総社神社は神亀元年(724)の創建と伝えられ、元は三森山(現在の千秋公園)に鎮座していた。久保田城の築城に際して川尻郷下浜に遷され、さらに川尻上野岱の現社地に遷座した。以来、藩主・佐竹氏累代の崇敬を受けた。また川尻郷一帯の総鎮守とされた。
正式名称 | 総社神社〔そうしゃじんじゃ〕 |
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御祭神 | 天照皇大神 豊受比売大神 大己貴神 八重事代主神 味鋤高彦根神 |
社格等 | 旧県社 |
鎮座地 | 秋田県秋田市川尻総社町14-6 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.sosha-j.jp/ |
御朱印
(1)平成20年拝受の御朱印。朱印は「總社神社神璽」。
御由緒
総社神社は神亀元年(724)の創建と伝えられ、元は三森山に鎮座していた。三森山は現在の千秋公園で、大嶽山・小嶽山・光明山の三つの頂があったことから三森山・三嶽山などと呼ばれたという。後には神明山、矢止山とも称した。
第一峯には大己貴神・事代主神・味鋤高彦根神が祀られて総社大明神と称した。第二峯には神明宮として天照皇大神、豊受比売大神が祀られていた。
第三峯には八幡大神宮・祇園神社・鹿嶋神社・加茂上神社・加茂下神社・諏訪上神社・諏訪下神社・乙宮神社・稲荷神社・高市神社・比売語曽神社・大和神社・松尾神社・竈神社・御食津神社・祓所神社・風神社・白山神社・水神社など摂末社19社が鎮座していた。
神亀元年(724)3月8日の夜半、三森山(現在の千秋公園)に神光が飛来し、「我は大己貴神なり。今、ここに一宮を創建して祀れば、国中安泰、諸人守護、五穀豊穣といたさん」とお告げがあった。そこで里人が社殿を創建し、影向の際の磐座を御神体として納め、左右の相殿に八重事代主神と味鋤高彦根神を祀ったことを創祀とする。
以来、三嶽山総社大明神として崇敬を受けた。源頼朝は奥州征伐の後、畠山重忠に命じて社殿を修営、大嶽山・小嶽山・光明山の三森を神領としたという。
慶長7年(1602)佐竹義宣が常陸から秋田に入り、翌年、神明山(三森山)に新たな居城を築くことになった。そのため、総社・神明宮と摂末社は川尻郷下浜(現在の楢山と川口の境)に遷座した。しかし低湿地で神地にはふさわしくないとして、元禄7年(1694)川尻上野岱に仮遷座、社殿を造営して宝永4年(1707)に本遷宮を行った。
以来、藩主・佐竹氏の尊崇を受け、修理祭典費用などはすべて藩主から寄進された。また、外町の総鎮守である八橋の日吉八幡神社に対し、川尻郷一帯(山王・川尻・川口・楢山)の総鎮守とされ、住民から崇敬された。風光明媚の地であったことから文人墨客もよく訪れたという。
明治には三森山神社と称していた。明治5年(1872)村社に列格、明治13年(1880)県社に昇格。明治45年(1912)三社を合祀して総社神社と改称した。
昭和6年(1931)秋田市大火で類焼し、社殿や神宝、古記録など烏有に帰した。
写真帖
メモ
住宅地の中に長方形の境内がある。けっこう緑の木々が生い茂っているのだが、下生えがほとんどないためか、鎮守の森というより、公園という印象を受けた。
参道や社殿は境内の南に偏っており、少々違和感がある。地図で見ると、神社の南50mほどのところにある川尻総社通りから境内北端のちょうど真ん中当たりになるので、本来は川尻総社通りまでが境内だったのではないだろうかと思われる。
総社神社の概要
名称 | 総社神社 |
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旧称 | 総社大明神 三森山神社 |
御祭神 | 〈神明宮〉 天照皇大神〔あまてらすすめおおかみ〕 豊受比売大神〔とようけひめのおおかみ〕 〈総社宮〉 大己貴神〔おおなむちのかみ〕 八重事代主神〔やえことしろぬしのかみ〕 味鋤高彦根神〔あじすきたかひこねのかみ〕 |
鎮座地 | 秋田県秋田市川尻総社町14番6号 |
創建年代 | 神亀元年(724) |
社格等 | 旧県社 |
例祭 | 春季例祭:5月19日 ※5月18日/春季例祭宵宮祭 秋季例祭:10月19日 ※10月18日/秋季例祭宵宮祭 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭・新春初神楽祈禱 1月第2月曜日/どんど焼き 2月中/厄年祓 6月30日/大祓式 旧8月15日(十五夜)/観月祭 12月31日/大祓式 |
交通アクセス
□JR奥羽線・秋田新幹線「秋田駅」よりバス
■秋田駅西口より新屋西線「川尻十字路」下車徒歩2分
■秋田駅西口より川尻割山線「川尻十字路」下車徒歩2分
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