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貫井神社 | 東京都小金井市

貫井神社

貫井神社は貫井村の鎮守で、古くは貫井弁財天と称した。池ノ上(現・貫井南町2-1)の下弁天に対して上弁天とも呼ばれた。境内には「東京都の名湧水57選」にも選ばれた湧水があり、これが小金井(黄金井)の地名の由来となった湧水だとする説もある。

正式名称 貫井神社〔ぬくいじんじゃ〕
御祭神 市杵島姫命 〈相殿〉大己貴命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都小金井市貫井南町3-8-6 [Mapion|googlemap]
公式サイト https://nukuizinzya-official.amebaownd.com/
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御朱印

貫井神社の御朱印 貫井神社の御朱印 貫井神社の御朱印
(1) (2) (3)

(1)令和4年(2022)拝受の御朱印。書き置き、印刷。朱印は「貫井神社」。地元在住で、「沈黙の艦隊」等で知られる人気漫画家・かわぐちかいじ氏による社頭風景の絵とサインがある。

(2)令和5年(2023)拝受、正月限定の御朱印。書き置き、印刷。基本的に通常の御朱印とほぼ同じだが、「初詣」などの印、イラストの色などの違いがある。

(3)令和4年(2022)に行われた「中央線御朱印めぐり」で拝受した御朱印。書き置き、印刷。専用の台紙を使っているほかは、通常の御朱印と同じ。

貫井神社について

貫井神社湧水

貫井神社の湧水(東京の名湧水57選)

御祭神

■市杵島姫命

神仏習合により、古くから市杵島姫命(あるいは宗像三女神)は弁財天と同一視されてきた。

■大己貴命

明治33年(1900)に合祀された稲穂神社の御祭神。稲穂神社は元は山王社と称し、延宝6年(1678)の創建と伝えられる。字一ノ久保(現在の滄浪泉園西側の土手)に鎮座していた。

御由緒

貫井神社

宝永6年(1709)造営の旧社殿。昭和10年頃の絵葉書より。

貫井神社は貫井村の鎮守で、古くは弁天社、あるいは貫井弁財天と称された。社伝によれば、天正18年(1590)豊かな湧水に恵まれた当地に、水の神である弁財天を祀ったことに始まるという。

旧別当は隣接する貫井山真明寺。貫井発祥の地とされる元弁天に祀られた弁天社を下弁天と称するのに対し、当社を上弁天とも称した。

宝永6年(1709)社殿を改築。総欅造で、『小金井市史』によれば「社殿の彫刻など小金井市にはめずらしい建築」であったという。

『新編武蔵風土記稿』には、「弁天社 社地除八畝十歩。村の北にあり。其地に広さ二畝許(ばかり)の池あり。其孤嶼に安す。本社二間に一間半。拝殿三間に二間。前に木の鳥居を建つ。神体木の坐像長三寸許(ばかり)、弘法大師作と云う」とある。「嶼」は島の意味であり、当時から現在のような光景だったのだろう。

明治2年(1869)厳島神社と改称、さらに翌明治3年(1870)貫井神社と改称する(※日本歴史地名大系による。境内の由緒碑には、明治8年に厳島神社と改称、その後、貫井村字一ノ久保鎮座の貫井神社を合祀して貫井神社と改称とあるが、明治12年の神社明細帳には貫井神社とあり、一ノ久保鎮座の稲穂神社を合祀したのは明治33年であるため、この碑の記述には疑問がある)。

明治33年(1900)字池ノ上の無格社・厳島神社(下弁天、御祭神・市杵島姫命)、字一ノ久保の無格社・稲穂神社(御祭神・大己貴命)、字小長久保の無格社・八雲神社(御祭神・素盞嗚命)を合祀。ただし昭和29年(1954)、厳島神社は旧地に還座して境外社・下弁天となり、八雲神社は境内社とされた。

明治38年(1905)村社に列格。

当社は景勝地として知られていたようで、昭和13年(1938)の『市町村概観』には「神域の面積三千余坪。頗る幽趣を以て知られ、府下有数の勝地として、貫井弁天の名四方に高し。境内数ヶ所より清泉滾々と湧出で尽るときなし、斎庭に池沼小瀑、境内に遊園場及水泳場等あり」と記されている。

昭和60年(1985)火災により旧社殿が焼失。翌昭和61年(1986)総檜造りの本殿を再建。さらに平成6年(1994)拝殿を再建した。

境内社

境内には八雲神社、愛宕神社、不動明王堂がある。

貫井神社不動明王堂

不動明王堂

旧別当寺が隣接しているのに、神社境内に仏堂が残っているのは珍しい。昭和58年(1983)の『小金井風土記』(芳須緑著、小金井新聞社)によると、かつて貫井神社の神池の水は3メートルほどの滝になって野川に注いでおり、その上に不動明王の石像が安置されていたので「瀧不動」と呼ばれていたという。この不動明王の石像を奉安しているのではないかと思われる。

貫井神社愛宕神社

愛宕神社

明治12年(1879)の神社明細帳には境内社として愛宕神社(祭神・猿田彦命)と天神社(祭神・菅原道真卿)が記載されているが、現在、天神社は見当たらないようだ。『小金井風土記』によれば、昭和55年時点でも痕跡すらなく、古老に聞いても「昔はあった」という話だけだったという。

貫井神社八雲神社

八雲神社

八雲神社は享保18年(1733)の創建と伝えられ、元は貫井村字小長久保(現・貫井北町)に鎮座していた。明治33年(1900)貫井神社に合祀されるが、昭和29年(1954)境内社となった。

境内

貫井神社社頭

社頭風景。国分寺崖線の麓に日本庭園のような境内が広がる。

貫井神社鳥居

石段を上ったところに鳥居が建つ。

貫井神社手水舎

手水舎。

貫井神社神橋

火除橋。

貫井神社神池

神池。

貫井神社拝殿

拝殿。

貫井神社狛犬

狛犬。上にある昭和10年頃の絵葉書と同じものだと思われる。

貫井神社神号額

拝殿に掲げられた神額「貫井神社」。

貫井神社本殿

本殿。

貫井神社湧水

本殿脇に東京の名湧水57選に選定された湧水がある。

貫井神社湧水

飲用には適しないという掲示があるが、湧水量は比較的多く、これまで枯渇したことがないという。「小金井」の名の由来になったのはこの湧水とする説もある。

境外社・下弁天

貫井神社下弁天鳥居

下弁天の鳥居

御祭神は市杵島姫命。貫井発祥の地とされる元弁天の泉(弁天池・瓢箪池)の畔に鎮座する。現在、泉は涸れているが、この泉を貫井と呼んだと伝えられる。

社伝によれば、慶長10年(1605)9月15日の創建という(神社明細帳)。

元文3年(1738)の絵図によれば、周囲には当地を開拓した鈴木若狭や大沢隼人正の屋敷、大沢一族の太祖神(現・上宮大沢神社)などがあったという(日本歴史地名大系)。現在の貫井神社である上弁天に対して下弁天とも呼ばれた。

明治維新の後、厳島神社と改称。明治14年(1881)社殿が大破したため、再検された。

明治33年(1900)貫井神社に合祀されるが、昭和29年(1954)旧地に還座して境外社とされた。

昭和33年(1958)から36年(1961)にかけて湧水が止まり、それにともなって弁天池も涸れた。

平成10年(1998)旧社殿が老朽化したため、現在の社殿を新築した。

貫井神社下弁天神橋

神橋

貫井神社下弁天神池

弁天池(瓢箪池)と亀島。

貫井神社下弁天神池

弁天池(瓢箪池)

貫井神社下弁天社殿

下弁天の社殿。

貫井神社下弁天大嶽神社

境内社・大嶽神社。

貫井神社の概要

名称 貫井神社
通称 貫井弁天
旧称 弁天社(上弁天・貫井弁天)
御祭神 市杵島姫命〔いちきしまひめのみこと〕
〈相殿〉
大己貴命〔おおなむちのみこと〕
鎮座地 東京都小金井市貫井南町三丁目8番6号
創建年代 天正18年(1590)
社格等 旧村社
例祭 9月14・15日直前の土・日曜日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月28日/初不動
2月17日/祈年祭
4月9日/氷雨祭
7月15日/八雲神社・愛宕神社例祭
8月4日/風祭
8月15日/戦没者慰霊
11月15日/七五三詣で
11月23日/新嘗祭
12月20日/お竈締め

交通アクセス

□中央線「武蔵小金井駅」より徒歩約20分、またはバス
■北口より京王バス国分寺駅北口行き「東京経済大学入口」下車徒歩約5分
□中央線「国分寺駅」より徒歩約20分

参考資料

・貫井神社公式サイト
・『新編武蔵風土記稿』
・『小金井市史』(小金井市)
・『神社明細帳・8・北多摩郡』(東京都公文書館)
・『武蔵国府名蹟誌』府中町青年会編(府中町青年会)
・『小金井風土記』芳須緑(小金井新聞社)
・日本歴史地名大系『東京都の地名』(平凡社)
・東京都の名湧水57選 No.29 貫井神社(東京都環境局)

東都神社御朱印集
東京の神社400社以上の御朱印や由緒などの紹介。珍しい江戸時代から昭和戦前までの御朱印も掲載。

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