永山神社は、明治24年(1891)永山に入植した岡山出身の屯田兵が、故郷の氏神である天照大神と大国主神の御分霊を奉斎したことに始まる。明治45年(1912)屯田兵第三大隊本部跡の現社地に遷座、大正9年(1920)屯田兵の父と呼ばれ、永山地区の開祖ともいうべき永山武四郎を配祀した。
正式名称 | 永山神社〔ながやま じんじゃ〕 |
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御祭神 | 天照大神 大国主神 〈配祀〉永山武四郎命 |
社格等 | 旧県社 |
鎮座地 | 北海道旭川市永山4条18丁目2-13 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | https://www.hokkaidou-asahikawa-nagayamajinnja.com/ |
御朱印
(1)平成20年拝受の御朱印。中央の朱印は「永山神社」。
御由緒
御祭神
■天照大神
■大国主神
〈配祀〉
■永山武四郎命
配祀の永山武四郎は薩摩出身の陸軍軍人で、開拓次官・黒田清隆の下で北海道開拓と屯田兵制度の創設に尽力した。明治18年(1885)に屯田兵本部長となり、明治21年(1888)からは北海道長官も兼任、上川地域の開拓に意を注いだ。屯田兵たちから深く慕われ、「屯田兵の父」とも称される。「永山」の地名は明治天皇のお言葉により、永山武四郎に因んで名付けられたものである。
由緒
永山神社は、上川原野で最初に開拓が始まった永山地区に鎮座する。北辺の守りと開拓に従事した屯田兵たちによって奉斎された「上川最古」の神社である。
明治24年(1891)7月1日、屯田兵400戸が永山に入植した。その内、岡山県出身の屯田兵が出身地の氏神である天照大神と大国主神の御分霊を勧請し、明治25年(1892)祠を設けて祀ったことを創祀とする。当時の鎮座地は現在の永山駅の裏のあたりだったという。
明治31年(1898)1月8日神社創立が許可され(無格社)、4月に流造の社殿が落成した。しかし同年8月、北海道官設鉄道手塩線(現在のJR宗谷本線)が開通したため、神社への参拝が不便になった。そのため明治45年(1912)屯田兵第三大隊本部跡の現社地に旧社殿を移築、遷座した。
大正3年(1914)村社に昇格。
大正9年(1920)北海道屯田の産みの親にして上川開発の代表的功労者、永山地区の開祖ともいうべき永山武四郎将軍を開拓の祖神として配祀することを出願し、9月20日許可された。
大正10年(1921)開村30周年の記念事業として神明造の新社殿が落成した。翌大正11年(1922)郷社に昇格。さらに昭和20年(1945)4月30日、県社に昇格した。
平成2年(1990)7月1日、創祀百年記念例大祭が行われた。これを機に社殿改築の声が高まり、平成5年(1993)新しい社殿が竣工、6月29日に遷座祭が執り行われた。
金刀比羅神社
境内社の金刀比羅神社は、入植2年目の明治26年(1893)岡山出身の屯田兵の父親が故郷岡山に里帰りした際、讃岐の金刀比羅宮に参拝して御札をいただき、永山裏町の空き地だった場所に有志で祠を建てて祀ったことに始まる。
以来、春と秋に祭事を行ったが、特に9月10日の祭礼は農閑期ということもあって、地元の人々はもちろん、旭川からも多くの参拝者が集まり、大変賑わったという。
その後、大雪通りに遷ったが、昭和40年(1965)石北本線の陸橋拡張のため、極めて参拝が不便になった。そのため、昭和44年(1969)9月、永山神社境内に遷座した。さらに永山裏町に鎮座していた三保神社と地神碑を合祀した。
写真帖
メモ
周囲は住宅で囲まれているが、境内は樹木が生い茂っている。鎮守の森ではあるのだが、木の種類が本州以南とは違うためか、神明造の社殿と相まって北海道らしい雰囲気の境内である。
参拝は平成20年秋の夕方。永山駅から歩いたのだが、電車の都合で後で隣接する時間があまりなかったため、駆け足の参拝となった。
永山神社の概要
名称 | 永山神社 |
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御祭神 | 天照大神〔あまてらすおおみかみ〕 大国主神〔おおくにぬしのかみ〕 〈配祀〉 永山武四郎命〔ながやまたけしろうのみこと〕 |
鎮座地 | 北海道旭川市永山4条18丁目2番13号 |
創建年代 | 明治24年(1891) |
社格等 | 旧県社 |
例祭 | 7月1日 |
神事・行事 | 1月1日/元朝祭・歳旦祭 1月3日/元始祭 1月14日~16日/松納祭(どんど焼き) 2月3日/節分祭 2月11日/紀元祭 3月10日/金刀比羅春祭 4月11日/祈年祭(春祭) 6月30日/大祓式 8月23日/秋葉神社祭 11月23日/新嘗祭 12月30日/大祓式 12月31日/除夜祭 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□JR宗谷本線「永山駅」より徒歩約8分
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