田端八幡神社

田端八幡神社

正式名称 田端八幡神社〔たばた はちまんじんじゃ〕
御祭神 品陀別命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都北区田端2-7-2 [Mapion|googlemap]

【由緒概要】
田端八幡神社は文治5年(1189)源頼朝が奥州からの凱旋の途中この地に駐留し、鶴岡八幡宮を勧請して創建したと伝えられる。旧別当・東覚寺に安置される赤紙仁王尊は、明治の神仏分離以前は当社の参道入口にあったという。

田端八幡神社の御朱印

  • 田端八幡神社の御朱印

平成17年拝受の御朱印。朱印は「田端八幡神社」。

田端八幡神社について

名称 田端八幡神社
旧称 八幡神社 田畑八幡宮
御祭神 品陀別命〔ほんだわけのみこと〕
鎮座地 東京都北区田端二丁目7番2号
創建年代 文治5年(1189)
社格等 旧村社
例祭 8月15日前後の土・日曜日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
6月30日/大祓式
12月31日/大祓式・除夜祭
※『平成「祭」データ』による

御由緒

田端八幡神社は田端村の鎮守。『新編武蔵風土記稿』によれば田端村には八幡社が二社あり、それぞれ村の鎮守とされていた。もう一社は上田端八幡神社である。

社伝によれば、文治5年(1189)源頼朝が奥州藤原氏征伐より凱旋の途次、この地に鶴岡八幡宮を勧請して創建したとされる。『江戸名所図会』は駒込神明宮(駒込天祖神社)と同時の鎮座であるとする。なお、この創建伝承は上田端八幡神社と同じである。

旧別当は隣接する真言宗の白龍山東覚寺。同寺の不動堂の前に安置されている有名な赤紙仁王尊は、明治元年(1868)に神仏分離が行われるまでは当社の参道入口にあった。江戸時代、当社の門は閉ざされており、参詣者は本殿前まで進むことができなかったため、仁王尊のところから参拝するのが通例だったという。

明治5年(1872)村社に定められる。

大正12年(1923)伊東忠太博士の設計による総檜造の社殿が造営されるが、昭和20年(1945)空襲により焼失した。昭和36年(1961)に再建されるが、平成2年(1990)左翼過激派のテロにより再び焼失。現在の社殿は平成5年(1993)に落成したものである。

写真帖

  • 一の鳥居

    一の鳥居

  • 富士塚

    富士浅間社・三峯社

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

JR田端駅から徒歩5分ほどのところに鎮座する。東覚寺の不動堂の脇に参道の入口がある。参道中ほどに一の鳥居があり、その手前に石橋が埋められているが、これは昭和初期の改修工事で暗渠となった谷田川にかかっていたもので、記念保存のために移されたという。さらに進むと石段があり、高台の上に社殿がある。『江戸名所図会』にある挿絵と同じで、景観はすっかり変わってしまったとはいえ、往時の有様が偲ばれる。

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