鐵砲洲稲荷神社

鉄砲洲稲荷神社

正式名称 鐵砲洲稲荷神社〔てっぽうずいなりじんじゃ〕
御祭神 稚産霊神 豊受比売神 宇迦之御魂神
社格等 旧郷社
鎮座地 東京都中央区湊1-6-7 [Mapion | googlemap]
公式サイト http://www.teppozujinja.or.jp/

【由緒概要】
鉄砲洲稲荷神社の創祀は平安時代の承和8年(841)で、江戸湾の奥に鎮座していたとされる。江戸湾埋め立ての進行にともなって新しい海岸線近くへと遷り、寛永元年(1624)鉄砲洲の稲荷橋南詰に鎮座。江戸湊の入口に位置することから湊稲荷とも称された。明治元年(1868)現社地に遷座した。

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鉄砲洲稲荷神社の御朱印

  • 鉄砲洲稲荷神社の御朱印

平成17年拝受の御朱印。揮毫は「鐵砲洲稲荷神社」、朱印は「鉄砲洲神社印」。

鉄砲洲稲荷神社について

名称 鐵砲洲稲荷神社
旧称 湊稲荷社
御祭神 稚産霊神〔わくむすびのかみ〕
豊受比売神〔とようけひめのかみ〕
宇迦之御魂神〔うかのみたまのかみ〕
鎮座地 東京都中央区湊一丁目6番7号
創建年代 承和8年(841)
社格等 旧郷社
例祭 5月2~5日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月第2日曜日/寒中水浴大会(寒中禊)
2月3日/節分祭追儺式
2月8日/針供養
2月17日/豊年祈願祭
6月30日/夏越の大祓
7月1日/鉄砲洲富士浅間神社例祭
8月14日/摂社八幡神社例祭
11月23日/生産感謝祭
12月冬至/冬至開運祈願祭
12月31日/大祓式・除夜祭

御由緒

鉄砲洲稲荷神社は平安時代、仁明帝の御代に創祀されたと伝える。江戸湾のもっとも奥に鎮座していたところから船乗りたちの崇敬篤かった。

室町末期に始まった江戸湾の埋め立ての進行にしたがって新しい海岸線の近い京橋辺りへ遷り、大永年間(1521~28)再び新しく海岸となった新京橋へ遷座した。さらに寛永元年(1624)鉄砲洲の稲荷橋南詰に遷され、もともと鎮座していた八幡神社を摂社とした。

江戸時代には関東総司稲荷橋神社と称し、寺社奉行の御直支配古跡十一社の触頭として、年頭御礼の節には登城した。江戸湊の入り口に鎮座することから湊稲荷とも呼ばれ、海上守護の神として広く信仰を集めたという。

明治元年(1868)現社地に遷座し、同5年(1872)村社に列格、翌6年(1873)郷社に昇格した。大正12年(1923)の関東大震災で被災、現在の社殿は昭和10年(1935)、神楽殿は同12年(1937)に再建されたものである。昭和初期の神社の様子をよく伝えているとして中央区の文化財に指定された。

境内の富士塚は寛政2年(1790)旧社地に築かれたもので、『江戸名所図会』にも描かれている。江戸時代に築造された富士塚の基本形式をよく残していることから、こちらも区の文化財に指定されている。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 摂社八幡神社

    摂社 八幡神社

  • 末社浅間神社

    末社 富士浅間神社(鉄砲洲富士)

  • 拝殿

    拝殿

メモ

町の中の神社ながら、木々の蔭が境内を覆う。社殿の向かって右側奥には富士塚もある。
先代宮司の中川正光師は、神道教化で有名な方であった。最初の参拝の1ヶ月ほど前に帰幽されたということで、非常に残念。
社務所では奉仕をしていると思われる人たちが作業をしていた。社前を通りすぎるときに一礼する人の姿も少なくない。故・中川宮司の教化活動の遺風を感じさせる。


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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