石神井氷川神社

石神井氷川神社

正式名称 氷川神社〔ひかわじんじゃ〕
御祭神 須佐之男命 〈相殿〉稲田姫命 大己貴命
社格等 旧郷社
鎮座地 東京都練馬区石神井台1-18-24 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://www.ne.jp/asahi/hikawajinja/hikawahp/

【由緒概要】
石神井氷川神社は応永年間(1394~1428)豊嶋氏が石神井城内に武蔵国一宮・氷川神社の御分霊を勧請し、守護神として祀ったことを起源とする。文明9年(1477)太田道灌により石神井城が落城、豊嶋氏は没落したが、その後も石神井郷の総鎮守として地域の人々の崇敬を集めた。

石神井氷川神社の御朱印

  • 石神井氷川神社の御朱印

平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「氷川神社」。右上は菊の神紋、左下は「社務所之印」。

石神井氷川神社について

名称 氷川神社
通称 石神井氷川神社
御祭神 須佐之男命〔すさのおのみこと〕
〈相殿〉
稲田姫命〔いなだひめのみこと〕
大己貴命〔おおなむちのみこと〕
鎮座地 東京都練馬区石神井台一丁目18番24号
創建年代 応永年間(1394~1428)
社格等 旧郷社
例祭 10月第3日曜日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月3日/節分祭
2月26日/祈年祭
5月/井のいち
7月1日/夏越の大祓
8月/ちゃがうま七夕
11月23日/新嘗祭
12月31日/年越し大祓

御由緒

石神井氷川神社は応永年間(1394~1428)このあたりを治めていた豊嶋氏が武蔵国一宮である大宮の氷川神社から御分霊を勧請し、守護神として石神井城内に祀ったことを起源とする。

文明9年(1477)太田道潅により石神井城が落城、豊嶋氏は没落した。しかし、その後も石神井郷(上石神井・下石神井・関・田中・谷原の5ヶ村)の総鎮守として地域住民の崇敬を集めた。江戸時代の別当は真言宗の亀頂山三宝寺だった。

『江戸名所図会』によれば、当時の例祭には芝神明宮(芝大神宮)から社人・巫女が来て神楽を奏していたという。

境内には元禄12年(1699)豊嶋氏の子孫である豊嶋泰盈・泰音が奉納した石灯籠が現存しており、豊嶋一族が当社を深く崇敬していたことが偲ばれる(練馬区指定有形文化財)。また、享保12年(1727)寄進の水盤には「石神井郷 鎮守社」と刻まれている(練馬区登録有形文化財)。

明治5年(1872)村社に列格、同7年(1874)郷社に昇格。

当社の本殿は文政年間(1818~30)、拝殿は明治34年(1901)の建造であったが、老朽化が進んでいたため平成元年(1989)より改修が行われ、平成4年(1992)新社殿が竣工した。神楽殿は昭和12年(1937)の造営で、その美しさは都内の神楽殿でも特筆されるものとのことである。

写真帖

  • 参道

    参道

  • 鳥居

    鳥居

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 境内社

    境内社

  • 石灯籠

    元禄12年奉納の石灯籠

  • 神田

    神田

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

桜や銀杏の茂る長い参道を抜けると、緑に覆われた氷川神社の境内に着く。広さ約二千坪という境内は大木が多く、石神井公園に隣接していることもあって、多くの鳥や虫が生息しているという。周辺は早くから東京都の風致地区・禁漁区に指定されているとのこと。社殿に向かって左手に豊嶋氏の末裔が元禄12年に奉納した石灯籠がある。その手前から左に進むと小さな神田があって、神饌用の古代米を栽培している。

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