/
東京は江戸時代以来、約400年にわたり日本の中心として繁栄してきた。そのため、江戸幕府や明治政府から特別の崇敬を受けた重要な神社がいくつ...
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御朱印

  • 築土神社の御朱印

    (1)

  • 築土神社の御朱印

    (2)

(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「築土神社」、左下は「築土神社社務所之章」。

(2)平成28年拝受の御朱印。中央の朱印は「築土神社」だが新しくなっているようである。右に平将門ゆかりの繋ぎ馬、右下に「築土神社々務所之印」。

御由緒

天慶3年(940)、藤原秀郷に討たれた平将門の首級は京へ運ばれ、都大路でさらされた。ゆかりの人々は密かにその首級を持ち帰り、豊島郡上平川村津久戸(現在の大手町付近)の観音堂に祀って、津久戸明神と称した。これが築土神社の創祀であるという。

戦前まで、将門公の首級を納めていたという桶が伝えられていたが、戦災で焼失し、今は写真が残るだけである。

文明10年(1478)、太田道潅が江戸城の北西に社殿を造営、江戸城の鎮守とした。天文21年(1552)上平河村の田安郷(現在の九段坂上からモチノキ坂のあたり)に遷座し、田安明神とも呼ばれるようになったという。

天正17年(1589)徳川家康が江戸に入ると、江戸城の普請に伴って氏子とともに牛込見附付近(現在のJR飯田橋駅のあたり)に移転した。さらに元和2年(1616)江戸城外堀の拡張のため、現在の新宿区筑土八幡町の筑土八幡神社隣に遷座し、築土明神と称した。しかし、氏子の大半は旧来の地に留まったため、神社と氏子地域が離れてしまうことになった(船河原町のみは新しい社地に近い市谷船河原町に移された)。

明治7年(1874)、氏子の請願により邇々杵尊を勧請して主祭神とし、築土神社と改称した。将門公は相殿神として祀るようになった。

昭和20年(1945)の米軍の空襲で社殿等一切が烏有に帰した。これを機に、翌21年(1946)氏子地域内の千代田区富士見に戻った。しかし同29年(1954)九段中学校(現・九段中等教育学校)建設のため、末社・世継稲荷境内地(現社地)に移転することとなった。

なお、神社の移転によってもっとも遠い氏子地域となった市谷船河原町には、飛地境内社の船河原町築土神社が建てられた。ここには幼い子どもを酷使して掘らせたという「堀兼の井」という井戸があったが、戦災で焼失している。

平成6年(1994)にコンクリート造の社殿等を新築し、社務所を含む境内は8階建ての九段アイレックスビルとなった(千代田区都市景観賞受賞)。その際、末社・木津川天満宮に祀られていた菅原道真公を相殿に祀った。

資料

牛込区史

築土神社

当社は元城内の三の丸の地に在ったが、天正十七年に牛込門内に移し、元和二年に再び今の地に移った。祭神は八幡太郎だとも云ひ、又諸書に大己貴命を祭ると考証し、俗説には平将門の首を祭って、血首大明神と崇めたともいふ。『江戸名所図会』に筑土は次戸とも記し、次戸は江戸の転訛であるから、当社は『武蔵風土記』に記す江戸神社であろうと言ってゐる。将門伝説は神田神社にもあり、同社は大己貴命と平将門とを合祀してゐるが、これについては「多祠元是進雄尊。土俗妄伝称将門。凶賊破家惟此事。神宮何不解誣冤」(『垂加文集』)のやうな否定説、「神田社大己貴命之鎮座。将門之社者去本殿百歩許」(『神社啓蒙』)のやうな摂社説もあって更に定説がない。けれども諸説によって、神田明神と築土明神の関係及び鎮座二神の関係は、考ふべき問題であることはわかる。尚ほ津久戸明神は川越氷川明神と同体であるから、素盞嗚尊を祭ったものであると『永享記』や『中古治乱記』やには記してあることも忘れてはならぬ。境内拝領地四千二百坪、昔は門前町屋があった。将門首桶と称するものを蔵して居り、其銘に「武蔵国江戸郷上平河村、天文壬子十一月十五日御せんくう之事」とある。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 世継稲荷神社

    末社 世継稲荷神社

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

  • 船河原町築土神社

    船河原町築土神社(新宿区市谷船河原町)

メモ

ビルの片隅に鳥居が建っており、奥に進むと築土神社の社殿が建っている。窮屈な境内ではあるが、目の前に切妻造り妻入りの社殿が聳えているため、小さいという感じがしない。古代的なデザインとコンクリート打ちっ放しの風合いが調和して、独特の景観を作っている。

築土神社の概要

名称 築土神社
旧称 津久戸明神 江戸明神 田安明神 築土明神
御祭神 天津彦火邇々杵尊〔あまつひこほのににぎのみこと〕
〈相殿〉
平将門公〔たいらのまさかどこう〕
菅原道真公〔すがわらのみちざねこう〕
鎮座地 東京都千代田区九段北一丁目14-21
創建年代 天慶3年(940)
社格等 旧村社
例祭 9月15日(築土祭)
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月3日/節分祭
4月11日/稲荷春祭
6月30日/夏越大祓
10月11日/稲荷秋祭
11月23日/新嘗祭
12月31日/除夜祭大祓

交通アクセス

□九段下駅(東西線・半蔵門線・都営新宿線)より徒歩1分
□神保町駅(半蔵門線・都営新宿線・都営三田線)より徒歩7分
□飯田橋駅(JR・有楽町線・南北線・都営大江戸線)より徒歩10分

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