西條神社

西條神社拝殿

西條神社は、寛文10年(1670)西条藩松平氏の初代・松平頼純が創建した西條東照宮を、明治5年(1872)現社地に奉遷・合祀し、歴代西条藩主を祀る神社として創建された。明治16年(1874)社号を東照神社から西條神社に改め、明治27年(1894)県社に昇格した。第二次大戦後は伊曽乃神社の摂社とされたが、昭和58年(1983)再び独立の神社となった。

正式名称 西條神社〔さいじょうじんじゃ〕
御祭神 徳川家康公 歴代西条藩主
社格等 旧県社
鎮座地 愛媛県西条市大町1159 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 伊予西条(JR予讃線)
バス停:常心
公式サイト http://www.saijojinja.or.jp/
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御朱印

  • 西條神社の御朱印

    (1)

  • 西條神社の御朱印

    (2)

  • 西條神社の御朱印

    (3)

(1)平成18年拝受の御朱印。朱印は丸に三つ葉葵(紀州三つ葵、紀州徳川家の家紋)の神紋。西条藩は紀州藩の分家であり、ときに紀州の三つ葉葵の印を使うことがあるとのこと。

(2)平成26年拝受の御朱印。中央の朱印は平隅切三つ葉葵(西條葵、西条藩松平家の家紋)の神紋。左下の印は「西條神社宮司之印」。

(3)平成28年拝受の御朱印。朱印・揮毫は平成26年のものと同じ。

御由緒

西條神社社号額

社号額(山岡鉄舟筆)

御祭神

■神祖 徳川家康公
■紀州初代 徳川頼宣公
■初代 松平頼純公
■二代 松平頼致公(紀州六代 徳川宗直公)
■三代 松平頼渡公
■四代 松平頼邑公
■五代 松平頼淳公(紀州九代 徳川治貞公)
■六代 松平頼謙公
■七代 松平頼看公
■八代 松平頼啓公
■九代 松平頼学公
■十代 松平頼英公

当社は徳川家康を祀る東照宮を起源とし、歴代西条藩主を合祀して創建された。公式サイトや『平成「祭」データ』を見ると徳川頼宣も御祭神となっている。

徳川家康は言うまでもなく江戸幕府の初代将軍で、死後は東照大権現として祀られた。徳川頼宣は家康の十男で、御三家の一・紀州藩の初代藩主。

初代藩主・松平頼純は徳川頼宣の三男で、徳川家康の孫に当たる。徳川吉宗の叔父でもあり、大河ドラマ『八代将軍吉宗』では藤岡琢也が演じた。二代藩主頼致は頼純の五男で、徳川吉宗が将軍となったため、その跡を嗣いで六代藩主(徳川宗直)となった。

三代藩主・松平頼渡は頼純の六男で、紀州藩主となった兄・頼致の後を嗣いで藩主となる。多喜浜塩田の開発や荻生徂徠門下の儒学者・山井崑崙の登用による文学の奨励などを行った。崑崙は足利学校で古書を研究し、『七経孟子考文』32巻を著して頼渡に献上、さらに頼渡から幕府に献上された。崑崙没後、幕府の命で荻生北渓が校訂した『七経孟子考文補遺』は清にも伝わり、高い評価を受けて『四庫全書』にも収録された。

五代藩主・松平頼淳は、その頼致(徳川宗直)の次男で、四代藩主・頼邑の養子となって西条藩を嗣ぐ。紀州八代・徳川重倫が隠居した際、その子・岩千代(後の治宝)が幼少であったため、成長するまでの中継ぎとして紀州藩を嗣いだ(治貞)。肥後の細川重賢とともに「紀州の麒麟、肥後の鳳凰」と並び称された名君である。

六代藩主・松平頼謙は紀州七代・徳川宗将の六男で、宗直の孫(頼純の曾孫)・重倫の弟に当たる。頼淳(宗貞)が紀州藩主となったため、その養嗣子として西条藩主となった。郡奉行の竹内立左衛門に命じ、300町歩に及ぶ禎瑞新田の開発を行った。

八代藩主・松平頼謙の三男で、夭折した兄・頼看の後を嗣いで藩主となった。藩校・択善堂の創設や多喜浜塩田の開発などに尽力した。その子の九代藩主・松平頼学も文武の奨励に尽くし、藩の地誌『西条誌』の編纂などを行っている。因みに紀州藩最後の藩主・徳川茂承は頼学の六男である。

十代藩主・松平頼英は頼学の五男で、最後の藩主。西条藩は親藩であったが尊皇の気風が強く、江戸の佐幕派と国元の勤王派が拮抗していたが鳥羽・伏見の戦いの前に勤王でまとまり、官軍側で出兵している。明治2年(1869)版籍奉還で藩知事となり、明治4年(1871)廃藩置県により免官、明治17年(1884)子爵となった。

由緒(歴史)

西條神社神門

西條神社は、西条藩松平氏の初代・松平頼純が設けた東照宮を起源とし、明治5年(1872)東照宮に歴代西条藩主を合祀して創建された。

寛文10年(1670)松平頼純は西条入部に際し、石鎚山蔵王権現本社(現在の石鎚神社、当時は前神寺)の北に東照神祖廟を創建した。文化12年(1815)同地に再建、さらに天保11年(1840)谷を挟んだ二並山を開き、社殿を造営して遷座した。

明治5年(1872)前神寺の火災で東照宮が焼失したため、伊曽乃神社御旅所の現社地に奉遷。歴代西条藩主の神霊を合祀し、東照神社として創建された(『明治神社誌料』等に従う)。明治6年(1873)村社に列し、明治16年(1883)西條神社と改める。明治17年(1884)郷社となり、さらに明治27年(1894)県社に昇格した。

第二次大戦後、諸事情により伊曽乃神社の摂社となるが、昭和58年(1983)再び独立の宗教法人となった。

境内社殿は城郭を模している。本殿は石垣の上にあり、城郭風の塀に囲まれている。また境内には鶴石と亀石があり、その上に腰掛けたり、幼児がその背を歩むと無病息災の霊験があると伝えられている。

写真帖

  • 西條神社鳥居

    鳥居

  • 西條神社神門

    注連柱と神門

  • 西條神社社号標

    社号標

  • 西條神社乃木将軍の梅

    乃木将軍の梅

  • 西條神社手水舎

    手水舎

  • 西條神社鶴亀石

    鶴亀石

  • 西條神社小林一茶句碑

    小林一茶句碑

  • 西條神社境内社

    境内社

  • 西條神社境内社

    境内社

  • 西條神社拝殿

    拝殿

  • 西條神社社号額

    社号額(山岡鉄舟筆)

  • 西條神社本殿

    本殿

メモ

伊曽乃神社の参道を下り、加茂川を渡ったところに伊曽乃神社の御旅所があり、その一角に旧大町村の鎮守である楢本神社、当社、伊曽乃神社の御仮屋が並んでいる。

私にとっては地元の神社。初詣は楢本神社、西條神社、伊曽乃神社の順にお参りするのが我が家の定番であった。初めて御朱印を拝受したのも、正月に帰省した際、いつものように伊曽乃神社へ行く途中。年が明けてからの帰省だったので昼間の参拝だった。宮司さんはご祈祷に入る準備中の慌ただしいところだったようで、申し訳ないやら有り難いやら。

早くからハローキティのお守りを授与しており、キティの御朱印帳も頒布している。それで、平成28年の正月に帰省した際、せっかくなので拝受した(古今御朱印覚え書「西條神社 正月ハローキティ御朱印帳拝受」)。

西條神社の概要

名称 西條神社
通称 西條東照宮
旧称 東照宮 東照神社
御祭神 徳川家康公〔とくがわ いえやす こう〕
徳川頼宣公〔とくがわ よりのぶ こう〕
松平頼純公〔まつだいら よりずみ こう〕
松平頼致公〔まつだいら よりよし こう〕
松平頼渡公〔まつだいら よりただ こう〕
松平頼邑公〔まつだいら よりむら こう〕
松平頼淳公〔まつだいら よりあつ こう〕
松平頼謙公〔まつだいら よりかた こう〕
松平頼看公〔まつだいら よりみ こう〕
松平頼啓公〔まつだいら よりゆき こう〕
松平頼学公〔まつだいら よりさと こう〕
松平頼英公〔まつだいら よりふさ こう〕
鎮座地 愛媛県西条市大町1159番地
創建年代 寛文10年(1670)/明治5年(1872)
社格等 旧県社
例祭 4月6日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月節分/節分祭
6月/水無月大祓
12月/師走大祓

交通アクセス

□JR予讃線「伊予西条駅」より徒歩約20分


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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