第75番 五岳山 善通寺誕生院

善通寺誕生院御影堂

名称 屏風浦 五岳山 善通寺 誕生院
御本尊 弘法大師
所在地 香川県善通寺市善通寺町3-3-1 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://www.zentsuji.com/

【本尊真言】
南無大師遍照金剛

【御詠歌】
われ住まば よも消えはでじ善通寺 深き誓いの法のともしび

【略縁起】
弘法大師の三大霊蹟に数えられる善通寺の西院は弘法大師の父・佐伯直田公〔さえきのあたい たぎみ〕の邸宅跡とされ、誕生院と称する。大師は宝亀5年(774)御影堂のあたりで誕生されたと伝えられる。鎌倉時代に誕生院が置かれた。江戸時代まで善通寺と誕生院は別々の住職を置いていたが、明治時代に一つの寺となった。

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善通寺誕生院(西院)の納経(御朱印)

  • 75番善通寺誕生院の納経

    (1)

  • 善通寺誕生院の御朱印

    (2)

(1)平成4年拝受の納経。揮毫は「御誕生所」「弘法大師」「善通寺」。中央の宝印は蓮華座上の火炎宝珠に弘法大師を表す弥勒菩薩の種字「ユ」。右上の印は「同行二人」、左下は「弘法大師御誕生所屏風浦善通寺之印」。

(2)平成19年拝受の納経。揮毫・朱印ともに平成4年のものと同じ。

善通寺誕生院(西院)について

山号 五岳山(ごがくざん)
寺号 善通寺(ぜんつうじ)
院号 誕生院(たんじょういん)
御本尊 弘法大師
所在地 香川県善通寺市善通寺町三丁目3-1
創建年代 大同2年(807)または弘仁4年(813)
開山 弘法大師
宗派等 真言宗善通寺派 総本山

覚え書き

善通寺の境内は東院(伽藍)と西院に分かれる。西院は誕生院と称し、御影堂を中心として、御影の池や産湯の井戸など弘法大師ゆかりの遺跡が残る。江戸時代まで、善通寺と誕生院は別々に住職を置いていた。
宝亀5年(774)大師は当地にあった佐伯氏の邸宅で誕生した。現在の御影堂奥殿が大師の母・玉依御前の部屋があった場所、大師誕生の地と伝えられる。
寛元3年(1245)行蓮が木像御影を造立した際、寺の僧と相談して大師の誕生地に一堂を建立することを発願し、建長元年に工事を始めたという。これが誕生院の起こりである。
暦応3年(1340)善通寺中興の祖とされる宥範が本寺・随心院の別当から誕生院住持職を獲得して初代院主となった。宥範は寺領の回復・拡大や堂塔の再建を進め、衰退していた善通寺を再び隆盛に導いた。
御影堂には大師御自筆の「瞬目〔めひき〕大師」が祀られている。これは、大師が入唐される際、母公のため、御影の池に映った自分の姿を描いたものとされる。土御門天皇御拝覧の折、またたきをしたということから、この名を賜った。
また、親鸞堂には親鸞上人唯一の自刻像とされる「鎌田の御影」が祀られている。この像は、親鸞上人が下総国鎌田荘(現在の千葉県市川市)の信者・吉田源五左衛門易幹に与えたもので、法然上人が逆修塔を建てた善通寺に自分も詣でたいが果たせないので、この像を送るように言い残したものという。その後、吉田家で手厚く供養していたが、上人がしばしば夢に現れ、善通寺に送るように告げたので、三代目の孫である源次左衛門年幹というものが納めたという。
高野山奥の院には法然・親鸞両上人の墓所がある。弘法大師誕生の地と入定の地にこのような遺跡が残っていることに、大師あるいは真言宗の懐の深さを感じさせられる。

写真帖

  • 仁王門

    仁王門

  • 御影池

    御影池

  • 親鸞堂

    親鸞堂

  • 御影堂

    御影堂

  • 聖霊殿

    聖霊殿


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