小金井神社は、上・下小金井村と小金井新田の鎮守。元久2年(1205)当地を開拓したとき、里人が菅原道真を祀ったことに始まると伝えられる。元は天満宮と称したが、明治3年(1870)地名に因んで小金井神社と改称した。
正式名称 | 小金井神社〔こがねいじんじゃ〕 |
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御祭神 | 菅原道真公 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都小金井市中町四丁目7-2 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 武蔵小金井駅(JR中央線) バス停:前原町 |
公式サイト | http://www.koganeijinja.com/ |
御朱印
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(1)平成17年拝受の御朱印。墨書は「奉拝/天満宮小金井神社/日付」。中央の朱印は「小金井神社印」、右上の印は「武藏小金井鎮座」、左下は「小金井神社社務所印」。
(2)平成22年拝受の御朱印。墨書は「奉拝/天満宮/小金井神社/日付」。朱印は(1)と同じ。
(3)平成29年拝受の御朱印。墨書は「奉拝/天満宮/小金井神社/日付」。中央の朱印は「天満宮小金井神社印」。右下は「武藏小金井鎮座」、左下は「小金井神社社務所印」で(1)と同じ。
(4)令和3年拝受の御朱印、書き置き。墨書は「奉拝/天満宮/小金井神社/日付」。中央の朱印は「天満宮小金井神社印」だが、(3)のものとは細部が異なっているように思われる。右下の「武藏小金井鎮座」、左下の「小金井神社社務所印」の印も新しくなっているようだ。
(5)令和3年9月、「中央線御朱印めぐり」で拝受した御朱印。専用の台紙には中央線の電車、イチョウとモミジの葉、朱印風の「武蔵小金井驛」の文字があしらわれている。残りの部分はこの頃から授与されるようになった書き置きの御朱印とほぼ同じで、墨書は「奉拝/武蔵小金井鎮座(朱字)/天満宮/小金井神社/日付」。中央の朱印は(4)と同じ「天満宮小金井神社印」、台紙に撫で牛と梅の花があしらわれている。
(6)令和5年拝受の御朱印、書き置き。墨書は「奉拝/武蔵小金井鎮座(朱字)/天満宮/小金井神社/日付」。中央の朱印は「天満宮小金井神社印」だが、新しくなっているようだ。左下は「小金井神社社務所印」。台紙に撫で牛と梅の花があしらわれている。
小金井神社について
御祭神
■菅原道真公
御神体は高さ1尺4寸(約42.4センチ)の菅原道真公の坐像。宝暦元年(1751)当時の名匠で、江戸神田在住の粉川一正康信に依頼したものと伝えられる。
御由緒
小金井神社は、上・下小金井村及び下小金井新田の鎮守。なお、上小金井村と下小金井村は元々一つの村だったが天和3年(1683)に分村、明治8年(1875)に再び合併して小金井村となっている。
社伝によれば、元久2年(1205)当地の開拓に当たり、菅原道真の鴻徳を敬仰して桜並(現在の小金井第一小学校のあたり)に祀り、天満宮と称したことに始まるという。
天正11年(1583)、小金井の開拓に尽力した賀茂下出雲入道勝重が村人とともに、西の台の現社地に社殿を再建。天正15年(1587)府中宿の本覚山妙光院(府中市本町1、真言宗)を別当とした。
因みに、賀茂下出雲入道勝重は足利家の家臣であった関勝重で、小金井の鴨下に移住して鴨下を称した。幕末明治の侠客・小金井小次郎(関小次郎)はその末裔である。
宝暦元年(1751)、賀茂下出雲の子孫である関勘右衛門と関忠蔵が当時の名匠・江戸神田の粉川市正康信に依頼して、高さ1尺4寸(約42.4センチ)の菅原道真公の坐像を彫刻せしめた。同時に社殿を造営し、この像を奉安したのが、現在の本殿(覆殿の中に納められている)と御神体である。
また、この時に府中の妙光院に代わって、同院末寺の天神山金蔵院が別当を務めることになった。
なお、『武蔵国府名跡誌』(府中町青年会編、大正5年)は神像の謹刻、社殿の造営を明和6年(1769)のこととし、この時、旧社殿を関野新田に移築し、当社の御分霊を勧請して一社を創立したのが関野天神社だとする。
関野天神社の社伝では、享保7年(1722)関野新田の開発に当たって創建されたとするので、この年代は信じがたい。ただし、関野新田を開発したのは下小金井村の関家であり、関野天神社の創建が当社から御分霊を勧請したことに始まること、また旧社殿を関野天神社に移築したことなどは十分考えられるだろう。
『新編武蔵風土記稿』には、以下のように記される。
天満宮 社地除三石四斗余。下山野にあり。本社四間に三間の覆屋。拝殿二間に三間半。神体木の坐像長一尺ばかり。上下二村及び新田の鎮守なり。例祭九月廿五日。金蔵院持。
明治維新に際して天満天神、さらに明治3年(1870)12月、小金井の総鎮守として小金井神社と改称する。明治6年(1873)12月、村社に列格(※小金井市史その他の資料による。神社明細帳には、読みにくいが明治10年(1877)10月と書いてあるように見える)。
明治22年(1889)拝殿と覆殿の改築の工を起こし、明治27年(1894)9月に竣工する。この社殿について『武蔵国府名跡誌』は「目下村社なりと雖も、社殿の如きは拝殿と本殿に区別され、広壮優美なること、近郷稀に見る処なり」と記している。
明治42年(1909)村内四の台の無格社・神明社(前原町の前原神明社)、是政新田の無格社・稲荷神社(桜町の是政稲荷神社)、二枚橋上の無格社・稲荷神社(東町の笠森稲荷神社)を合祀するが、昭和22年にそれぞれ分祀・復座した。
令和元年(2019)より御代替奉祝記念事業として拝殿改築と境内整備が行われ、令和2年(2020)12月に新しい拝殿が竣工した。
境内社
明治12年(1879)の「神社明細帳」には、熊野神社と稲荷神社の2社が掲載されている。現在は水天宮、大鷲神社、稲荷神社の三社が祀られている。
■水天宮
御祭神:天御中主神・伊邪那岐命・伊邪那美命
以前は熊野神社と称していた。熊野神社の創祀については不詳だが、江戸時代末期には既にあったといい、神社明細帳にも記載されている。古くは「疱瘡神社」とも呼ばれたという。
社前の由緒書には、御祭神の伊邪那岐命・伊邪那美命は日本で最初の夫婦神であり、古くより近隣から安産や縁結び、夫婦和合の神として親しまれており、また、天御中主神については、天地創世の神、神々の祖先神として広く信仰され、病気平癒・健康長寿の御神徳が厚く、水難除け・旅行安全など多岐にわたって崇敬されたとある。戦後に旧奉安殿に併せ祀られてきたが、令和の御代替わりに合わせて新しい社殿に祀られるようになったという。ここにいう「奉安殿」が元の熊野神社である。
かつての熊野神社社殿。外側のコンクリート製の祠は終戦まで小金井国民学校(現在の小金井第一小学校)で奉安殿として使われていたもので、その中に近隣の氏子が奉納したという木造の祠が納められていた。
■稲荷神社
御祭神:宇迦之御神
明治12年(1879)の神社明細帳にも記載されている。
かつて、小金井をはじめとする多摩地域では宅神として稲荷社が多く祀られていた。後継者の喪失などで祭祀が継続できなくなった小金井の稲荷社もこちらに合祀されているという。
■大鷲神社
■大鷲神社
御祭神:天児屋根命
社殿前の由緒書には「創始は昭和19年十月五日に、小金井神社の地に勧請遷座された」とあるが、どこからの勧請かは書かれていない。
大鷲神社で御祭神を天児屋根命とするのは珍しい(一般的には日本武尊や天日鷲命など)。しかし、昭和19年当時、和泉国一宮・大鳥大社は大鳥連祖神〔おおとりのむらじのおやがみ〕一柱を御祭神としており(現在は大鳥連祖神と日本武尊の二柱)、大鳥連は大中臣連と同族であることから大鳥連祖神は大中臣連の祖神・天児屋根命のこととされる。なので、大鳥大社からの勧請ではないかと考えられる。
近隣の氏子からは「お酉さま」と呼ばれ、商売繁盛・出世開運・国土安泰の神として信仰されているという。毎年、11月の酉の日には「お酉さま祭り」が執り行われる。
社殿は旧中島飛行機三鷹研究所にあったものを譲り受けたと伝えられる。
境内
社頭。かつては田園風景が広がっていたのだろうが、現在は周囲を住宅に囲まれている。
社号標。
幕末・明治初期の侠客・小金井小次郎(関小次郎)が奉納した狛犬。小次郎は下小金井村の名主・関家の生まれで、関東一円に3千人の子分を擁したという博徒の大親分である。江戸町火消し十番組頭で侠客の元締め的な存在であった新門辰五郎とは義兄弟の契りを結んでいた。石川島の人足寄場に収容されていたとき、江戸本郷から出火した大火事に際して辰五郎とともに寄場に残り、種油が収納されていた油蔵に碑が及ぶのを食い止めたとか、島流しにされた三宅島で水不足に悩む島民のために私財を投じて井戸を掘ったなど、さまざまな逸話がある。この狛犬は小次郎最晩年の明治13年(1880)に奉納したものである。
鳥居。扁額には「天満宮」とある。
こちらは東側参道入口の鳥居。
手水舎。
御朱印の台紙にも描かれている撫で牛。
令和2年(2020)に竣工した新しい拝殿。以前の拝殿に比べて横幅が広くなったように思われる。撮影は令和3年(2021)6月。
こちらは明治27年(1894)造営の旧拝殿。撮影は平成22年(2010)6月。
新拝殿を斜め前から。
拝殿に掲げられた神額「小金井神社」。
覆殿。この中に宝暦年間造営の本殿が納められている。
神楽殿。以前は拝殿前に置かれていた酒樽が、こちらに移されていた。
石臼塚。石臼は遙か昔から人々の日常生活において欠かせないものであったが、第二次大戦後の生活環境の急激な変化のために使われることがなくなり、姿を消していった。これを惜しんだ心ある人々が呼びかけて地域に残る石臼を集め、昭和48年(1973)感謝を込めて塚を作った。全国的にも、このような石臼塚は珍しいという。
日露戦役忠魂碑。揮毫は乃木希典大将。
天神前石橋供養塔。小金井神社の南約100mの野川にかかる天神橋は、古くは天神前石橋と呼ばれ、石2枚の石橋であった。しかし幅が狭く、人馬の通行に不便であったため、村内はもちろん、近隣の村人にも協力を呼びかけて、石4枚の橋とした。この供養塔は文久2年(1862)に石橋の永久の盤石と往来の安全を祈願して建てられたもので、表面には石橋の由来と改修の経緯を記した「石橋の記」、裏面には「いし橋は 千代も動かぬ 青田かな」の句が刻まれている。
メモ
「はけ」と呼ばれる国分寺崖線と野川の中間、住宅地の中に鬱蒼と緑の繁る鎮守の森がある。本殿は三間社流造の立派なもの。境内には境内社や神楽殿のほか、市民から奉納された石臼を積み上げた石うす塚、弓道場などがある。
概要
名称 | 小金井神社 |
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通称 | 天満宮小金井神社 |
旧称 | 天満宮 |
御祭神 | 菅原道真公〔すがわらのみちざねこう〕 |
鎮座地 | 東京都小金井市中町四丁目7番2号 |
創建年代 | 元久2年(1205) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月25日 |
神事・行事 | 6月30日/大祓式典 11月25日/新穀感謝祭 12月25日/師走の大祓 |
交通アクセス
□JR中央線「武蔵小金井駅」より徒歩約11分
更新記録
2024.06.17.改訂:社殿改築に伴い画像変更、内容を改訂、御朱印追加。
2017.06.26.更新:WordPressに移行。
2014.06.17.改訂:内容を改訂、由緒・画像を追加。
2006.01.29.公開