大泉氷川神社

大泉氷川神社

正式名称 氷川神社〔ひかわじんじゃ〕
通称 大泉氷川神社
御祭神 素盞嗚尊 大己貴命 稲田姫命 〈合祀〉香具槌命 火生霊命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都練馬区大泉町5-15-5 [Mapion|googlemap]

【由緒概要】
大泉氷川神社の創建年代は不詳だが、文永年間(1264~75)の鎮座という伝承がある。大宮の氷川神社から御分霊を勧請し、新座郡橋戸村の鎮守としたという。境内社の稲荷神社は江戸時代に橋戸村を領していた伊賀衆の守護神で、明治になって氷川神社境内に遷された。伊賀衆が嘉永2年(1849)に奉納した水盤があり、伊賀衆の由緒が刻まれている。

大泉氷川神社の御朱印

  • 大泉氷川神社の御朱印

    (1)

  • 大泉氷川神社の御朱印

    (2)

(1)平成19年拝受の御朱印。朱印は社殿と「大泉氷川神社」「参拝記念」。

(2)平成29年拝受の御朱印。朱印は「氷川神社」。

大泉氷川神社について

名称 氷川神社
通称 大泉氷川神社
御祭神 素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕
大己貴命〔おおなむちのみこと〕
稲田姫命〔いなだひめのみこと〕
〈相殿〉
香具槌命〔かぐつちのみこと〕
火生霊命〔ほむすびのみこと〕
鎮座地 東京都練馬区大泉町五丁目15番5号
創建年代 文永年間(1264~75)
社格等 旧村社
例祭 10月第2日曜日
神事・行事 1月1日/元旦祭
2月節分/節分祭
4月4日/春季例祭
12月31日/除夜祭
※『平成「祭」データ』による

御由緒

大泉氷川神社は新座郡橋戸村の鎮守。武蔵国一宮である大宮の氷川神社より勧請したものである。創建年代は不詳だが、文永年間(1264~75)とも伝えられる。

『新編武蔵風土記稿』には氷川社とあり、村民の庄忠右衛門の屋敷内にある祠で御祭神は在五中将(在原業平)でする。庄家に伝わるところでは、在原業平が東国に下向する際、庄・春日・江古田の3人が慕い来て、この地に祀ったものであると伝えられるが信じられないと記している。

明治7年(1874)村社に列格。明治13年(1880)社殿を改築した。明治41年(1908)字愛宕下の愛宕神社、字中耕の稲荷神社、字富士下の浅間神社を合祀した。

現在の社殿は昭和50年(1975)の造営である。

末社の稲荷神社には、江戸時代に橋戸村を領していた伊賀衆の守護神であった稲荷神社を合祀している。伊賀衆は天正10年(1582)神君伊賀越えに際して徳川家康を警固した功績により、家康が江戸に入府した後に橋戸村などに知行地を与えられた。

明治維新の際に村人に下げ渡され、愛宕神社の境内に祀られていたが、愛宕神社が当社に合祀されたため、稲荷神社も合祀されたという。稲荷神社の鳥居の脇にある水盤は嘉永2年(1849)に伊賀組衆が奉納したもので、伊賀衆の由緒が刻まれている。伊賀衆奉納の鳥居とともに区の文化財に指定されている。

写真帖

  • 一の鳥居

    一の鳥居

  • 参道

    参道

  • 二の鳥居

    二の鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 弁天社

    弁天社

  • 境内社

    境内社(白山社?)

  • 御嶽社

    御嶽社

  • 稲荷神社

    稲荷神社

  • 水盤

    伊賀衆奉納の水盤

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

関越道・外環道の大泉インター近くに鎮座する。公共交通機関を使う場合、大泉学園駅からバスを使うことになる。
初めての参拝時は、ちょうど氏子の方々が年末の奉仕活動をしているところだった。そのため、邪魔にならないように写真を撮影、ゆっくりと境内を見る間もなく参拝を終えた。

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