寶田恵比寿神社

寶田恵比寿神社

べったら市で知られる宝田恵比寿神社は徳川家康の江戸入府以前から宝田村(今の東京駅付近)の鎮守として祀られていた。宝田村が日本橋に移転して大伝馬町となった際にともに遷座し、旧村名に因んで宝田稲荷と称した。当社に奉安している恵比寿神像は大伝馬町の名主となった初代・馬込勘解由が徳川家康から拝領したものと伝えられる。

正式名称 宝田神社〔たからだじんじゃ〕
通称 宝田恵比寿神社 宝田稲荷神社
御祭神 宇迦之御魂神 素盞嗚命 大国主命 少彦名命 事代主命
社格等 旧無格社
鎮座地 東京都中央区日本橋本町3-10-11 [Mapion | googlemap]
最寄り駅 新日本橋(JR総武本線)
三越前(銀座線・半蔵門線)
小伝馬町(日比谷線)
スポンサーリンク
サイト内検索
広告レクタングル(大)




御由緒

宝田恵比寿神社は徳川家康が江戸に入府する以前から、今の東京駅付近にあった宝田村の鎮守として祀られていたという。

宝田村は慶長11年(1606)江戸城の拡張に伴って日本橋に移転し、大伝馬町となった(現在の日本橋本町三丁目と日本橋大伝馬町一丁目あたり)。この時、大伝馬町の名主となった馬込勘解由が邸内に奉斎し、旧村名に因んで宝田稲荷と称した。その後、文政年間(1818~30)に馬込邸内より現在地に遷座したという。

馬込勘解由は遠江国馬込村の郷士で、徳川家康が幼少の頃から仕え、戦の道具や兵糧の運搬を担当していたという。家康の江戸入府に随行し、宝田村に居住するようになる。大伝馬町への移転に功績があり、その名主となった。また、馬込勘解由は家康から道中伝馬役を命じられており、大伝馬町の名もそれに因むものである。

なお、当社の御神体である恵比寿像は、馬込勘解由が徳川家康より拝領したもので、運慶の作とも左甚五郎の作とも伝えられる。

大伝馬町には木綿問屋が多く、毎年1月と10月の20日には盛大に恵比寿講が行われた。その前日の19日晩には宝田稲荷を中心に恵比寿講市が開かれたが、特に10月が盛んで、恵比寿講に供える魚や野菜、神棚などの他、浅漬け大根のべったら漬けが売られたことから「べったら市」と呼ばれるようになった。今でも500軒もの露店が軒を連ね、秋の風物詩として多くの人で賑わっている。

御朱印

  • 宝田恵比寿神社の御朱印

    (1)

  • 宝田恵比寿神社の御朱印

    (2)

  • 宝田恵比寿神社の御朱印

    (3)

(1)平成18年、正月の日本橋七福神巡拝でいただいた御朱印。中央の朱印は「福神璽」、下の印は「寶田恵比寿神社」。

(2)平成22年、べったら市でいただいた御朱印。中央に恵比寿神の御神影、上下の印は「福神璽」(下の印影が不鮮明だったため、上に押し直したようだ)。

(3)平成28年、日本橋七福神巡拝でいただいた御朱印。上の印は「福神璽」、中央に恵比寿様の御神影、下は「寶田恵比寿神社」。

写真帖

  • 社殿

    社殿

  • べったら市当日

    べったら市の日の宝田恵比寿神社

  • べったら市神社前

    べったら市・神社前の通り

  • べったら漬けの屋台

    べったら漬けの屋台

  • べったら市の賑わい

    べったら市の賑わい

メモ

一般に宝田恵比寿神社として知られているが、正式な名称は「宝田神社」のようである。
正月の日本橋七福神巡拝と10月のべったら市には町会の方が御朱印の対応をしてくださる。ただし内容は同じもののようで、どちらにも「日本橋べったら市」と入る。

宝田恵比寿神社の概要

名称 宝田神社
通称 宝田恵比寿神社
旧称 宝田稲荷神社
御祭神 宇迦之御魂神〔うかのみたまのかみ〕
素盞嗚命〔すさのおのみこと〕
大国主命〔おおくにぬしのみこと〕
少彦名命〔すくなひこなのみこと〕
事代主命〔ことしろぬしのみこと〕
鎮座地 東京都中央区日本橋本町三丁目10-11
創建年代 慶長11年(1606)以前
社格等 旧無格社
例祭 10月19日~20日(べったら市)
神事・行事 1月20日/初恵比寿祭
巡拝 日本橋七福神

交通アクセス

□新日本橋駅(JR)より徒歩2分
□小伝馬町駅(日比谷線)より徒歩3分
□三越前駅(銀座線・半蔵門線)より徒歩5分


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

スポンサーリンク
サイト内検索
広告レクタングル(大)




サイト内検索
広告レクタングル(大)




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする