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葛西神社 | 東京都葛飾区

 

葛西神社

葛西神社は、元暦2年(1185)葛西清重が葛西三十三郷の総鎮守として、香取神宮から御分霊を勧請したことに始まる。江戸時代以前は香取社・香取宮、明治維新の後は香取神社と称したが、明治14年(1881)に葛西神社と改称した。祭囃子(葛西囃子)発祥の社としても知られる。

正式名称 葛西神社〔かさいじんじゃ〕
御祭神 経津主尊 徳川家康命 〈相殿〉日本武尊
社格等 旧郷社
鎮座地 東京都葛飾区東金町6-10-5 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 金町(JR・京成)
公式サイト http://kasaijinjya.world.coocan.jp/
葛飾区の神社
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御朱印

葛西神社の御朱印 葛西神社の御朱印 none
(1) (2)

(1)平成17年拝受の御朱印。上の朱印は「武州葛西神社」。右下は「金町弁天」、左下は「葛西天神」。右下に「葛西囃子発祥の社」。

(2)平成23年拝受の御朱印。朱印は平成17年のものと同じで、右下に「祭囃子発祥」の墨書。

御由緒

葛西神社は、元暦2年(1185)葛西三郎清重が下総国の香取神宮より御分霊を勧請し、上葛西及び下葛西、合わせて三十三郷の総鎮守として奉斎したことに始まる。江戸時代以前は香取社・香取宮などと称し、別当は真言宗の龍香山吉祥院(廃寺)であった。

葛西三十三郷は葛西御厨と称する伊勢神宮の神領であり、また香取神宮の式年造営の賦役も務める役領でもあった。

江戸時代まで、当社では祭礼に際して鳥居に三十三垂の注連縄を掲げ、祭礼の後に各町村に分配していた。これは葛西三十三郷の総鎮守であった由緒に因む行事であったという。

往古、下総国葛飾郡を太日川(現在の江戸川)で分け、東を葛東、西を葛西と呼んだ。葛西は現在の葛飾区・江戸川区の全域、墨田区・江東区・足立区の一部に相当する。後の南葛飾郡とほぼ重なり、江戸時代の初め、太日川が利根川下流となったことにより、武蔵国に編入された。

葛西清重は豊島清元の三男で、葛西を本拠としていた。源頼朝・頼家・実朝の三大に使えた鎌倉幕府の重臣で、初代の奥州総奉行となった武将である。清廉潔白の人として知られるとともに、敬神崇仏の念も深く、建久年間(1190~99)所領の葛西一帯を伊勢神宮に寄進し、葛西御厨が成立した。

また、下総の国司的な立場として、香取神宮で20年に一度行われる式年造営の差配役を千葉氏と交替で担当するようになった。香取神宮の文書から、葛西御厨のうち当社が鎮座する金町をはじめ、小鮎(小合)・猿俣(猿町)・飯塚の4郷がその賦役を務めていたことがわかる。

中世には兵火によりたびたび社殿が炎上したという。天正18年(1590)豊臣秀吉より朱印領10石を寄進された。

江戸に入った徳川家康が葛西を訪れた際、古くから当社に伝わる操り人形の神事を見た。これは奇特なことであると感心し、天正19年(1591)11月、祭祀を専らにせよと朱印地10石を附せられたという。

元文2年(1737)京都の吉田家より宗源宣旨によって正一位に補せられた。

明治の神仏分離に際し、社号を香取神社と改めた。13世別当の秀赦は復飾して神主となり、吉祥院は廃寺となった。

明治5年(1872)村社に列格した。明治8年(1875)郷社に昇格。明治14年(1881)葛西三十三郷の総鎮守として奉斎された由緒に基づき、葛西清重の功績を長く伝えるため、葛西神社と改称した。

大正の初め、現在の葛飾橋の北に鎮座していた大鳥神社(御祭神:日本武尊)を合祀した。「金町のおとりさま」と親しまれ、毎年11月には酉の市が行われる。

現在の社殿は昭和39年(1964)の造営。安政年間(1855~60)の建造という旧社殿は宝物殿となっている。

社殿東側の富士塚は「葛西金町富士」と称する。明治39年(1906)江戸川の改修工事のために崩され、明治44年(1911)に再建されたものである。

金町弁天と称される厳島神社は天明7年(1787)の造営で、御神体は江島神社の御尊像と同一の謹刻という。元は瀬崎村(埼玉県草加市)に鎮座していたが、信者たちが金町村に移り住んだ際、離れるのは忍びないと金町の地に遷し、葛西神社の境内に祀ったという。

当社は祭囃子発祥の社としても知られる。享保年間(1716~36)当社の神官であった能勢環が敬神の和歌に合わせて音律を工夫し、和歌囃子として村の若者に教えた。これが祭囃子(葛西囃子)の起源とされる。

宝暦3年(1753)関東代官伊奈半十郎が、一家の和合と青少年の善導を目的として大いに葛西囃子を奨励した。各町村で祭囃子の代表者選出会が行われ、選出されたものは代官自ら神田明神の将軍家御上覧祭に推薦したことから隆盛の一途をたどった。

これが山車の隆盛とともに各地に伝播し、「神田囃子」や「目黒囃子」をはじめとする流儀を生み出した。さらに秩父や川越、石岡などの関東各地、東北、東海地方にまで広がり、特色ある祭囃子を生み出すに至ったのである。

葛西囃子は、昭和28年(1954)江戸の祭囃子として東京都の無形民俗文化財に指定されている。

写真帖

葛西神社一の鳥居

一の鳥居と社号標

葛西神社道祖神

道祖神と水神宮

葛西神社福神殿

福神殿

葛西神社厳島神社(金町弁天)

厳島神社(金町弁天)

葛西神社大鳥居

大鳥居

葛西神社神楽殿

神楽殿

葛西神社諏訪社・神明社

諏訪社・神明社

葛西神社葛西囃子発祥の碑

葛西囃子発祥の碑

葛西神社稲荷社

稲荷社

葛西神社葛西天神社

葛西天神社

葛西神社三峯社・鍾馗像

三峯社・鍾馗像

葛西神社富士社(葛西金町富士)

富士社(葛西金町富士)

葛西神社祓所

祓所

葛西神社金町招魂社

金町招魂社

葛西神社拝殿

拝殿

葛西神社本殿

本殿

メモ

江戸川のほとりに鎮座する。対岸は千葉県の松戸市である。境内には大銀杏をはじめとする樹々が生い茂り、数多くの摂末社が鎮座する。中でも厳島神社(金町弁天)と葛西天神社は、御朱印に御本社とともに朱印が押されており、特に信仰を集めているものと思われる。その他にも珍しい鍾馗の像や富士塚、区内最古の鳥居など見所が多い。

葛西神社の概要

名称 葛西神社
旧称 香取神社
御祭神 経津主尊〔ふつぬしのかみ〕
徳川家康命〔とくがわいえやすのみこと〕
〈相殿〉
日本武尊〔やまとたけるのみこと〕
鎮座地 東京都葛飾区東金町六丁目10番5号
創建年代 元暦2年(1885)
社格等 旧郷社
例祭 9月中旬金・土・日曜日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月下旬/三十三垂注連飾り
1月25日/初天神
2月3日/節分神事
2月初午の日/初午祭
4月17日/東照宮祭・招魂社祭
5月/泣き相撲
6月30日/夏越の大祓・弁天祭
7月1日/富士祭
8月1日/諏訪祭
8月/音楽祭
11月酉の日/酉の市
11月23日/新嘗祭
12月31日/年越の大祓
文化財 〈都無形民俗文化財〉葛西囃子

交通アクセス

□金町駅(JR・京成)より徒歩10分

更新情報

2006.01.29.公開
2017.06.26.改訂、WPへ移行、御朱印・画像追加。

東都神社御朱印集
東京の神社400社以上の御朱印や由緒などの紹介。珍しい江戸時代から昭和戦前までの御朱印も掲載。

コメント

  1. […] ■葛飾区 葛西神社 東京都葛飾区東金町6-10-5 最寄り駅:金町 ※葛西囃子の奉納があります。 […]

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