洲崎神社(深川)

洲崎神社

正式名称 洲崎神社〔すさきじんじゃ〕
御祭神 市杵島比売命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都江東区木場6-13-13 [Mapion|googlemap]

【由緒概要】
元禄年間(1688~1704)富岡八幡宮の東を埋め立ててできた洲崎の地に、護持院の隆光大僧正が弘法大師御作と伝えられる弁財天を祀ったことに始まる。江戸時代は風光明媚なことで知られ、初日の出や汐干狩、月見、船遊びなど四季折々の行楽で賑わったという。明治の神仏分離により洲崎神社と改称した。

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洲崎神社の御朱印

  • 洲崎神社の御朱印

平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「洲崎神社」、左下は「洲崎神社社務所之印」。

洲崎神社について

名称 洲崎神社
通称・旧称 洲崎弁財天社 洲崎弁天 弁天社
御祭神 市杵島比売命〔いちきしまひめのみこと〕
鎮座地 東京都騎馬六丁目13番13号
創建年代 元禄13年(1700)
社格等 旧村社
例祭 8月3日
神事・行事 1月1日/元旦祭
2月節分/節分祭
旧2月上午の日/初午祭
11月酉の日/酉の市
12月31日/大祓式

御由緒

当社が鎮座する洲崎は、元禄年間(1688~1704)幕命により深津正国が富岡八幡宮の東を埋め立ててできた土地である。

元禄13年(1700)護持院の隆光大僧正がこの地に社殿を建立し、江戸城内紅葉山より弁財天を遷し祀って洲崎弁財天社と称した。この弁財天は5代将軍綱吉の生母・桂昌院の守り本尊で、弘法大師の御作と伝えられる。別当は海潮山吉祥寺であった。

弁天社は海岸に面した土手の先端にあり、風光明媚なことで知られていた。あたりは初日の出や汐干狩、月見、船遊びなど四季折々の行楽で賑わい、その様子は歌川広重の錦絵などにも描かれている。

明治の神仏分離により洲崎神社と改称。明治5年(1872)村社に列格した。

関東大震災や第二次大戦の戦災により社殿は焼失したが、弘法大師御作の御神体は難を免れた。現在の社殿は昭和43年(1968)の再建である。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 波除碑

    波除碑(津波警告の碑)

  • 名人竿忠之碑

    名人竿忠之碑

  • 豊川稲荷神社

    豊川稲荷神社

  • 於六稲荷神社

    於六稲荷神社

  • 拝殿

    拝殿

  • 社号額

    社号額

  • 本殿

    本殿

  • 弁天社

    弁天社

メモ

かつては海岸の景勝地であったというが、明治以降の埋め立てのため、その面影はまったく残っていない。
境内の片隅に「波除碑」がある。寛政3年(1791)高潮により深川洲崎は甚大な被害を受け、多数の死者・行方不明者が出た。これを重視した幕府は洲崎弁天社の西側一帯を買い上げて空き地とし、その両端に二基の「波除碑」を建てた。洲崎神社境内にあるのは東側の一基で、『江戸名所図会』の洲崎弁財天社の挿絵にも描かれている。


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