三光稲荷神社 | 東京都中央区

三光稲荷神社

三光稲荷神社の創建については、慶長8年(1603)絹布問屋の村越庄左衛門と木綿問屋の建石三蔵が建てた借家の鎮守として祀ったとも、歌舞伎役者の二代目関三十郎が祀っていた稲荷祠を建石三蔵の邸内に安置したとも伝えられる。大正13年(1924)田所稲荷を合祀した。猫族の守護神、特に失せ猫祈願で知られ、最近では遠方からも参拝や祈願の依頼があるという。

正式名称 三光稲荷神社〔さんこういなりじんじゃ〕
御祭神 倉稲魂神
社格等 旧無格社
鎮座地 東京都中央区日本橋堀留町2-1-13  [Mapion | googlemap]
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御朱印

三光稲荷神社の御朱印

(1)

三光稲荷神社の御朱印

(2)

(1)平成24年の正月に拝受した御朱印。墨書は「三光稲荷神社」、朱印は「三光神社神璽」。

(2)平成24年7月に拝受した御朱印。墨書は「三光稲荷神社」、抱き稲の神紋の印が追加されている。

御由緒

三光稲荷神社でいただいた由緒書によれば、元禄2年(1687)の『江戸惣鹿子』に「はせ川町、三十郎稲荷」とあるのが当社のことで、歌舞伎役者の二代目関三十郎の邸内に祀られていたという。

三十郎は屋敷の庭に伏見稲荷を勧請し、日頃から深く信仰していた。ある時、中村座で三十郎が演技をしているとき、場内に霊光のような閃きがあり、三十郎がくっきりと照らし出されたため、観客からやんやの喝采を浴び、その名声を不動のものとした。三十郎は神明の加護によるものと感じ、自身の名の「三」と「光」の字を合わせて「三光稲荷」と称し、木綿問屋で当地の大地主でもある長谷川町の建石三蔵の邸内に安置したという。

『平成「祭」データ』にある由緒によれば慶長8年(1603)絹布問屋の村越庄左衛門と木綿問屋の建石三蔵が当地を埋め立てて多数の借家を建て、その鎮守として祀ったことにはじまるとなっている。

大正13年(1924)区画整理のため長谷川町と田所町が合併して堀留町二丁目となり、その際、田所稲荷が合祀された。

また、当社は猫族守護神として、特に失せ猫祈願の霊験で知られる。境内の招き猫は、猫が帰ってきたことのお礼として奉納されたものとのこと。最近では遠方からも参拝や代理祈願の依頼があるという。

写真帖

参道入り口
参道入り口
鳥居と社殿
鳥居と社殿
社殿
社殿
招き猫
奉納された招き猫

メモ

1月4日、人形町の駅から水天宮に向かっていく途中、三光稲荷の初詣の案内を見つけた。地元の人だけを対象にしている感じでもなかったので、多少の期待を持って参拝したところ、書き置きの御朱印をいただくことができた。正月期間以外でも対応しているようで、後日再度参拝したところ、神紋の印が加わった御朱印を授与していた。

三光稲荷神社の概要

名称 三光稲荷神社
通称 三光神社
御祭神 倉稲魂神〔うかのみたまのかみ〕
(三光稲荷大明神・田所稲荷大明神)
鎮座地 東京都中央区日本橋堀留町二丁目1-13
創建年代 慶長8年(1603)
社格等 旧無格社
例祭 5月15日
神事・行事 2月中午の日/初午祭
10月15日/秋祭

交通アクセス

□人形町駅(日比谷線・都営浅草線)より徒歩2分
□小伝馬町駅(日比谷線)より徒歩6分
□馬喰横山駅(都営新宿線)より徒歩7分
□東日本橋駅(都営浅草線)より徒歩8分
□浜町(都営新宿線)より徒歩9分

更新履歴

2012.03.07.公開
2016.09.29.更新、Wordpressへ移行、御朱印を追加。

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