新着情報:
21.01.19.御朱印が押された絵はがき(中四国・九州)を掲載しました。
21.01.03.御朱印が押された絵はがき(関西)を掲載しました。
20.10.25.御朱印が押された絵はがき(東北・関東・中部)を掲載しました。
20.10.08.御朱印が押された絵はがき(京都府)を掲載しました。
20.08.08.歴代天皇の新旧御陵印(1)等に昭和初期の御陵印を追加しました。
20.07.10.明治39年(1906)はがきアルバムの御朱印(3)を掲載しました。
20.07.02.明治39年(1906)はがきアルバムの御朱印(2)を掲載しました。
20.06.24.明治39年(1906)はがきアルバムの御朱印(1)を掲載しました。
20.06.24.明治39年(1906)はがきアルバムの御朱印(概要)を掲載しました。
20.06.20.海外廃絶神社の御朱印に南洋神社と彩帆神社の御朱印を追加しました。
20.03.07.天保15年(1844)六十六部の納経帳(6)を掲載しました。
20.02.11.天保15年(1844)六十六部の納経帳(5)を掲載しました。
20.02.09.兵庫県西宮市の廣田神社境外摂社・岡田神社を掲載しました。
20.02.08.兵庫県西宮市の廣田神社境外摂社・名次神社を掲載しました。
20.02.07.兵庫県西宮市の廣田神社境外摂社・南宮神社を掲載しました。
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その他
サイトの趣旨
「御朱印」とは神社仏閣を参拝した証としていただくもので、一般的にはその名の通り朱印のみ、あるいは朱印と揮毫(スタンプ・印判の場合もあり)の組み合わせからなっています。
ときに黒印その他の色の印を押したり、揮毫のみということもありますが、その場合でも御朱印と呼ばれます。また最近は絵を描くような例もありますので、御朱印という文字にとらわれず、参拝の証しとして定義するのが実態に合っているのではないかと思われます。
その起源は寺社が六十六部廻国聖に対して納経(写経を奉納すること)の証しとして出した「納経請取状」にあります。江戸時代になって「納経帳」という形になり、次第に四国八十八ヶ所や西国三十三所と巡る庶民にも普及しました。現在のような折り本式の集印帖が登場したのは大正時代の半ばで、昭和の初めに御朱印と呼ばれるようになったようです。
これまで御朱印は学問的な関心の対象になったことがありませんでした。その歴史などについてのきちんとした文献や研究は存在しておらず、わずかに六十六部廻国聖や四国八十八ヶ所の研究などで言及されているに過ぎません。
当サイトでは私自身が神社仏閣を参拝して拝受した平成の御朱印をはじめ、江戸時代から昭和に至る納経帳・集印帖などを紹介しながら、御朱印について総合的に探求しています。
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