名称 | 妙祐山 宗林寺 |
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通称 | 谷中宗林寺 萩寺 |
祖師像 | 舟守祖師 |
所在地 | 東京都台東区谷中3-10-22 [Mapion|googlemap] |
【略縁起】
天正7年(1579)徳川家康の茶の師であった斎藤宗林を開基として駿府に創建された。家康の江戸入府に従って神田に移転、上野東寺町を経て元禄14年(1701)現在地に移った。この辺りは蛍沢と呼ばれた蛍の名所であり、また萩の名所でもあったことから萩寺の名がある。祖師像は日蓮上人が伊豆に配流された際、舟守弥三郎に与えたという舟守祖師である。
宗林寺の御首題
中央の朱印は「谷中 蛍澤 宗林寺」、左上は「谷中 蛍澤 萩寺」、左下は「妙祐山 宗林寺」。
宗林寺について
山号 | 妙祐山(みょうゆうざん) |
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寺号 | 宗林寺(そうりんじ) |
院号 | - |
通称 | 谷中宗林寺 萩寺 |
御本尊 | 三宝尊 |
祖師像 | 舟守祖師(厄除祖師) |
所在地 | 東京都台東区谷中三丁目10-22 |
創建年代 | 天正7年(1579) |
開山 | 玄龍院日辰上人 |
開基 | 斎藤宗林 |
宗派等 | 日蓮宗 |
覚え書き
徳川家康の茶道の師であったとされる斎藤宗林を開基として、天正7年(1579)駿府で創建された。その後、家康の江戸入府に従い、神田昌平橋外に寺地を与えられて移転したという。現在も静岡に妙祐山宗林寺がある。その後、上野東寺町へ移り、さらに元禄14年(1701)現在地に移転したという。
江戸時代は本所の法恩寺、浅草・田甫の幸龍寺(現在は世田谷区北烏山に移転)とともに京都・本圀寺の江戸触頭であった。このあたりは「蛍沢」と呼ばれた蛍の名所であり、また萩の名所であったことから「萩寺」とも呼ばれた。今も境内には多くの萩が植えられている。
江戸十大祖師の一とされる舟守祖師は、弘長元年(1261)伊豆に流罪となった日蓮聖人が船守弥三郎夫妻に与えた自刻の像と伝えられる。
船守弥三郎夫妻は船酔いに苦しむ日蓮聖人に真心からの世話をし、その教えに帰依した。日蓮聖人はその志に感じ入り、形見として自らの姿を刻み、弥三郎夫妻に与えた。人々はこれを舟守の祖師と称し、霊験あらたかなことから信仰を集めたという。
その後、赤山石神町の杉山弥治兵衛というものが感得し、代々丁重に祀っていた。しかし、その霊験が極めてあらたかであったため、非礼があってはならないと畏れ、宗林寺に納めたとされる。
なお、本堂の扁額には「厄除高祖」とあり、ご住職も厄除祖師とおっしゃっていた。