明治39年(1906)はがきアルバムの御朱印

明治39年はがきアルバム

ここでは、今から110年以上前のはがきアルバム(明治39年~41年)に収められていた、寺社の朱印を押したはがき・絵はがきを紹介します。

明治の終わりから昭和の初めにかけて見られたはがき・絵はがきでの集印のごく早い例で、江戸時代以来の納経帳から大正以降の折り本式集印帖へ、あるいは信仰を中心とした巡礼に伴う御判の拝受から観光的な要素が強くなる集印への移行期の情況を知ることができる貴重な資料です。また、比較的少ない明治後半の御朱印という意味でも貴重です。

明治39年(1906)はがきアルバムの御朱印(1)
明治39年(1906)はがきアルバムの御朱印(2)
明治39年(1906)はがきアルバムの御朱印(3)

明治39年はがきアルバムについて

明治39年はがきアルバム

このはがきアルバムには102枚のはがき・絵はがきが収められていますが、メモや消印から日付がわかるものは約3分の1で、大半が明治39年のもの、ごく一部が明治40年と41年です。

収容枚数は100枚で、1枚は重ねて収納、1枚はページの間に挟まっていました。

はがきと絵はがきはすべて寺社の朱印が押されています。また、ほとんどは宛名面が空白ですが、郵便物として投函されたものもあります。また、はがき大の白紙に朱印を押したものもあります。つまり御朱印の保管のためのものであり、江戸時代以来の納経帳・順拝帳から大正時代に登場する折り本式集印帖(=現代の御朱印帳)への過渡的な形態と考えることができるでしょう。

※なお、この時代、まだ寺社の印の意味で「御朱印」を使ってはいませんでしたが、便宜上、御朱印と呼ぶことにします。

このアルバムの持ち主は、使用済みのはがきの宛名から小野という人物であることがわかります。明治39年時点では山陽鉄道の社員で、神戸市内に住んでいたようです。

山陽鉄道というのは現在のJR山陽本線などを敷設した企業です。現在の山陽電気鉄道とは関係がなく、明治42年に国有化されています。それを反映してか、明治42年のはがきの宛名は下関市の鉄道官舎になっています。明治39年のものに対して41年・42年のものが少ないのも、国有化に伴って仕事が忙しくなったからかも知れません。

時代背景

明治の終わりから昭和の初めにかけて、はがきや絵はがきに寺社の御朱印を押した例を見ることができます。筆者が見た中で一番古い例が、この明治39年のはがきアルバムです。これだけまとまった形で残っていることから、実際にはより早い時代から行われていた可能性はありますが、明治39年のいう年代に意味があると考えます。

明治39年というのは日露戦争の翌年になります。当時、「明治三十七八年戦役」と呼ばれた日露戦争は、絵はがきやスタンプが普及する大きなきっかけでした。

絵はがきと記念スタンプが初めて登場したのは明治35年の万国郵便連盟加盟二十五年記念です(参照:御朱印の歴史(3)旅行の自由化と記念スタンプ)。そして、日露戦争を契機に国威高揚・戦況報告・軍人慰問・戦勝記念などを目的とした絵はがきが発行され、未曾有の絵はがきブームが起こりました。ここから広く国民全体に絵はがきが普及することになったのです(参照:「絵はがきが語る日露戦争」平間洋一氏)。

はがきアルバムも、当時流行していた絵はがきのコレクションを目的としていたものでしょう。それを集印に使ったわけです。

さらに明治39年4月30日に青山練兵場で凱旋観兵式が、5月27日には海軍記念日が行われ、その記念スタンプをきっかけに空前のスタンプブームが起こっています。同年には寺社の行事の記念スタンプ、翌40年には参拝記念のスタンプも登場しています。

はがきに寺社の朱印をいただくというのは、はがきに記念スタンプを押すところから発想したという可能性も考えられるでしょう。従来の納経帳と違い、押印のみで墨書をしないというのも記念スタンプとの共通するように思われます。

同好の士の存在

投函されたはがき・絵はがきは、差出人として山本・徳田・藤井などの名前があります。これらの人が拝受した御朱印を、そのまま郵送したのでしょう。また、宛名面が空白の投函されてないはがきにも、南部・藤井・森・徳田などの名前が書かれている例があります。これらも、名前の人物が拝受し、小野氏に贈ったものと思われます。

このことから、当時、はがきで御朱印を拝受する同好の士のグループがあり、遠方の寺社に参拝したときなどは複数枚拝受して、お互いにやりとりをしていたと考えられます。当然、はがきアルバムの持ち主である小野氏も、自分が拝受した御朱印を贈ったことでしょう。

春日神社の御朱印(はがき) 春日神社の御朱印(はがき宛名面)

この推測を裏付けるのが、徳島市の春日神社の御朱印が押されたはがきです。私製はがきに朱印を押してもらっているのですが、宛名面に左右反転した朱印の跡があります。複数枚のはがきに拝受し、それを重ねて持ち帰ったと考えられるわけです。

また、このはがきアルバムとほぼ同時期のものとして、やはり明治40年頃に京都の人がはがきで集印をしている例があります。そこには団体で巡拝したり、仲間が遠方の寺社に参拝した際に代参としていただいた御朱印があり、同好の士のグループがあったことが裏付けられます。

旅行の自由化や交通機関の発達により、従来の信仰を主体とした巡礼から観光旅行に移行し、寺社の印も参拝記念という意味合いが強くなっていること、また、まだまだ交通網が未整備で遠距離の旅行は困難であったことから、代参として友人や同好の士のために御朱印を拝受することが少なくなかったというのが当時の状況だったのでしょう。

寺社一覧

はがきアルバムに収められていた順番に従います。必ずしも拝受日の順番ではないようです。所在地は現在の住所です。金刀比羅宮など重複している寺社もいくつかありますが、そのままにしています。

  寺院名 現在の名称 所在地
1 金峯山寺   奈良県吉野町
2 勝尾寺   大阪府箕面市
3 西大寺   岡山市東区
4 眉山天神社   徳島県徳島市
5 観音寺   徳島県徳島市
6 春日神社   徳島県徳島市
7 沼名前神社   広島県福山市
8 長谷寺   神奈川県鎌倉市
9 鹽竈神社   宮城県塩竈市
10 鎌倉宮   神奈川県鎌倉市
11 柿本神社   兵庫県明石市
12 大瀧山薬師堂 常慶院滝薬師 徳島県徳島市
13 金刀比羅神社   徳島県徳島市
14 鶴岡八幡宮   神奈川県鎌倉市
15 竹生島宝厳寺   滋賀県長浜市
16 国瑞彦神社   徳島県徳島市
17 三井寺   滋賀県大津市
18 清水寺   京都市東山区
19 屋島寺   香川県高松市
20 円教寺   兵庫県姫路市
21 八島桜庵 (遍照院?) 香川県高松市
22 東大寺大仏殿   奈良県奈良市
23 屋島寺   香川県高松市
24 多家神社   広島市府中町
25 金刀比羅宮   香川県琴平町
26 摂津天満宮 大阪天満宮 大阪市北区
27 摩耶山蓮花院 (廃寺) 神戸市灘区
28 能福寺(兵庫大仏)   神戸市兵庫区
29 行願寺(革堂)   京都市中京区
30 頂法寺(六角堂)   京都市中京区
31 慈照寺(銀閣寺)   京都市左京区
32 賀茂御祖神社   京都市左京区
33 高照院 天皇寺 香川県坂出市
34 和田神社   神戸市兵庫区
35 土師神社 道明寺天満宮 大阪府藤井寺市
36 橿原神宮   奈良県橿原市
37 仁徳寺 学文路刈萱堂 和歌山県橋本市
38 成相寺   京都府宮津市
39 中山寺   兵庫県宝塚市
40 長谷寺   奈良県桜井市
41 南法華寺(壺阪寺)   奈良県高取町
42 南法華寺の御影   奈良県高取町
43 智恩寺(切戸文殊)   京都府宮津市
44 高野山奥之院   和歌山県高野町
45 讃岐国分寺   香川県高松市
46 葛井寺   大阪府藤井寺市
47 金刀比羅宮   香川県琴平町
48 成相寺   京都府宮津市
49 石山寺   滋賀県大津市
50 永観堂禅林寺   京都市左京区
51 仁和寺   京都市右京区
52 海岸寺   香川県多度津町
53 天龍寺   京都市右京区
54 仁和寺   京都市右京区
55 亀山八幡宮   山口県下関市
56 興福寺南円堂   奈良県奈良市
57 東大寺二月堂   奈良県奈良市
58 出水神社   熊本市中央区
59 本妙寺   熊本市西区
60 生国魂神社   大阪市天王寺区
61 高津宮   大阪市中央区
62 一乗寺   兵庫県加西市
63 藤崎八旛宮   熊本市中央区
64 錦山神社 加藤神社 熊本市中央区
65 郷照寺   香川県宇多津町
66 普賢寺   山口県光市
67 讃岐国分寺   香川県高松市
68 須磨寺   神戸市須磨区
69 厳島神社   広島県廿日市市
70 浅間神社 奥宮 富士山本宮浅間大社 静岡県富士宮市
71 善通寺   香川県善通寺市
72 東福寺   京都市東山区
73 千光寺   広島県尾道市
74 六波羅蜜寺   京都市東山区
75 今熊野観音寺   京都市東山区
76 妙厳寺(豊川稲荷)   愛知県豊川市
77 金乃神社 (廃社/金光教本部) 岡山県浅口市
78 道隆寺   香川県多度津町
79 善通寺   香川県善通寺市
80 海岸寺   香川県多度津町
81 清水寺   京都市東山区
82 知恩院   京都市東山区
83 松尾寺   香川県琴平町
84 長命寺   滋賀県近江八幡市
85 松尾寺   香川県琴平町
86 瀧宮神社(瀧宮天満宮?)   香川県綾川町
87 七仏寺   香川県善通寺市
88 永観堂禅林寺   京都市左京区
89 浅草寺   東京都台東区
90 湯島神社 湯島天満宮 東京都文京区
91 金刀比羅宮   香川県琴平町
92 鹿苑寺(金閣寺)   京都市北区
93 羅漢寺   大分県中津市
94 羅漢寺   大分県中津市
95 筥崎宮   福岡市東区
96 箕面山   大阪府箕面市
97 太宰府神社 太宰府天満宮 福岡県太宰府市
98 和布刈神社   北九州市門司区
99 赤間宮 赤間神宮 山口県下関市
100 宮崎宮 宮崎神宮 宮崎県宮崎市
102 和布刈神社   北九州市門司区
103 和布刈神社   北九州市門司区
明治39年(1906)はがきアルバムの御朱印(1)
明治後期のはがきアルバムに収められた、寺社の朱印が押されているはがき・絵はがきの紹介。明治後期から昭和の初めにかけてはがきや絵はがきに寺社の印を受けている例があるが、その中でも最も早い時期のもの。江戸時代以来の納経帳から折り本式集印帖での集印に移行する過渡的な段階といえる。
明治39年(1906)はがきアルバムの御朱印(2)
明治後期のはがきアルバムに収められた、寺社の朱印が押されているはがき・絵はがきの紹介。明治後期から昭和の初めにかけてはがきや絵はがきに寺社の印を受けている例があるが、その中でも最も早い時期のもの。江戸時代以来の納経帳から折り本式集印帖での集印に移行する過渡的な段階といえる。
明治39年(1906)はがきアルバムの御朱印(3)
明治後期のはがきアルバムに収められた、寺社の朱印が押されているはがき・絵はがきの紹介。明治後期から昭和の初めにかけてはがきや絵はがきに寺社の印を受けている例があるが、その中でも最も早い時期のもの。江戸時代以来の納経帳から折り本式集印帖での集印に移行する過渡的な段階といえる。
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