小野照崎神社末社 浅間神社(下谷坂本富士)

下谷坂本富士

正式名称 小野照崎神社末社 浅間神社〔せんげんじんじゃ〕
通称 下谷坂本富士〔したやさかもとふじ〕
御祭神 木花開耶媛命 大山祇命 磐長姫命 天津彦火瓊瓊杵尊
社格等
鎮座地 東京都台東区下谷2-13-14 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://onoteru.or.jp/

【由緒概要】
下谷坂本富士は、小野照崎神社境内にある富士塚。頂上に浅間神社を祀る。文政11年(1828)入谷東講(富士講の一つ)の先達・山本善光が講元の大坂屋甚助と図って築いたもの。原形をよく留めていることから昭和54年(1979)国の重要有形民俗文化財に指定された。御朱印は山開きの期間のみ授与される。

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下谷坂本富士の御朱印

  • 下谷坂本富士の御朱印

平成22年拝受の御朱印。上の朱印は小野照崎神社の三つ巴と梅鉢の神紋、中央は神社と富士塚の情景のスタンプで「小野照崎神社 富士□□講社」とある。もしかすると、文字の判読できない部分は、講社がなくなったときに削られたのかも知れない(未確認)。左下は「小野照崎神社」。

下谷坂本富士について

名称 小野照崎神社末社 浅間神社
通称 下谷坂本富士
御祭神 木花開耶媛命〔このはなのさくやひめのみこと〕
大山祇命〔おおやまづみのみこと〕
磐長姫命〔いわながひめのみこと〕
天津彦火瓊瓊杵尊〔あまつひこほのににぎのみこと〕
鎮座地 東京都台東区下谷二丁目13番14号
創建年代 文政11年(1828)
社格等 旧村社小野照崎神社末社
例祭 6月30日・7月1日(山開き)
文化財 〈重要有形民俗文化財〉富士塚(下谷坂本富士)

御由緒

江戸やその近郊には数多くの富士塚が残る。富士塚とは、富士山を信仰する富士講の隆盛に伴い、誰でも簡単に富士登拝ができるようにということから、富士山を模して造った人工の塚である。富士山のお山開きが行われる7月1日には、富士講の人々が富士塚に登拝した。かつては五十余の富士塚があったというが、失われたり、原形を留めていないものが多い。

小野照崎神社境内の下谷坂本富士は、入谷東講(富士講の一つ)の先達であった山本善光が講元の大坂屋甚助と図り、賛助を募って富士塚を築いた。

高さ約5メートル、直径約16メートルで、富士山から運ばれた溶岩で覆われている。原形をよく留めていることから、昭和54年(1979)国の重要有形民俗文化財に指定された。

現在、普段は立ち入ることはできないが、お山開きの行われる6月30日・7月1日には開放され、一般の人も登拝することができる。

補足

現存する富士塚のうち、国の重要有形民俗文化財に指定されているのは、下谷坂本富士のほか、豊島長崎富士(高松富士、豊島区長崎の富士浅間神社)、江古田富士(練馬区小竹町の茅原浅間神社)、木曽呂の富士塚(埼玉県川口市東内野)である。

写真帖

  • 入口

    入口

  • 役行者像

    役行者像

  • 食行身禄像

    食行身禄像

  • 題目石

    題目石

  • 御仮屋

    御仮屋

  • 普段の様子

    普段の様子

メモ

お山開きの期間のみ、「下谷坂本富士お山開き」の御朱印が授与される。浅間神社の御朱印という位置づけではないのかも知れないが、富士塚自体が末社・浅間神社なので、タイトルは浅間神社に。
御朱印は書き置きでの対応のようである。ところが、7月1日の昼過ぎに参拝したのだが、すでに全部出てしまっていた。来年と言われても、来ることができるか否かわからないので、何とかならないかとお願いしたところ、夕方、忙しさが一段落した頃に再度来てもらえば対応してもらえることに。それで、午後6時過ぎに再訪し、無事に御朱印帳に拝受できたのだが、その時間でも次々参拝者が来ていた。
今は周囲の建物の方が高くなっているため、それほど感動はないのだが、それでも小野照崎神社の本殿より高いぐらいなので、昔はかなり見晴らしがよかったのではないだろうか。
それにしても、これだけの築山を覆う溶岩を、わざわざ富士山から運んでくるというのも容易なことではなかったはず。そんなことも考えながら登ってみれば、昔の人の気持ちに近づけるような気がする。


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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