氷川神社(大氷川)

氷川神社

正式名称 氷川神社〔ひかわじんじゃ〕
通称 大氷川〔おおひかわ〕
御祭神 須佐之男尊
社格等 旧郷社
鎮座地 東京都練馬区氷川台4-47-3 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://hikawadaihikwajinja.web.fc2.com/

【由緒概要】
氷川台の氷川神社は長禄元年(1457)渋川義鏡が古河公方・足利成氏との戦いに向かう途中、石神井川近くのお浜井戸で須佐之男尊を祀り、戦勝を祈願したことに始まる。文明9年(1477)江古田の合戦の兵火により社殿等を焼失。延享年間(1744~48)現在地に遷座した。

氷川神社の御朱印

  • 氷川神社の御朱印

    (1)

(1)平成18年拝受の御朱印。中央の朱印は「練馬大氷川」。

氷川神社について

名称 氷川神社
通称 大氷川
御祭神 須佐之男尊〔すさのおのみこと〕
鎮座地 東京都練馬区氷川台四丁目47番3号
創建年代 長禄元年(1457)
社格等 旧郷社
例祭 4月第2土・日曜日(春の例大祭、4年に1回神輿渡御)
9月第1土・日曜日(秋の例大祭)
神事・行事 1月1日/元旦祭
2月3日/節分祭
6月30日/夏越の大祓
11月23日/新嘗祭
12月31日/年越の大祓

御由緒

氷川台の氷川神社は下練馬村の鎮守で、大氷川とも称する。元は石神井川近くの「お浜井戸」(練馬区桜台)のところに鎮座していたという。

社伝によれば、長禄元年(1457)渋川義鏡が古川公方・足利成氏を討つためにこの地を通った際、淀みにこんこんと水の湧き出る泉を見つけた。これが「お浜井戸」で、義鏡はここで兵を休息させ、素盞嗚尊を祀って武運長久を祈願した。これが氷川神社の創祀であるという。

しかし文明9年(1477)豊島氏と太田道潅が戦った江古田原の合戦により、社殿・宝物・旧記を焼失。延享年間(1744~48)海老名左近により、現社地へ遷座、51字の総鎮守となった。

これに因み、4年に一度、春祭りに神輿がお浜井戸にお里帰りする。この時、田遊びや鶴の舞が奉納される。鶴の舞は練馬区の無形民俗文化財に指定されている。

明治5年(1872)郷社に列格した。

境内には延享4年(1747)奉納の角形水盤、安永4年(1775)建立の鳥居、天明7年(1787)奉納の狛犬、文久年間(1861~64)の力石などがあり、水盤・狛犬は区の登録文化財、力石は登録有形民俗文化財。また、神輿渡御行列図絵馬は区指定有形民俗文化財、草摺引図絵馬は登録有形民俗文化財となっている。

写真帖

  • 一の鳥居

    一の鳥居

  • 二の鳥居

    二の鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 角柱型水盤

    延享4年の角柱型水盤

  • 狛犬

    天明7年の狛犬

  • 稲荷社

    稲荷社

  • 北野社

    北野社

  • 出雲社

    出雲社

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

練馬がのどかな農村であった時代の雰囲気を漂わせる境内。御朱印拝受の時は冬の参拝だったためさびしい感じだったが、暖かくなると花と緑にあふれるのだろうと思われた。そこで翌年4月初めに再度の参拝。ちょうど桜の季節だった。

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