宇和津彦神社

宇和津彦神社

宇和津彦神社は宇和島城下の総鎮守で、古くより当地方の一宮として崇められ、江戸時代以前は一宮大明神と称されていた。御祭神の宇和津彦命は景行天皇の皇子で宇和別の祖・国乳別命のこととされる。創建年代は不詳だが、仁和元年(885)従五位下を奉授されたことが『三代実録』に記されている。

正式名称 宇和津彦神社〔うわつひこじんじゃ〕
御祭神 宇和津彦命 味耜高彦根命 〈配祀〉大己貴命
社格等 国史現在社 旧県社
鎮座地 愛媛県宇和島市野川新13 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 宇和島(JR予讃線)
バス停:京町
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御朱印

  • 宇和津彦神社の御朱印

平成20年拝受の御朱印。朱印は「宇和津彦神社御璽」。

御由緒

御祭神

■宇和津彦命
景行天皇の御子・国乳別皇子のこととされる。『先代旧事本紀』には伊予の宇和別の祖とあり、宇和別の任を受けて宇和地方に来住し、当地の開拓に当たった。

■味耜高彦根命
大己貴命の御子で、父とともに国土開拓に尽力した神。延暦11年(792)土佐国一宮・高賀茂社(土佐神社)より勧請したと伝えられる。

■大己貴命
古くは同一境内の別殿に祀られていた山王宮の御祭神。慶安元年(16484)本社に合祀された。

御由緒

宇和津彦神社は宇和島城下の総鎮守で、宇和地方開拓の祖神である宇和津彦命を祀る。南予地方の一宮として尊崇され、中古以来、一宮〔いっく〕大明神と称された。歴代領主も深く崇敬し、ことに宇和島藩主となった伊達氏は社参や社殿の造営、祭祀料の寄進や恒例・臨時の祈願を欠かすことがなかった。

創建年代は不詳だが、『三代実録』仁和元年(885)2月10日条に伊予国正六位上宇和津彦神に従五位下を授けたことが記されている。これに先立つ延暦11年(792)、土佐国の高賀茂社(土佐神社)より味耜高彦根命を勧請したと伝えられる。

古くは毛山村(後の丸穂村)の美濃越に鎮座していた(「毛山村南山中の神田が森〔じんでんがもり〕」とする資料もあり。同じ場所を指すか?)。現在の法円寺(神田川原4)がある辺りという。

建久年間(1190~99)領主の橘氏が丸串城(現・宇和島城)の南麓(現在の南豫護国神社の辺り)に遷し、元から鎮座していた山王宮と並び祀った。その後、当地を領有した西園寺氏は当社を深く尊崇し、文亀3年(1503)に一宮・山王両社の社殿を造営、兵乱に際しては戦勝を祈願した。

天正15年(1587)豊臣秀吉の家臣で大洲城主となった戸田勝隆によって社領を没収された。文禄5年(1596)板島(宇和島)城主となった藤堂高虎は、一宮社の社殿を造営するとともに、山王宮を榊森(古くは玉串森と称した)の現社地に遷座した。更に寛永9年12月(1633)伊達秀宗は一宮社を榊森に遷座、山王宮と並び祀った。

正保3年(1646)火災により社殿を焼失、この時、社記・宝物等も失われた。同年再建を開始し、慶安元年(1648)に落成。一宮社と山王宮を同殿に祀り、一宮社(一宮大明神)と称するようになった。翌慶安2年(1649)秋の祭礼から練り物の奉納と新町での7日間の祭礼市が始まっている。現在でも八ツ鹿踊りや牛鬼などが奉納される。

※日本歴史地名大系『愛媛県の地名』では、慶安元年の再建時から宇和津彦神社と称するようになったとするが、明治2年(1869)の『愛媛面影』には「一宮大明神」とあるので、宇和津彦神社への改称は明治初年のことではないかと思われる。

明治4年(1871)近代社格の制定に際し、県社に列格した。

なお、宇和津彦神社はもともと現在の西予市宇和町に鎮座していたという説もある。藤堂高虎が居城である丸串城(宇和島城)に遷したため、これを遺憾とした地元の人々が旧地に祠を建て、祭祀を続けたのが西予市宇和町坂戸の宇和津彦神社であるという。

※西予市宇和町のある宇和盆地は南予でもっとも広い平地であり、古代から中世にかけて宇和地方の中心であった。西園寺氏も宇和盆地の松葉城・黒瀬城を本拠としていたことを考えると、むしろ古くは宇和盆地にあったとするほうが妥当かも知れない。

写真帖

  • 宇和津彦神社一の鳥居

    一の鳥居

  • 宇和津彦神社狛犬

    狛犬

  • 宇和津彦神社竹陰筆塚

    竹陰筆塚

  • 宇和津彦神社鎮魂児島惟謙碑

    鎮魂 児島惟謙碑

  • 宇和津彦神社狛犬

    狛犬

  • 宇和津彦神社手水盤

    手水盤

  • 宇和津彦神社芭蕉の句碑

    芭蕉の句碑

  • 宇和津彦神社拝殿

    拝殿

  • 宇和津彦神社社号額

    社号額「榊森宮」

  • 宇和津彦神社本殿

    本殿

見どころ

■竹陰の筆塚
竹陰は本名を三浦周伯といい、宇和島藩の藩医であった。能書家として知られ、多くの弟子を育てて書道の隆昌に尽力したという。明治21年(1888)有志が筆塚の建立を計画し、竹陰も自ら碑文を揮毫したが翌年病没した。
この碑は明治41年(1908)竹陰自筆の碑文を刻み、縁の筆数万本を埋めて碑を建立し、その遺徳を称えたという。

■児島惟謙の碑
児島惟謙は天保8年(1837)宇和島に生まれた。慶応3年(1867)脱藩し、京都で勤王派として活動した。明治元年(1868)新政府に出仕し、名古屋裁判所長・長崎控訴裁判所長・大阪控訴裁判所長などを歴任した後、明治24年(1891)大審院長(現在の最高裁判所長官に相当)に就任した。
同年5月に発生した大津事件(訪日中のロシア皇太子ニコライを警備に当たっていた巡査の津田三蔵が切りつけた事件)では、大逆罪の適用を主張する政府に対し、司法権の独立を守り抜き、「護法の神様」として称えられた。

■芭蕉の句碑
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
芭蕉二百年祭に当たる明治26年(1893)陰暦10月の命日に建立されている。芭蕉の母は宇和島の出身であった。

メモ

宇和島城の東南、愛宕山の麓に鎮座する。高台にある境内からは宇和島城がよく見える。

宇和津彦神社の概要

名称 宇和津彦神社
通称 一宮様
旧称 一宮大明神 一宮社
御祭神 宇和津彦命〔うわつひこのみこと〕
味耜高彦根命〔あじすきたかひこねのみこと〕
〈配祀〉
大己貴命〔おおなむちのみこと〕
鎮座地 正愛媛県宇和島市野川新13番地
創建年代 不詳
社格等 国史現在社 旧県社
例祭 10日25月
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月15日/左義長祭
2月11日/建国記念祭
2月17日/祈年祭
3月春分/祖霊祭
4月20日/大鳥神社祭
4月28・29日/春季大祭
7月28日/夏越祭
9月秋分/秋季祭
10月20日/大鳥神社祭
11月23日/新嘗祭
12月31日/若水祭・除夜祭
※『平成「祭」データ』による

交通アクセス

□JR予讃線「宇和島駅」より徒歩17分、またはバス
■宇和島自動車薬師谷渓谷行き「京町」下車徒歩10分


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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