野間神社(今治)

野間神社

野間神社は、怒麻国造に任じられた若弥尾命が、その祖・飽速玉命を祀ったことに始まるとされる。延喜式内名神大社で、天平神護2年(766)従五位下・神戸二烟を充てられるなど、古くから朝廷の崇敬を受けた。河野氏など武家の崇敬も厚く、江戸時代には松山藩の雨乞いの祈願所とされた。悪病除け・開運の神として信仰を集める。

正式名称 野間神社〔のまじんじゃ〕
御祭神 飽速玉命 若弥尾命 須佐之男命 野間姫命
社格等 式内社(名神大) 旧県社
鎮座地 愛媛県今治市神宮甲699 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 今治(JR予讃線)
バス停:延喜
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御朱印

  • 野間神社の御朱印

    (1)

(1)平成19年拝受の御朱印。朱印は「神璽」。

御由緒

野間神社は、旧野間郡の総社。野間郡は現在の今治市の一部で、明治30年(1897)越智郡と合併し、新たに設置された越智郡の一部となった。

社号について、文献には「乃万」「濃満」「濃万」などの表記が見られる。『続日本紀』に「野間神」、『延喜式神名帳』に「野間神社」とあるが、『三代実録』には「野間天皇神」、『国分寺勧請神名帳』には「正一位 濃満天皇神」と記されている。

中世以降、「野間天皇神」系の呼称が一般的に用いられるようになり、江戸時代には「野間天皇」「テンノンさん」と呼ばれた。牛頭天王と称されることもあり、そこから御祭神を牛頭天王(須佐之男命)とする説も起こったようである。

御祭神について、上記の牛頭天王とする説のほか、天照大神の和魂などとする説もあったようだが、現在は飽速玉命・若弥尾命・須佐之男命・野間姫命の四柱とする。相殿に大山積命と大国主命を祀る。

飽速玉命〔あきはやたまのみこと〕は、『先代旧事本紀』の国造本紀によれば、成務天皇の御代に阿岐(安芸)の国造に任じられたとされ、速谷神社(広島県廿日市市)に祀られている。若弥尾命〔わかみをのみこと〕はその三世の孫で、神功皇后の御代に怒麻(野間)国造と定められたとある。野間姫命は若弥尾命の妻とされる。

創建については詳らかでないが、『野間神社誌』によれば、怒麻国造に任じられた若弥尾命が、その祖・飽速玉命を奉斎したことを起源とするであろうという。社伝によれば、大宝元年(701)社殿が造営された。

古くから朝廷の崇敬厚く、天平神護2年(766)従五位下に叙され、神戸二烟を充てられた。『新抄格勅符抄』大同元年牒(806)には神戸六戸とある。承和4年(837)には、大山祇神社とともに南海道で初めて名神に預かった。

さらに貞観3年(861)従四位下、貞観8年(866)正四位下、貞観12年(870)正四位上、元慶5年(881)従三位に進み、延喜の制では名神大社に列した。承平5年(935)の海賊平定の祈祷により、天慶3年(940)正二位に昇叙したことが『長寛勘文』によって知られ、永治元年(1141)には正一位に極位したと考えられている。

『野間寺縁起』によれば、天慶2年(939)藤原純友の反乱(天慶の乱)により社殿が焼失した。天慶5年(942)越智好方(越智郡押領使で河野氏の祖、純友追討に活躍したと伝えられる)が社殿を再建したという。

中世には武家から篤く崇敬され、源頼朝や領主・河野家より神領の寄進を受けた。建長7年(1255)の『伊予国神社仏閣等免田注進状案』によれば封戸14町3反半、金剛般若田・仏供田・請僧田等6町4反を有しており、これは大山祇神社に次ぐものであった。

後醍醐天皇は2度綸旨を賜り、足利尊氏も2度御教書を発している。

野間神社の別当寺は、古くは神社に隣接する神宮寺(現在の禅定山西明寺、臨済宗東福寺派)であったが、中世以降、延喜村の普門山乗禅寺(真言宗豊山派)が別当として当社と不二一体の関係を持つようになった。乗禅寺には後醍醐天皇の綸旨や足利尊氏の御教書、河野家の寄進状などの写しが伝えられている。

江戸時代には松山藩の雨乞いの祈願所とされた。社記によれば、宝永2年(1705)現在の拝殿が、文化10年(1813)には本殿が造営されている。

明治4年(1871)郷社に列格、明治28年(1895)県社に昇格した。

5月3日の例大祭には、氏子の神宮・詫間・野間・矢田・延喜の各地区から獅子舞が奉納され、今治地方独特の三継ぎ・四継ぎの妙技を披露するほか、浦安の舞・紺原御船・大名行列などが奉納される。

藁神輿は、藁を鳳凰の形に編んだもので、10月中旬に子供たちが担いで廻る。夜にはこれを境内で燃やし、その明かりで子供たちが相撲を奉納するという。今治市の無形民俗文化財に指定されており、近年では春の例大祭でも担がれる。

写真帖

  • 猿田彦大神社

    猿田彦大神社

  • 鳥居

    鳥居

  • 注連柱

    注連柱

  • 神門

    随身門

  • 石段

    社殿前の石段

  • 九社権現・十二社権現

    九社権現・十二社権現

  • 拝殿

    拝殿

  • わら神輿

    拝殿内に安置された藁神輿

  • 本殿

    本殿

  • 石造宝篋印塔

    石造宝篋印塔

見どころ

■石造宝篋印塔
国の重要文化財。鎌倉時代末期の作で、総高約280cmの重厚な造り。塔身の下に受け台がある当地方独特の形式で、塔身には金剛界四仏の種字を配し、笠の隅飾には月輪に梵字の「バン」を刻む。元は下方の谷間にあったものを社殿後方の現在地に安置したという。

メモ

今治駅から西へ4km、しまなみ海道の今治I.C.から西へ1kmほどの岡に鎮座する。
木造の神門には櫛磐間戸神・豊磐間戸神とともに神直日神・大直日神の神像が祀られている。足利時代初期のものだろうとのこと。
拝殿は宝永2年(1705)、本殿は文化10年(1813)の建造とのことで、風格のある建物である。ただ、近年の整備によるものであろうが、周囲がアスファルトで覆われ、すっきりはしているが少々殺風景で、古社の雰囲気が損なわれているのが惜しまれる。
御朱印は事前連絡の上、宮司さんのお宅で拝受。発行されたばかりの『野間神社誌』をいただいた上、親切に甘えていろいろ教えていただいた。ありがとうございました。

野間神社の概要

名称 野間神社
旧称 野間天皇神 乃万宮 濃満天皇神 大梵天王宮 天王社 天王宮
御祭神 飽速玉命〔あきはやたまのみこと〕
若弥尾命〔わかみをのみこと〕
須佐之男命〔すさのおのみこと〕
野間姫命〔のまひめのみこと〕
〈相殿〉
大国主命〔おおくにぬしのみこと〕
大山積命〔おおやまづみのみこと〕
鎮座地 愛媛県今治市神宮甲699番地
創建年代 不詳
社格等 式内社 旧県社
延喜式 伊豫國野間郡 野間神社 名神大
例祭 5月3日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
土用の入りから2夜3日/夏越祭
11月23日/新穀感謝祭
文化財 〈重文〉石造宝篋印塔 〈県有形文化財〉和鏡11面 〈県無形民俗文化財〉獅子舞

交通アクセス

□JR予讃線「今治駅」よりバス
■せとうちバス菊間・星之浦行き「延喜」下車徒歩約20分


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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