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鮎貝八幡宮 | 山形県西置賜郡白鷹町

鮎貝八幡宮

鮎貝八幡宮は康平2年(1059)源義家により創建されたと伝えられる。江戸時代には米沢藩主・上杉氏の崇敬を受け、野川以北18ヶ村の総鎮守と定められるとともに、藩の祈願所とされた。本殿は天保14年(1843)の再建で、県の有形文化財に指定されている。

正式名称 鮎貝八幡宮〔あゆかい はちまんぐう〕
御祭神 応神天皇 〈合祀〉倉稲魂命
社格等 旧県社 別表神社
鎮座地 山形県西置賜郡白鷹町鮎貝3303-1 [Mapion|googlemap]
山形県の神社
山形県内の神社の御朱印とその由緒(歴史)、アクセスなどの紹介。南陽市の熊野大社、白鷹町の鮎貝八幡宮など。またブログでは米沢市の上杉神社、松岬神社、山形市の六椹八幡宮などを紹介している。
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御朱印

  • 鮎貝八幡宮の御朱印

    (1)

(1)平成23年拝受の御朱印。朱印は「鮎貝八幡宮之印」。

御由緒

本殿

創建年代は不詳だが、社伝によれば、康平2年(1059)源頼義が清原家衡征討に際して長子・源義家に戦勝を祈願せしめ、凱旋の折に従士の赤間主膳に正八幡宮を創建させ、別当として奉仕させたという(社頭掲示)。

あるいは康平3年(1060)当地に陣を置いた源義家が錦の御旗を神体と定め、軍神として戦勝を祈願したところ、遂に敵を征服することができた。そこで凱旋帰京に際し、東西300間、南北80間の地を社地と定め、八幡神を勧請したともいう(『明治神社誌料』)。

※創建年代については康平3年(1060)とする資料が多いが、社頭掲示や『平成「祭」データ』など鮎貝八幡宮から出ている資料では康平2年(1059)となっている。

その後、鮎貝氏、長井氏、伊達氏、蒲生氏ら歴代領主により守護神として崇敬を受けた。上杉氏が入部して後は野川以北18ヶ村の総鎮守に定められ、藩の祈願所とされた。また祭礼は上杉氏の直祭として行われ、「公儀祭」と称された。

慶長8年(1603)鮎貝城の城代となった中條氏により中興的再建が行われたと伝えられる。さらに現存する棟札によれば、寛永9年(1632)城代・春日氏により再建、さらに宝永2年(1705)と寛延2年(1749)上杉氏により修繕が加えられた。

その後、社殿が大破したため、天保12年(1841)から14年(1843)にかけて氏子18ヶ村が寄付を集めて再建した。現在の本殿はこの時再建されたものである(県指定有形文化財)。拝殿は社務所に転用されている。

明治5年(1872)村社に列格、同12年(1879)郷社に昇格。さらに昭和5年(1930)県社に昇格している。

明治29年(1896)旧社地の八幡台から鮎貝城本丸跡の現社地に遷座することとなり、社殿等を移築、同31年(1898)竣工した。大正7年(1918)稲荷神社を合祀。同10年(1921)現在の拝殿が造営された。

昭和34年(1959)別表神社に加列される。

鮎貝城跡

鮎貝城鞘殿

鮎貝城鞘殿

現在の境内は鮎貝城の本丸跡に当たり、町の史跡に指定されている。応永3年(1396)藤原(横越)成宗が横越から移り住んで城を築き、鮎貝氏を称したところである。

後に鮎貝氏は伊達氏の家臣となるが、「一家」として優遇された。しかし天正15年(1587)当主の鮎貝宗信が最上義光に内通したとされ、伊達政宗の急襲を受けて落城。宗信は最上氏のもとに逃れた。鮎貝氏の家督は弟の宗定が継いで柴田郡内に所領が与えられ、鮎貝城は伊達氏の家臣が在番制で城を守った。

その後、蒲生氏の支配を経て米沢藩上杉氏の支城となった。中條氏・下條氏・春日氏が城代を務め、寛文5年(1665)年以降は本庄氏が世襲した。元禄5年(1692)以降、米沢藩の支城は御役屋と称されるようになり、城代も御役屋将と呼ばれるようになったという。

境内にある鮎貝城鞘殿には、平成8年(1996)鮎貝城築城600百年を記念して作成された鮎貝城の75分の1の再現模型が収められている。

写真帖

参道

参道

一の鳥居

一の鳥居

手水舎

手水舎

二の鳥居

二の鳥居

鐘楼

鐘楼

忠魂碑

忠魂碑

石祠

石祠

天照皇大神

天照皇大神

鮎貝城鞘殿

鮎貝城鞘殿

高良神社

高良神社

拝殿

拝殿

社号額

社号額

本殿

本殿

本殿彫刻

本殿の彫刻

メモ

山形鉄道フラワー長井線の終点・荒砥駅の一つ手前、四季の郷駅からほど近くに鎮座する。
事前に連絡した上でお伺いしたのだが、宮司様から歓待を受け、お茶とお菓子をいただいた上に、昇殿参拝までさせていただいた。それからいろいろな話をしたのだが、その中で町内荒砥に鎮座する兼務社の八乙女八幡神社の話題になり、御朱印はないものの宮司印と墨書で対応してくださった上、わざわざ車で現地まで案内してくださった。その間、宮司さんは神社のことのみならず、白鷹町のよさについてもいろいろ話してくださり、特に桜の季節に再訪するよう勧められた。
夕方の社務所を閉める時間ということもあっただろうが、実に至れり尽くせりで、こちらが恐縮するほどであった。宮司さんの対応は、もともと親切な人柄でもあるのだろうが、同時に郷土愛というか、町の発展を真剣に考えてのことだろうというのが伝わってきた。実際、話を聞いているうちに、私もぜひ桜の季節に再訪したいものだと思うようになった。こういった方たちによって地方が支えられているのだと思う。
宮司さんのお話によれば、わざわざ御朱印拝受のために遠方から参拝する人というのは年に数人だということであった。大変惜しいことである。そのおかげでゆっくり宮司さんとも交流できたともいえるのだが、それにしても、もっと広く知られてよい神社だと思う。フラワー長井線の沿線には他にも宮内熊野大社や総宮神社などがあり、併せての参拝もよいのではないだろうか。

鮎貝八幡宮の概要

名称 鮎貝八幡宮
旧称 八幡神社
御祭神 応神天皇〔おうじんてんのう〕
〈合祀〉
倉稲魂命〔うかのみたまのみこと〕
鎮座地 山形県西置賜郡白鷹町鮎貝3303番地の1
創建年代 康平2年(1059)
社格等 旧県社 別表神社
例祭 10月10日
神事・行事 1月1日/元旦祭
1月壬辰の日/鎮火祭
1月/厄除祓祈願祭
2月/進学入試合格祈願祭・小学児童安全祈願祭
4月25日/春祭(豊饒祈願)
6月30日/水無月祓祭
7月/交通安全祈願祭
11月23日/秋祭(豊饒感謝)
12月30日/大祓祭・古札焼納祭
文化財 〈県有形文化財〉本殿

交通アクセス

□山形鉄道フラワー長井線「四季の郷駅」より徒歩7分

諸国神社御朱印集
全国各地の神社を御朱印、由緒、アクセスなどの紹介。伊勢神宮をはじめ旧官国幣社、旧府県社、別表神社、さまざまな由緒を持った神社の由緒と御朱印を都道府県別に紹介する。現代の御朱印の他、江戸時代から明治、大正、昭和戦前の貴重な御朱印、海外廃絶神社の御朱印も掲載。

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