三島神社(金杉)

三島神社

正式名称 三島神社〔みしまじんじゃ〕
御祭神 大山祇命 〈相殿〉和足彦神 身島姫神 上津姫命 下津姫命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都台東区下谷3-7-5 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://www.mishimajinjya.or.jp/

【由緒概要】
三島神社は、弘安4年(1281)河野通有が夢告を受け、伊予国一宮・大山祇神社の御分霊を上野忍岡の河野氏の館に勧請したことを創祀とする。慶安3年(1650)寛永寺造営のために金杉村(現・根岸)に遷座し、さらに宝永7年(1710)浅草小揚町(現・寿)に遷された(本社三島神社)。しかし氏子地より遠く不便であるため、御旅所であった金杉上町の火除地に御分霊を勧請したのが当社である。

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三島神社の御朱印

  • 三島神社の御朱印

    (1)

  • 三島神社の御朱印

    (2)

  • 火除稲荷の御朱印

    (3)

(1)平成17年拝受の御朱印。上の朱印は折敷に三文字の神紋、下は「三島神社之印」。

(2)平成28年拝受の御朱印。朱印は平成17年のものと同じで、右上に「東京下谷鎮座」、右下に「雷井戸ゆかり」、左上に「金運上昇」「防災厄除」。

(3)摂社・火除稲荷社の御朱印。上の朱印は火炎宝珠の神紋、下は「火除稲荷社之印」。右上に「東京下谷鎮座」、右下に神狐のお姿、左上に「火災守護」「防災安全」、左下に「三島神社」。

三島神社について

名称 三島神社
御祭神 大山祇命〔おおやまづみのみこと〕
〈相殿〉
和足彦命〔わたしひこのみこと〕
身島姫命〔みしまひめのみこと〕
上津姫命〔かみつひめのみこと〕(雷神)
下津姫命〔しもつひめのみこと〕(龍神)
鎮座地 東京都台東区下谷三丁目7番5号
創建年代 弘安4年(1281)
社格等 旧村社
例祭 6月14日・15日
神事・行事 1月1日/元旦祭
2月3日/節分祭
2月28日/祈年祭
3月6日/火除稲荷祭
6月30日/大祓式
7月10日/大祓形代流し
9月15日/秋祭
11月28日/新嘗祭
12月31日/大祓式

御由緒

三島神社は金杉町(現・下谷)の鎮守である。台東区内には伊予国一宮・大山祇神社を本社とする三島神社が三社ある。根岸の元三島神社、浅草・寿の本社三島神社と当社であるが、元は一つの神社であり、由緒も共通している。

弘安4年(1281)の元寇に際し、河野通有は氏神である大山祇神社(三島大明神)に戦勝祈願をして九州に出征し、大山祇神社の神使である白鷺の導きによって大いに戦功を上げることができた。伊予に帰国した後、夢に大山祇神が現れ、「武蔵国に我を祀れ」というお告げがあった。そこで、武蔵国豊島郡の上野山内にある河野氏の館に奉斎したのが当社の始まりだという。

以来、里人の崇敬を受けてきたが、慶安3年(1650)寛永寺の造営に伴って社地移転を命ぜられ、金杉村(現在の根岸)に朱印地4石を与えられて遷座した。さらに宝永7年(1710)社地が御用地とされたため、浅草小揚町(現在の寿)に遷座した。これが寿の本社三島神社である(『江戸名所図会』を根拠に元禄年間の遷座とする説もあるが、寿・根岸の由緒では宝永6年、金杉は同7年としているので、いずれにせよ宝永年間が正しいと思われる)。

しかし、氏子地域から遠いのは困るということで、金杉村根岸の氏子一同が協議し、根岸の熊野神社に勧請・合祀したのが、根岸の元三島神社である。さらにその後、金杉村字金杉町にも勧請したのが当社である。当地は金杉上町に設けられた火除地(防火用の空き地)で、もともと火除稲荷神社が鎮座していた。

火除稲荷神社は寛永寺の火難方位除のために勧請されたと伝えられ、古くはミサキ稲荷と称した。その後、当地が火除地になったことから火除稲荷と称されるようになり、火難除け、家内安全、防災・安全の神徳で信仰を集める。三島神社が勧請されたことにより、その地主神となった。

三島神社勧請の時期は不詳だが、嘉永6年(1853)の尾張屋版切絵図には「ミサキイナリ」の名がある。また『御府内備考』には、この火除地に土蔵があり、これは金杉上町・同下町・金杉村鎮守の三島明神で、古来、両町の神輿置き場があると記されている。

なお、境内には雷井戸という古井戸がある。ある時、神社の境内に雷が落ちたので、当時の神主が、この井戸に雷を閉じ込めたという。雷が「井戸から出してくれ」と頼むので、「二度とこの地に落ちるな」と言って許してやったので、以来、この辺りには雷が落ちなくなったという。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 雷の井戸

    雷の井戸

  • 手水舎

    手水舎

  • 火除稲荷社

    摂社 火除稲荷社

  • 几号水準点

    几号水準点

  • 拝殿

    拝殿

  • 社号額

    社号額

  • 本殿

    本殿

メモ

江戸時代には奥州街道裏道と呼ばれた金杉通りに面して鎮座している。
代々の宮司は河野通有の子孫が奉仕しているとのことである。現在の宮司さんは女性の方。
参拝の際、私も愛媛の出身で、河野家とは同族のようなもの…というようなことから話に花が咲いた。やはり大山祇神社の御分社ということで、東京在住の愛媛県出身者もよく訪れるそうだ。


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