土崎神明社は久保田(秋田)藩の藩港であった土崎港の総鎮守。秋田(安東)氏の居城であった湊城の跡地に鎮座する。7月に行われる例大祭は土崎港曳山まつりと称し、国の重要無形民俗文化財にも指定されている。
正式名称 | 神明社〔しんめいしゃ〕 |
---|---|
通称 | 土崎神明社〔つちざき しんめいしゃ〕 |
御祭神 | 天照皇大神 |
社格等 | 旧県社 |
鎮座地 | 秋田県秋田市土崎港中央3-9-37 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | https://tsuchizakishinnmeisha.or.jp/ |
御朱印
(1)平成20年拝受の御朱印。中央の朱印は「縣社神明社印」、下は「神明社々務所之印」。
御由緒
土崎は室町時代に安東氏(後に秋田氏を称する)が湊城を築き、三津七湊の一つに数えられる海運の要衝であった。
慶長7年(1602)国替えによって常陸から秋田へ入った佐竹義宣は、当初、湊城を居城とした。しかし、手狭であったため翌8年(1603)窪田の神明山に新たな城(当初は窪田城と称したが、後に久保田城と改めた)を築き、同9年(1604)に移転。湊城は破却された。
土崎港には佐竹氏の旧臣が次々常陸より来住したが、川口惣次郎という人物もその一人で、氏神としていた神明の画像を携えて水戸より土崎港に来た。佐竹義宣が久保田城に移った後も、土崎の肝煎役となった。
川口惣次郎は屋敷内に神明像を祀っていたが、神慮を畏れて他所に祀りたいと考えていた。また当時、土崎には諸国の船や人が集まって繁栄へと向かっていたが、適当な鎮守がないため、総町の鎮守を祀りたいという気運があった。そこで、総町に相談し、藩主の許可を得て、元和6年(1620)湊城の跡地に社殿を建立、土崎港の総鎮守として奉斎した。
歴代藩主の崇敬も篤く、土崎港の櫂米100石の税が当社の諸費に充てられた。慶安3年(1650)以来昭和の初めまで、21年毎に社殿を修理し、遷座式が執り行われていた。明治14年(1881)には県社に昇格。平成19年(2007)道路拡張のため社殿を改築した。
例祭は土崎港曳山まつりと称し、平成9年(1997)国の重要無形民俗文化財に指定されている。
写真帖
メモ
JR土崎駅から200mほどのところに鎮座する。本殿のすぐ後ろを駅前の道路が通っている。
道路拡張のために境内が削られたとのことだが、それにしても三角形の変則的な境内である。地図で見ると、船川街道からの道が神社境内の手前で北東に曲がり、本殿の背後を通って土崎駅に向かうようになっている。まっすぐ進むとそのまま神社の参道になるので、もともとこの道路自体、駅ができたときに神社の境内を削る形で作られたのではないかと思われる。
参拝した時は、まだ新しい社殿ができて1年少々の頃。表で参拝してから、社務所で御朱印をいただいたのだが、せっかくだからと中に上げていただき、拝殿の中で再度参拝させていただいた。
社殿、斎館や玉垣、塀は新しくなっているのだが、道路とは反対側になる境内社は元のままで、鄙びたかつての姿を彷彿とさせる。同じ境内に新旧が混在するちょっと不思議な空間だった。
土崎神明社の概要
名称 | 神明社 |
---|---|
通称 | 土崎神明社 |
御祭神 | 天照皇大神〔あまてらすおおみかみ〕 |
鎮座地 | 秋田県秋田市土崎港中央三丁目9番37号 |
創建年代 | 元和6年(1620) |
社格等 | 旧県社 |
例祭 | 7月20日・21日(土崎港曳山まつり) |
神事・行事 | 1月1日/元旦祭・新年初神楽祈禱 1月15日/とんど祭 2月3日/節分祭・福豆まき 2月27日/祈年祭(春祭) 3月春分の日/鎮火祭 6月30日/大祓 11月23日/新嘗祭 12月31日/大祓 |
文化財 | 〈重要無形民俗文化財〉曳山行事 |
交通アクセス
□JR奥羽本線「土崎駅」より徒歩約2分
コメント