椙森神社

椙森神社

椙森神社の創建は約一千年前に遡り、藤原秀郷が平将門追討のために戦勝祈願をしたと伝えられる。文正元年(1466)太田道潅が当社で雨乞いの祈祷をして霊験があったため、山城国の伏見稲荷より五社稲荷大神を勧請・奉祀した。江戸時代には新橋の烏森神社、神田の柳森神社とともに江戸三森と呼ばれ、広く信仰を集めた。富興業も盛んで、江戸の三富に数えられたともいい、境内には珍しい富塚が残る。
中央区の神社

正式名称 椙森神社〔すぎのもりじんじゃ〕
御祭神 倉稲魂大神 素盞嗚大神 大市姫大神 大己貴大神 四大神 〈相殿〉恵比寿大神
社格等 旧村社
鎮座地 東京都中央区日本橋堀留町1-10-2 [Mapion | googlemap]
巡拝等 日本橋七福神(恵比寿神)
公式サイト http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/2928/
東京は江戸時代以来、約400年にわたり日本の中心として繁栄してきた。そのため、江戸幕府や明治政府から特別の崇敬を受けた重要な神社がいくつ...
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御朱印

  • 椙森神社の御朱印

    (1)

  • 恵比寿神の御朱印

    (2)

(1)平成18年拝受の御朱印。上の印は「椙森神社」、下は「椙森神社参拝之章」。

(2)日本橋七福神の恵比寿神の御朱印。平成18年拝受。

御由緒

椙森神社の創建は約一千年前と伝えられ、天慶3年(940)には平将門追討を命じられた藤原秀郷が戦勝を祈願したと伝えられる。この時奉納した白銀の狐像が現存するという。

文正元年(1466)、太田道潅が椙森神社で雨乞いの祈願をなし、霊験あらたかであったことから山城国伏見稲荷の五社の神を勧請し、篤く敬った。

江戸時代には新橋の烏森神社、神田須田町の柳森神社とともに江戸三森と称され、大名から庶民まで広く信仰を集めた。寛文年間(1661~73)には神道家の吉川惟足が、御祭神・大己貴大神の託宣により恵比寿大神を奉斎した。

また、富興業も盛んで、三富に数えられたという(ただし、江戸三富というと一般には湯島天神、目黒不動、谷中の天王寺とされる。落語『宿屋の富』では、湯島天神を舞台とするものと椙森神社を舞台とするものがある)。境内にはこれを偲ぶ富塚があり、富札も残っている(いずれも中央区民文化財指定)。

明治6年(1873)村社に列格。大正12年(1923)関東大震災で社殿が全焼。現在の社殿は昭和6年(1931)耐震構造の鉄筋造りで再建されたものである。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 富塚

    富塚

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

境内が狭い上に、約半分を駐車場として使っているので、非常に写真を撮るのが難しい。しかも、社殿の色とビルの谷間という環境のため、何度か参拝したが、未だに満足できる写真を撮れたことがない。
普段は宮司さんがいないので、御朱印は正月の七福神巡りに合わせて、もしくは行事のあるときに拝受できる。ただし七福神の御朱印は、貼り付けのものなら普段でもいただける(※平成17・18年時点)。

椙森神社の概要

名称 椙森神社
旧称 椙森稲荷
御祭神 倉稲魂大神〔うかのみたまのおおかみ〕
素盞嗚大神〔すさのおのおおかみ〕
大市姫大神〔おおいちひめのおおかみ〕
大己貴大神〔おおなむちのおおかみ〕
四大神〔しのおおかみ〕
※以上五柱を五社稲荷大神と奉称する。『平成「祭」データ』には四大神のかわりに五十猛神・抓津姫神・大屋姫神・事八十神の名がある。
〈相殿〉
恵比寿大神〔えびすのおおかみ〕
鎮座地 東京都中央区日本橋堀留町一丁目10-2
創建年代 平安時代
社格等 旧村社
例祭 5月15日・16日
※3年に1度の式年祭は5月16日に近い木・金・土曜日
神事・行事 1月1日/元旦祭
2月節分/節分祭
3月初午の日/初午祭
6月30日/大祓式
10月19日・20日/恵比寿大祭
11月26日/新嘗祭
12月31日/大祓式
巡拝 日本橋七福神(恵比寿神)

交通アクセス

□小伝馬町駅(日比谷線)より徒歩3分
□人形町駅(日比谷線・都営浅草線)より徒歩4分
□新日本橋駅(JR)より徒歩6分

旧官国幣社 日枝神社 日本橋摂社 通称:日本橋日枝神社 鎮座地:中央区日本橋茅場町 日本橋地域 ...

※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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