かつては「御朱印」というと、「御朱印船」「御朱印地」というように、将軍が発給する「朱印状」もしくはそれによって安堵された土地のことを指していた。
神社仏閣で参拝の証しとしていただく記帳押印を「御朱印」と呼ぶようになったのは昭和の初めのことである。それまで、寺社でいただく記帳押印に決まった名前はなかったようだ。
寺社でいただく印を「御朱印」と呼ぶようになった背景として考えられるのが、昭和初期に起こった空前のスタンプ(集印)ブームである。
ブームによって登場したスタンプ蒐集家たちは、神社や寺院でいただく印も、スタンプの一種のように扱ったようである。このような風潮に対する危機感から、一般のスタンプや記念印と差別化しようとしたと考えられる。その一環として、御朱印と呼ぶようになったのであろう。
「御朱印はスタンプラリーではない」という言い方がされるが、この時代の状況を背景にしているのではないかと思われる。
昭和初期は、現代のような「御朱印」がほぼ確立した時代ということができるだろう。
※上の画像は、中央が伊香保神社、右ページ上が東武伊香保軌道線(昭和31年廃止)伊香保駅の駅スタンプ、下が伊香保郵便局の風景印、左ページが伊香保温泉の記念スタンプ。
「御朱印」という名称
大正13年(1924)に朝日新聞社から『御成婚奉祝 神社山陵参拝記』という本が発行されている。皇太子殿下(昭和天皇)の御成婚を記念し、朝日新聞の記者4組8人が全国の神社と神武天皇陵・明治天皇陵を参拝するという企画を行い、その道中記をまとめたものである。
各グループは「参拝帳」を携行し、参拝の証しとして各神社・山陵の印をいただくのだが、その印を示す名称として「印顆」「社印」「御印」「御判」などを使っているが、「朱印」「御朱印」は見られない。つまり、大正13年の時点で「御朱印」という言葉は使われていなかったと考えられる。
一方、昭和10年(1935)11月に野ばら社から昭和11年版児童年鑑・学友年鑑・昭和年鑑の共通別冊として発行された『集印帖』の冒頭には、「著名社寺御朱印集」が掲載されている。
つまり、「御朱印」という名称が使われるようになったのは、大正13年以降、昭和10年以前ということになる。
そして、この時期にあったのが、空前のスタンプブームなのである。
昭和のスタンプブーム
江戸時代以来の寺社で朱印をいただくという伝統の上に、大正から昭和にかけての旅行ブーム、大正半ばの折り本式集印帖の登場により、神社仏閣のみならず、山岳や城郭、庭園など各地の名所旧跡でも記念の印やスタンプを押すようになった。
さらに昭和6年(1931)に郵便局の風景印と鉄道の駅スタンプが登場、全国に広がった(当時日本が統治していた台湾・朝鮮・樺太・南洋、さらに満鉄の駅を含む)。
これがきっかけとなって、昭和10年(1935)頃、空前のスタンプブームが起きた。マニアックなスタンプ蒐集家が出現し、巡礼のように各地を回ってスタンプを集めたという。旅行に行ってスタンプを集めるのではなく、スタンプを集めるために旅行をするわけだ。
スタンプも観光地のみならず、旅館・ホテルや商店、鉄道、船など、あらゆる施設が作成したといっても過言ではない。さらにさまざまなシリーズもののスタンプがされ、デパートでは有料のスタンプ押印会が開かれて多くの客を集めた。中には役場の印まで集印帖に押してもらっている強者もいる。
これらのスタンプ蒐集家の中には、神社やお寺で授与される印もスタンプの一種として扱う人が少なからずいたようである。同じ集印帖にスタンプと寺社の印が混在するのはもちろんのこと、神社の印をいただいたページに他のスタンプを押すという酷い例も見かけられる。
もちろん、そういう極端な例は少数で、きちんと寺社の印を大切に扱っている集印帖が多数あるのだが、少数の不心得者が全体の心証を悪くするのは現代の御朱印転売問題と同様である。
こういう風潮を背景として、神社やお寺で授与する印の意義・価値を見直そうという動きが起きたのではないだろうか。「御朱印」という名称が使われるようになったのも、その一環だと考えられる。
因みに、スタンプラリーというのは和製英語で、シャチハタのスタンプラリー研究所によると、自動車の世界ラリー選手権が初めて開催された昭和48年(1973)あるいはスーバーカーブームが起きた昭和49年(1974)から53年(1978)頃に使われるようになったらしいとのことである。外来の文化ではなく、直接の起源は昭和のスタンプコレクション(集印)である。
「御朱印はスタンプラリーではない」という言い方は、こういう時代があったことを背景にしているものと思われる。
宗教的価値の再確認
そのような意識を伺わせるのが、一部の神社における朱印の変更である。
昭和の初め、伊勢神宮・熱田神宮・橿原神宮などでは、よく知られている「内宮参拝」「外宮参拝」の丸印をはじめ、参拝記念としての要素が強い印を用いていた。ところが、昭和10年代になると、いずれも「参拝」の文字をなくしている。
朱印に「参拝」の文字を入れるのは、あくまで「参拝記念」であって、宗教的意味を持たせないようにするという意識が働いているように思われる。逆に、「参拝」の文字をなくすのは、宗教的価値を持った尊いものであることを示そうということであろう。
神社で朱印に宗教的価値を持たせなかったのは、仏教的な納経を起源とすることに対する否定的な価値観と、寺社に参拝したときには朱印をいただくという伝統習慣との妥協点だったのではないだろうか。実際、伊勢神宮は大正の終わりまで御朱印を授与していなかった可能性が高い。
ところが、いくら参拝記念とはいえ、神社で授与する正式の印を他のスタンプと同列に扱うような風潮が起こったため、単なるスタンプではなく、宗教的な価値を持った尊いものであることを強調する必要に迫られたのであろう。
これらの朱印の変更は、寺社の印を「御朱印」と呼ぶようになったことと連動していると考えられるのである。