社伝によれば天智天皇4年(665)藤原鎌足が東国に下向した際、香取神宮の御分霊を勧請したことに始まる。藤原秀郷が平将門追討の際に戦勝を祈願し、乱の鎮定後、弓矢を奉納して「勝矢」と名付けた。これに因んで5月5日には勝矢祭が行われる。古くから武道の神として尊崇され、近年ではスポーツ振興の神としても信仰を集めている。
正式名称 | 香取神社〔かとりじんじゃ〕 |
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通称 | 亀戸香取神社〔かめいど かとりじんじゃ〕 |
御祭神 | 経津主神 〈相殿〉武甕槌神 大己貴神 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都江東区亀戸3-57-22 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://katorijinja.jp/ |
御朱印
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(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「香取神社」、右上に「亀戸福神」。
(2)平成28年拝受の御朱印。中央・右上の朱印は平成17年と同じ。左下に「香取神社社務所印」、右に「奉祝御鎮座一三五〇年記念」。
(3)亀戸七福神、恵比寿神・大国神の御朱印。平成19年拝受。朱印は通常の朱印と同じで、揮毫のみ「恵比寿神」「大国神」。
御由緒
その昔、亀戸は亀の形をした小さな島で、亀島とか亀津島と呼ばれていたという。
社伝によれば、天智天皇4年(665)藤原鎌足が東国へ降った際、この島に香取大神を勧請し、太刀一振りを奉納して旅の安全を祈願した。これが当社の起源であるという。ただし『新編武蔵風土記稿』によれば、寺社帳には応安4年(1371)鎮座とあるという。いずれにせよ江戸開府以前からの古社である。
承平天慶の乱に際し、平将門の追討に向かった藤原秀郷は、戦勝祈願のために当社に参籠した。乱の鎮定後、奉賽として弓矢を奉納し、「勝矢」と命名した。5月5日に行われる勝矢祭は、この故事に因むものである。
このような由緒や武道の神として崇敬された香取大神の神徳に因み、現在ではスポーツ振興の神として広く崇敬を集めているとのことである。
明治5年(1872)村社に列格。昭和20年(1945)空襲で社殿が焼失し、同23年(1948)再建。現在の社殿は同63年(1988)に落成したものである。
また、当社の神輿は、担ぐと屋根と胴と台座が別々の動きをするという珍しいもので、俗に「こんにゃく神輿」と呼ばれる。全国でも九州と当社の2基しかないとのこと。
補足
境内に鎮座する末社の内、福神社は亀戸七福神の大国神と恵比寿神が祀られている。もともと亀戸七福神は、ここの大国・恵比寿を中心として、周囲の寺社に残りの福神を配して成立したものらしい。また、その隣の稲足神社は、あきる野市の稲足神社の元宮になる。天祖神社は太平榎塚にあった入神明宮〔いりのしんめいぐう〕を昭和63年(1988)香取神社境内に遷したもので、江東区内で最も古い神社とされる。
写真帖
メモ
亀戸天神社のすぐ近くに鎮座する。大きい神社ではないが、見所が多い。特に桜の季節はお勧めで、拝殿前の枝垂れ桜をはじめ、参道には数種の八重桜が咲き乱れ、なかには黄緑色の花を咲かせる「鬱金」もある。
境内に入ると木遣音頭碑、亀戸大根之碑などがある。亀戸大根は江戸時代も末期の文久年間(1861~64)頃に当社の付近で栽培が広がったという。大きさはニンジンより少し大きいぐらいで、お多福大根などと呼ばれたそうだ。
拝殿脇には水かけ大国・恵比寿の像がある。その側には、亀戸の名の由来とされる亀ヶ井が復元されている。
亀戸香取神社の概要
名称 | 香取神社 |
---|---|
通称 | 亀戸香取神社 |
旧称 | 葛飾神社 香取大神宮 |
御祭神 | 経津主神〔ふつぬしのかみ〕 〈相殿〉 武甕槌神〔たけみかづちのかみ〕 大己貴神〔おおなむちのかみ〕 |
鎮座地 | 東京都江東区亀戸三丁目57番22号 |
創建年代 | 伝・天智天皇4年(665) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 8月4日~10日の日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 1月3日/元始祭 1月7日/七草祭 1月成人の日/成人祝奉告祭 1月19日/末社・三峯神社例祭 2月3日/節分祭 2月11日/紀元祭 3月第2または第3日曜日/亀戸大根収穫祭・福分けまつり 3月15日/祈年祭 4月初旬/植木市 4月29日/古武道奉納演武大会 5月5日/勝矢祭(武者行列) 6月30日/大祓式 9月16日/末社・天祖神社例祭 10月15日/末社・福神社例祭 11月15日/七五三祝祭 11月23日/新嘗祭 11月3日/鎮魂祭(星祭) 12月31日/除夜祭 |
巡拝 | 亀戸七福神(恵比寿神・大国神) |
交通アクセス
□JR総武線・東武亀戸線「亀戸駅」より徒歩10分。
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