祇園祭の宵山期間、各山鉾で御朱印をいただくことができる。以下は平成24年の宵々々山と宵々山でいただいた前祭の山鉾の御朱印である。
当時は前祭と後祭の巡行を合同で行っていたため、宵山期間も同じだった。後祭の山鉾の御朱印と合わせ、二日間で全35基の御朱印をいただくことができた。
平成26年に後祭が復活したことにより、宵山期間も分けられた。前祭の宵山期間は7月14日から16日で、前祭に巡行する山鉾23基の御朱印を集めることができる。かつて前祭に巡行していた休み山の布袋山の御朱印もいただくことができる(当サイトでは休み山にまとめて掲載)。
前祭には山鉾巡行の先頭を進む長刀鉾をはじめ、安産のお守りで有名な占出山・船鉾、縁結びのお守りで人気の保昌山などが参加する。大半が四条通周辺とその南にあり、鉾7基、曳き山1基の奏する祇園囃子が賑やかである。
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前祭の山鉾の御朱印
長刀鉾(なぎなたほこ)
四条烏丸東入 長刀鉾町 ※くじ取らず
サイト:長刀鉾囃子方の公式ホームページ
鉾の名は鉾頭につけられた大長刀に因む。古くは三条小鍛治宗近作の大長刀が用いられていたが、その後取り替えられ、現在は竹製の模造のものが使われている。古来、「くじ取らず」として行列の先頭を進む。今でも唯一「生稚児」が乗ることでも知られる。
御利益:疫病除け
右の印は鉾全体、左上は真木と鉾頭の絵に「祇園祭 長刀鉾」。左下は「長刀鉾」。
郭巨山(かっきょやま)
四条通新町西入 郭巨山町
サイト:郭巨山公式ホームページ
二十四孝の一・郭巨の故事に因む。郭巨は家が貧しく、母親を養うために我が子を埋めようと穴を掘ったところ、「天、孝子郭巨に賜う」と書いた黄金の釜が出てきたという。別名「釜堀り山」。
御利益:母乳の出を守る・金運招福
中段の印は釜堀りの故事に因む鍬と釜、八坂神社の神紋と「郭巨山」。下段は「郭巨山」。上段は平成24年、鬮取りで山一番になったことを記念して作製した特別の印である。
霰天神山(あられてんじんやま)
錦小路通室町西入 天神山町
永正年間(1504~20)京都で火事があったとき、突然霰が降ってきて、たちまち鎮火した。この時、霰と一緒に降ってきたという一寸二分(約3.6cm)の天神像を祀る。一名火除けの天神、あるいは錦小路に因んで錦天神ともいう。その名の通り、創建以来一度も火難に遭ったことがないという。
御利益:火除け・雷除け
中央の印は梅鉢の神紋と「霰天神山」、右上は「霰天神 御神饌」。
蟷螂山(とうろうやま)
西洞院通四条上ル 蟷螂山町
『文選』にある「蟷螂の斧をもって隆車の轍を禦がんとす」を、御所車に乗った蟷螂で表す。かつて当町に住み、足利義詮に戦を挑んで戦死した公卿・四条隆資の戦いぶりが「蟷螂の斧」のようであったということから、四条家の御所車に蟷螂(かまきり)を乗せて巡行したことに始まるという。からくりで動く蟷螂が人気を集める。昭和56年、117年ぶりに再興された。
御利益:疫病除け
印は御所車の上の蟷螂に「蟷螂山」。ふりがなは「かまきりやま」になっている。
函谷鉾(かんこぼこ)
四条烏丸西入 函谷鉾町 ※くじ取らず
サイト:函谷鉾
斉の孟嘗君は秦に迎えられて宰相となったが、讒言にあって命が危うくなった。これを逃れて函谷関に着いたのだが、朝になって鶏の声がしないと開かないという。そこで食客の一人が鶏の鳴き真似をして無事に逃れたという故事に因む。
御利益:疫病除け
印は「函」の字をデザインしたもので、函谷鉾町のシンボルのようである。
油天神山(あぶらてんじんやま)
油小路通綾小路下ル 風早町
町名は公家の風早家の屋敷があったことによる。御神体の天神像は、風早家に古くから祀られていたものという。油小路に祀られる天神ということから「油天神山」、また、この天神を町内に勧請したのが丑の日だったということから「牛天神山」とも称する。
御利益:学業成就
印は油天神山の姿と「油天神山」。
綾傘鉾(あやがさほこ)
綾小路通室町西入 善長寺町
サイト:綾傘鉾保存会
鉾とはいうが、曳き鉾ではなく、祇園御霊会の非常に古い形態を残す傘鉾である。棒振り踊りを伴う。天保5年(1834)真木の代わりに綾傘を立てる小型の曳き鉾に改造されたが、元治元年(1864)の兵火で焼失、長く復興できなかった。昭和54年(1979)古来の傘鉾を復元再興。
御利益:疫病除け
上の印は、かつての曳き鉾の図に八坂神社の神紋と「京都祇園祭 綾傘鉾」、下は「綾傘鉾之印」と八坂神社の神紋。
占出山(うらでやま)
錦小路烏丸西入 占出山町
神功皇后が三韓征伐の際、肥前松浦で釣りをして戦勝を占ったという故事に因む。別名「鮎釣山」。安産の霊験で知られ、宵山では安産守護の腹帯を授与する。この山の巡行順の早い年はお産が軽いという言い伝えも残る。
御利益:安産
印は鮎と「占出山」。
戦前のものと思われる占出山の御朱印。上の印は波に「神功皇后 占出山」、下は「占出山」。
月鉾(つきほこ)
四条通室町西入 月鉾町
サイト:公益財団法人 月鉾保存会
鉾の名は鉾頭に三日月をいただくことによる。妻飾りの刳り抜き蟇股には月を表す金波と白兎の彫刻(左甚五郎の作と伝わる)。また、大屋根の鬼板には太陽を象徴する三本足の烏(金烏)の丸彫りがある。全山鉾の中でもっとも背が高く重い鉾だという。
御利益:疫病除け
印は新月と金烏に「月鉾」。
孟宗山(もうそうやま)
烏丸通四条上ル 笋町
二十四孝の一・孟宗の故事に因む。孟宗は病身の母が筍を食べたいと言ったので、厳冬の山の中に入り、雪の中で筍を掘り当てたという姿を表す。別名「笋山(たけのこやま)」。なお、町名の「笋町」は「たかんなちょう」と読む。
御利益:親孝行
印は山の上部を描いたもの。
太子山(たいしやま)
油小路通仏光寺下ル 太子山町
六角堂(頂法寺)の縁起に取材し、聖徳太子を祀る。四天王寺を建立する際、太子自ら良材を求めて山中に入った。泉で沐浴をした後、近くの多良の木に懸けておいた念持仏の如意輪観音を取ろうとしたが、木から離れない。その夜、如意輪観音のお告げがあったため、一宇を建立して祀ることにした。そして、老翁に教えられて得た杉の巨木で建てたのが六角堂であるという。これに因み、この山のみ、真木に松ではなく杉を用いる。
御利益:智慧・疫病除け
印は杉の木と「聖徳太子」。
木賊山(とくさやま)
仏光寺通西洞院西入 木賊山町
世阿弥の謡曲「木賊」を題材とする山で、御神体人形はそのシテの老翁とされる。父と別れた子の松若が、都の僧に伴われて故郷・信濃国に下り、園原で木賊を刈る老翁と会う。この老翁が松若の父で、これに因んで迷子の御守りを授与する。
御利益:迷子除け
右上と左下の印は木賊山の姿を描いたものに「木賊山」。右下は「木賊山璽」。
菊水鉾(きくすいほこ)
室町通四条上ル 菊水鉾町
資料を見ると、町内にあった菊水の井戸に因むという説と、謡曲『菊慈童』から着想したという説がある。菊慈童は、観音経の二句を書いた菊の葉からしたたる滴が霊水となり、それによって七百歳の寿命を得たという少年の物語。天王座に長寿の代表として知られる彭祖の像を祀る。
御利益:不老長寿
印は菊水の文字を菊水鉾に見立てたもの。鉾の字は、真木の頂に三日月型があるので、月鉾に見立てているのかもしれない。
伯牙山(はくがやま)
綾小路通新町西入 矢田町
元は「琴割山(ことわりやま)」と称したが、明治4年(1871)現在の名に改めた。伯牙は楚の国の人で琴の名人であったが、友人で伯牙の琴の最高の理解者であった鐘子期が死んだのを嘆き、弦を断って二度と弾かなかったという「伯牙断弦」の故事に因む。一説には、東晋の時代、武陵王から伶人として召し出されたとき、「王の機嫌を取るための琴ではない」と言い、使者の目の前で琴を叩き割ったという戴逵の逸話「戴逵破琴」に取材したものともいう。
御利益:疫病除け
印は「伯牙山印」。
四条傘鉾(しじょうかさほこ)
四条通西洞院西入 傘鉾町
綾傘鉾と同じく、山鉾の古い形態を残す傘鉾である。明治4年(1871)頃まで巡行に参加していたが、その後中絶、昭和63年(1988)に復活した。
御利益:厄除け・招福
中央の印は印は四条傘鉾を描いたもの。もう一つ印があったが、ほぼ同じであったので捺さなかった。右上は「四条傘鉾」、左は「蘇民将来子孫也」。さらに「四条傘鉾」と書いた短冊(?)を貼っていただいた。
芦刈山(あしかりやま)
綾小路通西洞院西入 芦刈山町
サイト:公益財団法人 芦刈山保存会
謡曲『芦刈』に取材する。摂津国に住む貧しい夫婦が故あって離縁し、妻は都で高貴な家で乳母となり、何不自由のない生活送るようになるが、夫は落ちぶれて葦を刈って暮らしを立てていた。この夫婦が再開し、和歌を詠み合い、一緒に都に上るという筋書きで、御神体人形は葦を刈る男を表す。しかし、謡曲では「若い男」とされるが、この山では老翁の姿である。
御利益:疫病除け
右は芦刈山の姿を描いたスタンプ、左は「芦」の字をデザインしたもので、芦刈山町のシンボルのようだ。
鶏鉾(にわとりほこ)
室町通四条下ル 鶏鉾町
中国古代の五帝の一人・堯帝の時代、天下が大いに治まり、政治に不満を持つ者に打ち鳴らさせる太鼓(諫鼓)も、叩く者がいないために苔むし、鶏が巣を作ったという故事に因む。高山祭やかつての江戸の天下祭を始め、各地の山車に見られる「諫鼓鳥」と同じ趣旨である。一説には、天の岩戸における常世の長鳴鳥に因むともいう。
御利益:疫病除け
印は「鶏鉾」。
白楽天山(はくらくてんやま)
室町通綾小路下ル 白楽天町
サイト:公益財団法人 白楽天山保存会
白楽天と道林禅師の問答を題材とする。白楽天が仏法の大意を尋ねたのに対し、道林禅師は「諸悪莫作 衆善奉行(悪いことをするな 善いことをせよ)」と述べた。そこで白楽天が「そんなことは三歳の子どもでも知っている」と言うと、「三歳の子どもでも知っているが、八十歳の老人でもこれを実践することは難しい」と答えたという。御神体人形は狩衣姿の白楽天と法衣を着た道林禅師。
御利益:学業成就・除災招福
中央の印は「白」をデザインしたもので、白楽天山のシンボルのよう。右は「白楽天」、左上は「祇園会」、左下は「白楽天山之印」。
山伏山(やまぶしやま)
室町通蛸薬師下ル 山伏山町
御神体人形の山伏は勝れた法力で名高い平安時代の僧・浄蔵貴所の大峰入り姿を表すという。「山伏山入り山」「浄蔵山」などとも呼ばれた。修験道の本山である聖護院と関わりが深く、今も7月15日には聖護院の山伏が参拝する。また、八坂神社の清め祓いとともに六角堂の法印による祈祷が行われるとのことで、神仏習合時代の名残を残す。神前に供える三宝も黒塗りの仏式のものとか。
御利益:火除け・雷除け
印は輪宝と祇園木瓜の組み合わせに「山伏山」。輪宝は聖護院系の修験道で尊重された紋である。
保昌山(ほうしょうやま)
東洞院通松原上ル 燈籠町
丹後守平井保昌(藤原保昌)が和泉式部のために紫宸殿の紅梅を手折ったという故事を題材とする。別名「花盗人山」とも呼ばれた。この故事に因み、縁結びの御守りを授与することから、若い女性に人気が高いとのことである。
御利益:縁結び
上の印は「保」、下は梅の花の中に「保昌山」。
放下鉾(ほうかほこ)
新町通四条上ル 小結棚町 ※くじ取らず
謡曲『放下僧』に因むとされるが、真木の中程にある天王座に放下僧の人形を祀る以外、謡曲に関わる要素はないという。放下僧というのは手品や曲芸をする下級の僧で、当時人気のあった放下僧をテーマにした鉾ではないかともいう。鉾頭に「州浜」形をつけることから「州浜鉾」ともいう。
御利益:疫病除け
印は州浜形と「放下鉾」。
岩戸山(いわとやま)
新町通高辻上ル 岩戸山町 ※くじ取らず
サイト:公益財団法人 岩戸山保存会
山ではあるが、囃子を伴い、一見鉾と変わらない曳き山である(ただし鉾柱ではなく真松を立てる)。天の岩戸神話を題材とし、伊弉諾尊・天照大神・手力男尊を祀る。一時期「天の逆矛山」となったことがあり、その名残として天の岩戸に関わりのない天の逆矛を持った伊弉諾尊を祀る。桃山時代の洛中洛外屏風では、すでに車輪を持つ曳き山として描かれている。寛政6年(1794)曳き山として初めて屋根をつけた。(※写真は観世流による「天岩戸の神遊」)
御利益:疫病除け
上の印は「嵒(岩)」、図形は松をデザインしたものだろうか? さらに「岩戸山」の印が二つ。
船鉾(ふねぼこ)
新町通綾小路下ル 船鉾町 ※くじ取らず
サイト:公益財団法人 祇園祭船鉾保存会
くじ取らずで、前祭の最後を巡行する。
古くは船型の鉾は当町の船鉾と四条町の大船鉾の二基があり、いずれも神功皇后の三韓征伐説話をテーマとしている。大船鉾が凱旋の船であるのに対して、船鉾は出陣の鉾とされる。御神像は神功皇后と磯良・住吉・鹿島の三柱の神。舳先には金色の鷁を載せ、艫には飛龍文様の舵をつける。占出山と同じく、安産の御利益で知られる。巡行の際、神功皇后の像に安産祈願の岩田帯を巻き、巡行の後、祈願者に授与されるという。
御利益:安産
上の印は十六弁の菊に「神功皇后」、下は八坂神社の神紋である祇園木瓜と三つ巴。