伎楽山 妙音寺(池の妙音寺)

池の妙音寺

名称 伎楽山 妙音寺
通称 池の妙音寺
祖師像 読経開運之祖師
所在地 東京都台東区松が谷1-14-6 [Mapion|googlemap]

【略縁起】
慶長15年(1610)駿河国の蓮永寺にいた安立院日雄上人が夢で妙音弁財天のお告げを受け、自ら刻んだ弁財天の尊像を奉じて江戸に下り、馬喰町に寺地を拝領して一寺を建立したことに始まる。明暦の大火の後、弁天池のほとりの現在地に移転し、池の妙音寺と呼ばれた。弁財天は妙音堂に祀られ、芸能音楽の守護神として信仰を集めたという。

スポンサーリンク
サイト内検索
広告レクタングル(大)

妙音寺の御首題

  • 池の妙音寺の御首題

御題目の両脇に「我此土安穏」「天人常充満」。右上には「江戸十祖師」「読経開運之祖師像」。中央の朱印は「妙法蓮華経…」とあるのだが、続きが読めない。下の印は「伎楽山妙音寺」。

妙音寺について

山号 伎楽山(ぎがくざん)
寺号 妙音寺(みょうおんじ)
院号
通称 池の妙音寺
御本尊 三宝尊
祖師像 読経開運之祖師
所在地 東京都台東区松が谷一丁目14番6号
創建年代 慶長15年(1610)
開山 安立院日雄上人
宗派等 日蓮宗

覚え書き

台東区立松葉小学校のすぐ西にある。山門を入ると、すぐ左手に妙音弁財天を祀る妙音堂があり、周囲に弁天池がある。江戸時代、この池は今よりずっと広く、蓮が繁茂していたことから、蓮寺あるいは池の妙音寺と通称された。蓮の花の季節には多くの参詣者で賑わったという。

寺伝によれば、慶長15年(1610)駿河国の蓮永寺(静岡市葵区)にいた安立院日雄上人は、夢で妙音弁財天から江戸で妙法を広めるようお告げを受けた。それが三晩に及んだため、上人は自ら弁財天の尊像を刻み、江戸へ下った。そして、富田半七(華光院日性)の発願により馬喰町に寺地を拝領して一寺を建立し、弁財天の夢告の霊験に因み、伎楽山妙音寺と称した。

明暦3年(1657)振袖火事(明暦の大火)により、堂宇等ことごとく焼失した。当時の住職であった持唱院日宣上人は、夢に天女が現れ、ここより艮の方角に霊池があるので、その池辺を弘通の道場とせよと告げられた。そこで、替地として現在の地を拝領し、万治元年(1658)堂宇を建立、池のほとりに妙音堂を創建し、弁財天を勧請した。

以来、伎楽の天女として信仰を集め、初代若柳寿童、初代芳村伊四郎、五代目尾上菊五郎丈、清元延寿太夫、藤間勘十郎らが篤く信仰したという。

広くはないが、手入れが行き届き、すっきりした境内。小さくなってしまった弁天池では鯉が泳いでいる。参拝時、ご住職は夕方にならないと帰ってこないということだったので、近くの寺を廻った後、再度参拝、御首題をいただいた。

寺号や由緒から見て、明らかに妙音弁財天の信仰を中心とする寺であるのに、なぜ十大祖師に数えられるようになったかについては、よくわからないとのこと。ただ、祖師像は読経像だが珍しく大きなものということで(御首題には「読経開運之祖師」とあった)、せっかくだから本堂に上がってお参りするよう勧められ、ゆっくり拝見させていただいた。

写真帖

  • 山門

    山門

  • 題目碑

    題目碑

  • 妙音堂

    妙音堂

  • 弁天池

    弁天池

  • 金色養蚕大明神

    金色養蚕大明神

  • 本堂

    本堂

  • 本堂の扁額

    本堂の扁額「常楽殿」


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

スポンサーリンク
サイト内検索
広告レクタングル(大)
サイト内検索
広告レクタングル(大)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする