笠間稲荷神社東京別社は、茨城県笠間市に鎮座する笠間稲荷神社の東京別社で、笠間藩主牧野氏の邸内社を起源とする。牧野氏は笠間稲荷を深く崇敬し、安政4年(1859)御分霊を江戸下屋敷に勧請した。毎年初午の日には門戸を開放し、庶民の参拝を許したという。明治21年(1888)牧野氏の依頼により笠間の本社が奉祀するようになった。
正式名称 | 笠間稲荷神社〔かさまいなりじんじゃ〕 |
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通称 | 笠間稲荷神社 東京別社 |
御祭神 | 宇迦之御魂神 |
社格等 | 旧無格社 |
鎮座地 | 東京都中央区日本橋浜町2-11-6 [Mapion | googlemap] |
巡拝等 | 日本橋七福神(寿老神) |
公式サイト | http://www.kasama.or.jp/top/index2.html |
御朱印
(1)平成17年に拝受した御朱印。中央の朱印は「笠間稲荷神社」、その下に「浜町鎮座 紋三郎稲荷」。
(2)日本橋七福神・寿老神の御朱印。平成18年拝受。
御由緒
笠間藩主牧野氏の下屋敷に祀られていた邸内社を起源とする。
茨城県笠間市の笠間稲荷神社は、白雉2年(651)の鎮座と伝えられ、日本三大稲荷の一つにも数えられる。
歴代笠間藩主の崇敬篤く、藩の祈願所として社地・社殿・祭具等の寄進がたびたびであった。胡桃の林に祀られていたことから「胡桃下稲荷」と称した。
また、笠間藩主・井上正賢の一族の門三郎という人物が利根川を中心として人々に功徳を施し、信仰を勧めたことから「紋三郎稲荷(※門の字が紋に変わった)」とも呼ばれ、その信仰は関東一円のみならず全国に広がった。
延享4年(1747)笠間に入封した牧野氏も先例に倣って笠間稲荷を祈願所とし、深く崇敬した。もともと浜町にあった牧野氏の江戸下屋敷には邸内社として稲荷社があったが、安政6年(1859)牧野正直が笠間稲荷より御分霊を勧請して合祀した。毎年初午の日には屋敷の門戸を開放し、庶民の参詣を許したという。
明治になって笠間邸は本所緑町に移転、明治21年(1888)牧野家の願いにより、笠間の本社が祭祀を引き継ぐことになった。
大正12年(1923)関東大震災で社殿等を焼失するが、直ちに再建された。しかし昭和20年(1945)の戦災で再び全焼。同年12月に本殿と仮社務所、昭和28年(1953)拝殿を再建した。
写真帖
メモ
日本橋の久松警察署の向かいに赤い幟がはためく。笠間稲荷は有名でも、その別社が日本橋にあるということを知る人は意外に少ないようだ。御朱印拝受の際、この御朱印を見た都内他地区の神社の方から、何度か「笠間まで行ったんですか」という反応が返ってきた。確かに「浜町鎮座」の文字は目に入りにくい(平成17年当時)。
宮司は笠間稲荷の本社の宮司さんが兼務している。宗教法人としては独立しているため、分社ではなく別社と称するものと思われる。
笠間稲荷神社東京別社の概要
名称 | 笠間稲荷神社 |
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通称 | 笠間稲荷神社東京別社 紋三郎稲荷 |
御祭神 | 宇迦之御魂神〔うかのみたまのかみ〕 |
鎮座地 | 東京都中央区日本橋浜町二丁目11-6 |
創建年代 | 安政6年(1859) |
社格等 | 旧無格社 |
例祭 | 11月15日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 1月14日/お焚き上げ祭 2月節分/節分祭 6月30日/大祓 12月30日/お焚き上げ祭 |
巡拝 | 日本橋七福神(寿老神) |
交通アクセス
□浜町駅(都営新宿線)より徒歩3分
□人形町駅(日比谷線・都営浅草線)より徒歩5分