大山祇神社

大山祇神社

大山祇神社は伊予国一宮で、日本総鎮守と称される。社伝によれば、小千命が神武天皇の東征に先立って四国に渡り、芸予諸島の要衝である大三島に大山積神を祀ったとされる。古くから朝廷や武将から崇敬された。武具類を中心として多数の国宝・重要文化財を所蔵することから「国宝の島」としても名高い。
愛媛県の神社

正式名称 大山祇神社〔おおやまづみじんじゃ〕
御祭神 大山積神
社格等 伊予国一宮 式内社(名神大) 旧国幣大社 別表神社
鎮座地 愛媛県今治市大三島町宮浦3327 [Mapion|googlemap]
全国各地の神社の御朱印、由緒、アクセスなどの紹介
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御朱印

  • 大山祇神社の御朱印

    (1)

(1)平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は「日本総鎮守大山祇神社之印」、右上の印は「延喜式内社 伊豫國一宮」。

昔の御朱印

江戸・明治の御朱印

  • 大山祇神社の御朱印

    (1)

  • 大山祇神社の御朱印

    (2)

  • 大山祇神社の御朱印

    (3)

(1)享保11年の納経(御朱印)。墨書は「奉納大乗妙典 一部/日本總鎮守/大山積大明神/豫州越智郡 神宮寺」。中央に朱印はない。左下の黒印は判読できない。

(2)安政3年の納経(御朱印)。墨書は「奉納経/日本總鎮守/三島本宮/別當/神宮寺」。

(3)明治16年の御朱印。墨書は「國幣中社/伊豫国越智郡宮之浦鎮座/大日本惣鎮守/大山祇神社/社務所」中央の朱印は「伊豫一宮」、左下は「社務所印」。

昭和の御朱印

  • 大山祇神社の御朱印

    (4)

  • 大山祇神社の御朱印

    (5)

(4)昭和4年頃の御朱印。上の朱印は「国幣大社大山祇神社」。昭和17年発行の『惟神の礎』にもこの印が掲載されている。下は「国幣大社大山祇神社社務所印」。

(5)昭和12年頃の御朱印。上の朱印は昭和4年のものと同じ「国幣大社大山祇神社」、下は「伊豫一宮之印」。

御由緒

御祭神

御祭神は大山積神。天照大神の兄神で、山の神々の親神に当たる。天孫・瓊々杵尊の妃となった木花咲耶姫命の父神でもある。また、海上安全の守護神でもあり、地神・海神兼備の国土全体を守護する神であることから、古くより日本総鎮守と尊称される。

御由緒

大山祇神社は伊予国の一宮で、旧社格は四国唯一の国幣大社。全国の三島神社・大山祇神社・山神社などの総本社であり、「日本総鎮守」と称される。東日本の三島神社には伊豆の三嶋大社から勧請したところが多いが、三嶋大社も大山祇神社からの勧請とする説も古くからある。

三島は神島〔みしま〕・御島〔みしま〕の意であり、全国の三島神社の中心であることから、その鎮座地を大三島と称する。

神武天皇の東征に先立ち、小千命〔おちのみこと〕が伊予二名島〔いよのふたなのしま〕(四国)に渡り、芸予諸島の要衝である大三島に大山積大神を祀ったことを創祀とするという。また、『伊豫国風土記』逸文によれば、一名を「和多志〔わたし〕の大神」と称し、仁徳天皇の御代に百済より渡来し、「津の国の御嶋」(現・大阪府高槻市の三島鴨神社)に鎮座した神であるとされる。

また『三島宮御鎮座本縁』には、推古天皇2年(594)迫戸浜に社殿を造営し、横殿宮と称したという。大宝年間(701~04)越智玉澄が宮浦の現社地に遷座したとある。

『続日本紀』によれば、天平神護2年(766)伊曽乃神社とともに神階従四位下を授かった。貞観8年(866)には正三位、同17年(875)には正二位に進んでいる。その後、正一位に極位した。延喜の制では名神大社に列する。

大山祇神社に対する朝野の崇敬は極めて厚く、特に河野氏は氏神として深く崇拝していた。また、村上氏を初めとする瀬戸内の水軍の信仰も集め、源氏・北条氏・足利氏などの尊崇も受けた。それらの武将たちが寄進した武具・甲冑が多数所蔵されていることから「国宝の島」と称される。

重要文化財に指定されている「日本総鎮守大山積大明神」の神号額は三蹟の一人・藤原佐理の書である。また、河野氏の出身である一遍上人も遊行の途次、当社を参詣したことが『一遍聖絵』などに見える。境内に一遍上人が寄進したという宝篋印塔があり、国の重要文化財に指定されている。

神宮寺には24の塔頭があったが、そのうち8坊は日吉郷(現・今治市別宮町)の別宮大山祇神社(大積山光明寺)に移された(別宮大山祇神社は、大山祇神社への参拝が不便であることから分霊を勧請した別宮・三島地御前である)。それらのうち、現在まで残っているのは大三島の東円坊と別宮の南光坊のみである。大山祇神社の本地・大通智勝仏は東円坊に移されている。なお、旧神宮寺は祖霊社となっていたが、平成4年(1992)過激派の放火により焼失してしまった。現在の祖霊社はその後の再建である。

なお、四国八十八ヶ所の55番札所は本来、大山祇神社であった。しかし、参拝に不便であるため、別宮大山祇神社が前札所とされ、多くの遍路はそちらで札を打っていた。江戸時代には別宮が事実上の札所となっていたが(明治以降は南光坊)、戦前くらいまでは大三島まで船で渡り、東円坊に参拝する遍路も少なくなかったそうである。

写真帖

  • 大鳥居

    大鳥居

  • 斎田

    斎田

  • 乎千命御手植の楠

    乎千命御手植の楠

  • 能因法師雨乞いの楠

    能因法師雨乞いの楠

  • 十七社

    十七社

  • 伊予国総社

    葛城神社・祓殿神社・伊予国総社

  • 河野通有兜掛けの楠

    河野通有兜掛けの楠

  • 神門

    神門

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿(手前は上津宮)

  • 姫子邑神社

    末社 姫子邑神社

  • 宝篋印塔

    宝篋印塔

  • 祖霊社

    祖霊社

  • 宝物館

    宝物館

  • 生樹の御門

    生樹の御門

  • 阿奈波神社

    境外摂社 阿奈波神社

見どころ

■本殿・拝殿
現在の社殿は元亨2年(1322)に兵火で焼失した後、天授4年(1378)に再建されたといわれていたが、昭和28年(1953)の解体修理の際に見つかった墨書から、応永年間(1394~1428)頃の建造であることがわかった。本殿は三間社流造・檜皮葺、拝殿は切妻造・檜皮葺の雄大な建築で、国の重要文化財に指定されている。

■乎千命御手植の楠
大山祇神社境内の楠38本が国の天然記念物に指定されている。境内のほぼ中央、神門前にそびえる乎千命御手植の楠はその中の1本で、樹齢は2,600年。小千命のお手植えという伝承がある。

■能因法師雨乞いの楠
現在は枯死しているが、樹齢3,000年で日本最古の楠といわれる。長久2年(1041)に大干ばつがあり、伊予国司・藤原資業は能因法師を大山祇神社に遣わして雨乞いを行った。能因が幣帛に「天の川 苗代水にせきくだせ 天降ります神ならば神」と書き付けて祈祷すると、三日三晩に雨が降り続いた。この時、能因がこの楠に幣帛を掛けたという伝承がある。

■生樹の御門
大山祇神社の奥の院にある楠の巨木。根元に空洞があり、それが参道になっているため「生樹の御門」と呼ばれる。県の天然記念物。

■宝物館
紫陽殿・国宝館・海事博物館(葉山丸記念館)からなる。紫陽殿・国宝館には多数の鎧・兜・刀剣類が展示され、日本一の武具館として知られている。収蔵された宝物は国宝8点、国重要文化財469点、県重要文化財14点にのぼる。海事博物館は、昭和天皇の海洋生物研究のための御採集船・葉山丸を記念するもので、葉山丸や昭和天皇の御著書、瀬戸内海を中心とした動植物の標本などが展示されている。

メモ

初めて参拝したときは橋ができる前で、船で宮浦港に上陸した。港から神社までの参道両脇は土産物屋などが賑わっていたものである。二度目の参拝は大島からバスで橋を渡ったのだが、神社の脇の駐車場にバスが着いたときには唐突な印象を受けた。港からの商店街はずいぶん寂れてしまっていたのだが、広く信仰を集めている神社への参拝というのは、境内だけではなく、門前町を歩くことで雰囲気が作られるということを初めて実感した。御朱印をいただいたのは3度目の参拝で、やはり今治からバスで渡ったのだが、同じような印象だった。かつての風情を体験したことがあるだけに、非常に残念。道の付け方を考えて、宮浦港に車を誘導したほうが、観光地としても成功したのではないかと惜しまれる。
境内には、武具類を初めとする文化財を展示した宝物館、昭和天皇の御採取船「葉山丸」を中心に海洋生物・水軍関係・海事関係資料などを展示した海事博物館があり、いずれも一見の価値がある。

大山祇神社の概要

名称 大山祇神社
旧称 大山積神社 大山積大明神 三島大明神 大三島宮 三島本宮
御祭神 大山積神〔おほやまつみのかみ〕
鎮座地 愛媛県今治市大三島町宮浦3327番地
創建年代 伝・推古天皇2年(594)
社格等 伊予国一宮 式内社 旧国幣大社 別表神社
延喜式 伊豫国越智郡 大山積神社 名神大
例祭 旧4月22日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月7日/生土祭(福木神事)
2月11日/紀元祭
2月17日/祈年祭
3月春分の日/祖霊社祭
旧4月21日/御更衣御戸開祭
旧4月23日/後宮祭
旧5月5日/御田植祭
6月27日/全国鉱山工場安全祈願大祭
6月30日/大祓式
旧8月22日に近い土・日曜日/産須奈祭(神幸祭)
9月秋分の日/祖霊社祭
旧9月9日/抜穂祭
11月3日/明治祭
11月22日/御更衣御戸開祭
11月23日/新嘗祭
12月1日/全国鉱山工場安全祈願大祭
12月31日/大祓式・除夜祭
※『平成「祭」データ』による
文化財 〈国宝〉紺絲威鎧(兜・大袖付) 赤絲威鎧(大袖付) 紫綾威鎧(大袖付) 禽獣葡萄鏡 大太刀(銘:貞治五年丙午千手院長吉) 沢瀉威鎧(兜・大袖付 金具廻革所処欠失) 牡丹唐草紋兵庫鎖太刀拵 大太刀(無銘 伝豊後友行 附:野太刀拵)〈重要文化財〉本殿(宝殿) 拝殿 宝篋印塔 木造御神像17躯 木造女神坐像4躯 木造守門神像4躯 銅製水瓶2箇 鍍金大前立3種 螺鈿飾太刀(伝小松重盛奉納) 革包太刀(国吉作 大友義隆奉納) 赤銅造太刀(銘:宗延作) 太刀(銘:恒真 革包太刀拵) 黒漆太刀(無銘) 革包太刀(無銘) 紺糸威膝鎧 浅葱糸威褄取鎧(大袖付) 萌黄綾威腰取鎧(大袖付) 紫韋威鎧(大袖付) 紫韋威鎧(大袖付) 紅糸威鎧 白糸威褄取鎧 藍韋威鎧 色々威胴丸(兜・頬当・大袖・籠手付) 色々威胴丸(兜・大袖1隻付) 熏韋威胴丸(しころ・大袖付) 紫糸威腰赤胴丸(大袖付) 茶糸威肩赤白胴丸(大袖付) 藍韋威胴丸(大袖付) 藍韋威胴丸(兜・大袖付) 藍韋威胴丸(兜・大袖付) 紫韋威胴丸(兜・大袖付) 藍韋威肩腰白胴丸(大袖付) 熏韋威胴丸(大袖付) 熏紫韋威胴丸(大袖付) 紫韋威胴丸(兜・壺袖付) 紫韋威胴丸(兜・大袖1隻付) 藍韋威裾紫胴丸(兜付) 熏韋威胴丸 熏韋威胴丸 熏韋威胴丸(兜・大袖付) 熏韋威胴丸(大袖・袖印付) 紅綾威肩腰萌黄綾胴丸 熏韋包胴丸(壺袖付) 藍韋威肩腰白胴丸(大袖付) 紫韋威胴丸 紫韋威胴丸 熏韋威胴丸 黒韋威胴丸 色々威腹巻(兜・喉輪・大袖付) 藍韋威胸白紅腹巻 色々威腹巻(喉輪・大袖付) 藍韋威胸紅白腹巻 藍韋威腹巻(兜・大袖付) 色々威鉄腹巻(籠手付) 藍韋威胸紅白紅腹巻 色々威裾萌黄素懸腹巻 藍韋威胸紅白紅腹巻 熏韋威胸紅浅葱糸腹巻 藍韋威胸紅白腹巻 熏韋威腹巻 熏韋威腹巻2領 茶糸素懸威鉄腹巻など6領 白綾威二十四間四方白星兜 黒韋威二十間筋兜など6頭 色々威大袖など7双 紺糸裾素懸威胴丸 太刀(銘:行真 拵山金造螺鈿鞘野太刀) 刀(銘:慶長九年二月吉日信濃守国広作 依賀茂県主保経所望打之) 太刀(銘:有綱 拵山金造革包太刀) 木造扁額(額文「日本総鎮守大山積大明神」) 亀甲繋散蒔絵手巾掛 革箙 金象嵌両添刀鉄鉾 三島明神奉納武器類 大山祇神社法楽連歌(附:安永六年八月十三日整理目録1巻)〈天然記念物〉クスノキ群 〈県有形文化財〉上津社社殿 十七社社殿 神輿 大山祇神社古図 金銅長柄銚子 大山祇神社文書 〈県有形文化財〉一人相撲

交通アクセス

□JR予讃線「今治駅」よりバス
■大三島(宮浦港)行き「大山祇神社前」下車すぐ
□JR山陽新幹線・山陽本線「福山駅」よりバス
■しまなみライナー今治桟橋行き「大三島BS」乗り換え、宮浦港行き「大山祇神社前」下車すぐ

旧官国幣社 大山祇神社 鎮座地:今治市大三島町宮浦 伊曽乃神社 鎮座地:西条市中野甲 松山...

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