鳥越神社は、白雉2年(651)里人が日本武尊の遺徳を偲び、白鳥明神として鳥越山に祀ったことに始まると伝えられる。古くは末社の熱田明神・第六天神(榊神社)と合わせて鳥越三所明神と称していたが、江戸幕府の命により両社が遷座し、鳥越明神のみが現社地に残った。例祭・鳥越祭は都内随一の重量を誇る千貫神輿の渡御で知られる。
正式名称 | 鳥越神社〔とりごえじんじゃ〕 |
---|---|
御祭神 | 日本武尊 〈相殿〉天児屋根命 〈合祀〉徳川家康 |
社格等 | 旧郷社 |
鎮座地 | 東京都台東区鳥越2-4-1 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 蔵前(都営浅草線) 浅草橋(JR総武線・都営浅草線) 新御徒町(都営大江戸線) バス停:鳥越神社前・蔵前一丁目 |
公式サイト | http://www004.upp.so-net.ne.jp/kab_ra/ |
御由緒
鳥越神社は、社伝によれば白雉2年(651)の創建。景行天皇の御代、日本武尊が東征の途中でしばらく当地に留まった。村人がその遺徳を偲び、白鳥明神として白鳥山(現在の社地。鳥越山)に奉斎したとされる。
永承年間(1046~52)奥州平定に向かう八幡太郎義家が当地を通過した。当時、このあたりは内海が広がっていたが、白い鳥に浅瀬を教えられて無事に渡ることができた。義家は白鳥明神の加護であるとして鳥越明神の号を奉り、当地を鳥越の里と呼ぶようになったという。
往古、鳥越明神は姫ヶ池(後の三味線堀、現・小島一丁目)から浅草森田町(現・蔵前四丁目)に及ぶ広大な境内を有していた。今戸鎮座の熱田神社(当時は熱田明神)と蔵前鎮座の第六天榊神社(当時は第六天神)は鳥越明神の末社で、三社合わせて鳥越三所明神と称した。
しかし徳川家康が江戸に入ると、大名・旗本の屋敷地するため社地を召し上げられ、浅草御蔵の造成や姫ヶ池の埋め立てなどのために鳥越の山は取り崩された。これに伴って正保2年(1645)熱田明神は山谷の新鳥越町(現・今戸一丁目)に遷座。また森田町にあった第六天神は享保3年(1718)火災で類焼し、翌年、浅草不唱小名(現・柳橋一丁目)に遷り、鳥越明神のみが元の社地に残った。
旧別当は高野山金剛三昧院末の鳥越山長楽寺であったが、明治の神仏分離で廃寺となった。明治5年(1872)村社に列格、同6年(1873)郷社に昇格。
相殿に祀る天児屋根命は藤原氏の祖神であり、奈良時代に藤原氏の人が武蔵の国司として下向した際に祀ったという。
東照宮(徳川家康)は寛永11年(1634)徳川家光の発願により、江戸城の鬼門鎮護として浅草南元町(現・蔵前四丁目)の西福寺に祀られたものである。神仏分離後は村社・松平神社となったが、関東大震災で焼失したため大正14年(1925)鳥越神社に合祀された。
境内社の福寿神社は倉稲魂命、大黒天神・恵比寿神、菅原道真公を祀る。本殿脇に祀られている志志岐神社は、長崎県対馬市厳原町久田の志々伎神社を御本社とする。寛永年間(1624~45)対馬藩主・宗氏が江戸上屋敷(現・台東一丁目)に勧請したもので、平成13年(2001)鳥越神社境内に遷座し、末社とした。
鳥越神社の例大祭(鳥越祭)には、都内随一の重量を誇る千貫神輿が渡御する。特に夕刻、神輿の弓張提灯と町会の高張提灯に火が灯された宮入道中は「鳥越の夜祭り」として名高い。
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「鳥越神社之印」。
(2)平成26年拝受の御朱印。中央の朱印は平成17年のものと同じ「鳥越神社之印」。右上に七曜の神紋。
写真帖
メモ
蔵前橋通りに面して鎮座する。黒と白を基調にした重厚な印象の社殿である。この付近は榊神社や須賀神社、蔵前神社など御朱印に対応していただける神社の集中している。
鳥越神社の概要
名称 | 鳥越神社 |
---|---|
旧称 | 鳥越明神 白鳥明神 鳥越三所明神 |
御祭神 | 日本武尊〔やまとたけるのみこと〕 〈相殿〉 天児屋根命〔あめのこやねのみこと〕 〈合祀〉 徳川家康〔とくがわいえやす〕 |
鎮座地 | 東京都台東区鳥越二丁目4番1号 |
創建年代 | 白雉2年(651) |
社格等 | 旧郷社 |
例祭 | 6月9日(鳥越祭) ・6月9日に近い土曜日/宵宮清祓式 ・6月9日に近い日曜日/千貫神輿渡御 |
神事・行事 | 1月8日/とんど焼き 2月節分/節分祭 3月15日/福寿神社春期大祭 6月30日/大祓茅の輪くぐり 7月1日/水上祭形代流し 8月4日/はし祭り 10月25日/福寿神社秋期大祭 |
交通アクセス
□都営浅草線「蔵前駅」より徒歩5分
□JR総武線・都営浅草線「浅草橋駅」より徒歩8分
□都営大江戸線「新御徒町駅」より徒歩10分