歴代以外の天皇・皇族の陵墓の旧陵墓印

光明天皇・崇光天皇大光明寺陵

光明天皇・崇光天皇大光明寺陵

現在、御陵印は歴代天皇陵と神代三陵の印しかないが、かつては北朝の天皇や追尊天皇・追号天皇の御陵、さらに三后(皇后・太皇太后・皇太后)や皇族の陵墓にも印があった。私の手許には昭和49年の飯豊天皇(飯豊皇女)と岡宮天皇(草壁皇子)の御陵印があり、昭和の後半まで授与されていたようだ。

歴代天皇以外の天皇・三后・皇族の陵墓印(御陵印)がどれほどあったかはよくわからないが、現在、私の手許には50余りある。中には作り替えられたものもあるようで、複数の印影が残っている陵墓もある。専用の集印帖まで作られた歴代天皇陵の御陵印に比べ残っている数が少なく、非常に貴重なものといえるだろう。

なお、ここで紹介しているもの以外でもネット上で紹介されている陵墓印があり、それらについてはリンクを貼っておく。

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目次

歴代天皇以外の天皇陵の御陵印

追尊天皇・追号天皇のうち、崇道尽敬皇帝(舎人親王)と後高倉天皇(守貞親王)は御陵が治定されておらず、御陵印はなかったようだ。陽光院太上天皇は月輪陵なので個別の御陵印はなかった。飯豊皇女の埴口丘陵は天皇陵の扱いになっており、御陵印にも「飯豊天皇埴口丘陵」とあったので、ここに含める。

大光明寺陵(光明天皇・崇光天皇)

御陵名:大光明寺陵(だいこうみょうじのみささぎ)
被葬者:北朝第2代 光明天皇
御陵名:大光明寺陵(だいこうみょうじのみささぎ)
被葬者:北朝第3代 崇光天皇
所在地:京都市伏見区桃山町泰長老
※同一兆域に上記2陵と後伏見天皇皇玄孫 治仁王墓がある。

  • 御陵印(大光明寺陵)

    (1)

(1)時期不詳、昭和戦前。印文は「光明院天皇 崇光院天皇 大光明寺陵」。

田原西陵(春日宮天皇)

御陵名:田原西陵(たはらのにしのみささぎ)
被葬者:春日宮天皇(春日宮御宇天皇・志貴皇子)
所在地:奈良県奈良市矢田原町
※志貴皇子は天智天皇の皇子で、光仁天皇の御父。光仁天皇の即位に伴い春日宮天皇の追尊を受けた。

  • 御陵印(田原西陵)

    (1)

(1)時期不詳、昭和10年前後のものか。印文は「春日宮天皇 田原西陵」。

真弓丘陵(岡宮天皇)

御陵名:真弓丘陵(まゆみのおかのみささぎ)
被葬者:岡宮天皇(岡宮御宇天皇・草壁皇子)
所在地:奈良県高市郡高取町森
※草壁皇子は天武天皇・持統天皇の皇子で、文武天皇・元正天皇の御父。天武天皇の皇太子となるが即位することなく薨去。後に岡宮御宇天皇を追尊される。

  • 御陵印(真弓丘陵)

    (1)

(1)時期不詳、昭和10年前後のものか。印文は「岡宮天皇真弓丘陵」。

八嶋陵(崇道天皇)

御陵名:八嶋陵(やしまのみささぎ)
被葬者:崇道天皇(早良親王)
所在地:奈良県奈良市八島町
※早良親王は光仁天皇の皇子で、桓武天皇の同母弟。桓武天皇の皇太子となるが、藤原種継暗殺事件に連座して廃され、無実を訴えて絶食・憤死する。その後、早良親王の祟りが恐れられ、崇道天皇と追称された。

  • 御陵印(八島陵)

    (1)

(1)時期不詳、昭和10年前後のものか。印文は「崇道天皇 八島陵」。

伏見松林院陵(後崇光太上天皇)

御陵名:伏見松林院陵(ふしみのしょうりんいんのみささぎ)
被葬者:御崇光太上天皇(伏見宮貞成親王)
所在地:京都市伏見区新町522
※伏見宮貞成親王は伏見宮第3代当主で後花園天皇の御父。

  • 御陵印(伏見松林院陵)

    (1)

(1)時期不詳、昭和10年前後のものか。印文は「伏見松林陵」。

廬山寺陵(慶光天皇)

御陵名:廬山寺陵(ろざんじのみささぎ)
被葬者:慶光天皇(閑院宮典仁親王)
所在地:京都市上京区北之辺町397
※同一兆域内に1陵15墓がある。閑院宮典仁親王は閑院宮第2代当主で光格天皇の御父。光格天皇が太上天皇の尊号を贈ろうとするが、幕府とくに老中・松平定信の反対により実現しなかった。明治17年(1884)明治天皇の直系の先祖に当たることから慶光天皇の諡号と太上天皇の称号が贈られた。

  • 御陵印(廬山寺陵)

    (1)

(1)時期不詳、昭和10年前後のものか。印文は「慶光天皇 廬山寺陵」。

埴口丘陵(飯豊天皇)

御陵名:埴口丘陵(はにぐちのおかのみささぎ)
被葬者:飯豊天皇(飯豊皇女)
所在地:奈良県葛城市北花内
※飯豊皇女は履中天皇の皇女、または市辺押磐皇子の王女で、第22代清寧天皇の崩御の後に一時政務を執ったとされ、一部の史書では天皇として扱われている。宮内庁では「履中天皇々孫女 飯豊天皇」としている。御陵は、日本書紀は「葛木埴口丘陵」、延喜式諸陵寮は「埴口陵」としているが、現在は「埴口丘陵」で「陵」とされている。かつての陵墓印にも「飯豊天皇」とあった。

  • 御陵印(埴口丘陵)

    (1)

(1)昭和49年。印文は「飯豊天皇 埴口丘陵」。下は岡宮天皇(草壁皇子)真弓丘陵の御陵印で、戦前と同じものだと思われる。

三后の御陵の陵墓印

三后とは皇后・皇太后・太皇太后の総称。律令においては、皇后は天皇の嫡妻、皇太后は天皇の母で后位(皇后)にあった者、太皇太后は天皇の祖母で后位(皇太后・皇后)にあったものとされるが、後に后位になかった国母(天皇の母)への皇太后・太皇太后宣下が行われるようになる(贈位を含む)。さらに天皇の准母として皇后に立てられた例もある(尊称皇后)。三后の墳墓は「陵」と称される。

狭木之寺間陵(日葉酢媛命)

陵墓名:狭木之寺間陵(さきのてらまのみささぎ)
被葬者:垂仁天皇皇后 日葉酢媛命
所在地:奈良県奈良市山陵町
※日葉酢媛命は垂仁天皇の皇后で、父は開化天皇の皇孫・丹波道主王。

  • 御陵印(狭木之寺間陵)

    (1)

(1)時期不詳、昭和戦前。印文は「垂仁天皇皇后日葉酢姫之命狭木之寺間陵」。

日岡陵(播磨稲日大郎姫)

陵墓名:日岡陵(ひのおかのみささぎ)
被葬者:景行天皇皇后 播磨稲日大郎姫
所在地:兵庫県加古川市加古川町大野字日岡山
※播磨稲日大郎姫は景行天皇の皇后で、大碓皇子・小碓尊(日本武尊)などの生母。

  • 陵墓印(日岡陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「日岡陵」。

狭城盾列池上陵(神功皇后)

陵墓名:狭城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのえのみささぎ)
被葬者:仲哀天皇皇后 神功皇后
所在地:奈良県奈良市山陵町
※神功皇后は仲哀天皇の皇后で、応神天皇の御母。江戸時代以前の史書には歴代天皇に数えているものも多いが、大正15年の皇統譜令改正以降、歴代から外された。

  • 御陵印(狭城盾列池上陵)

    (1)

(1)時期不詳、昭和戦前。印文は「神功皇后狭城盾列池上陵」。

仲津山陵(仲姫命)

陵墓名:仲津山陵(なかつやまのみささぎ)
被葬者:応神天皇皇后 仲姫命
所在地:大阪府藤井寺市沢田四丁目
※仲姫命は応神天皇の皇后。

  • 陵墓印(中津山陵)

    (1)

(1)時期不詳、昭和戦前。印文は「應神天皇皇后仲姫命御陵」。

平城坂上陵(磐之媛命)

陵墓名:平城坂上陵(ならさかのえのみささぎ)
被葬者:仁徳天皇皇后 磐之媛命
所在地:奈良県奈良市佐紀町
※磐之媛命は仁徳天皇の皇后。

  • 陵墓印(平城坂上陵)

    (1)

(1)時期不詳、昭和戦前。印文は「仁徳天皇皇后平城坂上陵」。

衾田陵(手白香皇女)

陵墓名:衾田陵(ふすまだのみささぎ)
被葬者:継体天皇皇后 手白香皇女
所在地:奈良県天理市中山町
※手白香皇女は仁賢天皇の皇女で、継体天皇の皇后。

  • 陵墓印(衾田陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「衾田陵」で、枠は八稜鏡の形をしている。

古市高屋陵(春日山田皇女)

陵墓名:古市高屋陵(ふるちのたかやのみささぎ)
被葬者:安閑天皇皇后 春日山田皇女
所在地:大阪府羽曳野市古市5丁目
※春日山田皇女は仁賢天皇の皇女で、安閑天皇の皇后。

  • 陵墓印(古市高屋陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「春日山田皇女古市高屋陵」。

身狭桃花鳥坂上陵(橘仲皇女)

御陵名:身狭桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのえのみささぎ)
被葬者:宣化天皇・宣化天皇皇后 橘仲皇女
所在地:奈良県橿原市鳥屋町
※橘仲皇女は仁賢天皇の皇女で、宣化天皇の皇后。身狭桃花鳥坂上陵には宣化天皇と橘仲皇女が合葬されている。現在は「宣化天皇同皇后身狭桃花鳥坂上陵」として一つの御陵印となっているが、かつては別々に御陵印があったようである。

  • 陵墓印(身狭桃花鳥坂上陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「橘仲姫皇女 身狭桃花鳥坂上陵」。

磯長原陵(石姫皇女)

御陵名:磯長原陵(しながのはらのみささぎ)
被葬者:欽明天皇皇后 石姫皇女
御陵名(合葬):河内磯長中尾陵(こうちのしながのなかのおのみささぎ)
被葬者:敏達天皇
所在地:大阪府南河内郡太子町大字太子
※石姫皇女は宣化天皇の皇女で、欽明天皇の皇后。実子の敏達天皇と合葬されており、敏達天皇の御陵としては「河内磯長中尾陵」と称する。現在は同一の御陵印だが、戦前は同一の印だった時期と別の印があった時期があるようだ。

  • 陵墓印(磯長原陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「欽明天皇々后 石姫皇女 磯長原陵」。

※河内磯長中尾陵と磯長原陵が一つの印だった時期の御陵印が、おかもと氏の「昔の集印帖」に掲載されている。印文は「敏達天皇河内磯長中尾陵 石姫皇女磯長原陵」。
https://www.shuincho.tk/ryoin/osakafu/kochinoshinaganonakanonomisasagi/

息長陵(広姫)

御陵名:息長陵(おきながのみささぎ)
被葬者:敏達天皇皇后 広姫
所在地:滋賀県米原市村居田字北屋敷
※広姫は敏達天皇の皇后で、父は息長真手王。なお広姫崩御の後、額田部皇女(推古天皇)が皇后となった。

  • 陵墓印(息長陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「息長陵」。

佐保山東陵(光明皇后)

御陵名:佐保山東陵(さほやまのひがしのみささぎ)
被葬者:聖武天皇皇后 天平応真仁正皇太后(仁正皇后・光明皇后)
所在地:奈良県奈良市法蓮町
※仁正皇后は聖武天皇の皇后。藤原不比等と県犬養三千代の娘で、諱は安宿媛、通称は光明子で、光明皇后として知られる。皇族以外から立后した初めての皇后。なお、現在は佐保山南陵と佐保山東陵が一つの印にまとめられている。

  • 陵墓印(佐保山東陵)

    (1)

  • 御陵印(佐保山南陵・佐保山東陵)

    (2)

(1)時期不詳、昭和10年代か。印文は「仁正皇后佐保山東陵」。

(2)昭和10年代、(1)と同じもの。右上は聖武天皇佐保山南陵の御陵印。

吉隠陵(紀橡姫)

御陵名:吉隠陵(よなばりのみささぎ)
被葬者:光仁天皇御母贈皇太后 橡姫(紀橡姫)
所在地:奈良県宇陀郡榛原角柄
※紀橡姫は春日宮天皇(志貴皇子、天智天皇の第七皇子)の妃、父は紀諸人。光仁天皇の生母で、没後に皇太后を追贈された。

  • 陵墓印(吉隠陵)

    (1)

(1)昭和17年。印文は「紀橡姫吉隠陵」。

宇智陵(井上内親王)

御陵名:宇智陵(うちのみささぎ)
被葬者:光仁天皇皇后 井上内親王
所在地:奈良県五條市御山町・黒駒町・大野町
※井上内親王は聖武天皇の第一皇女で、光仁天皇の皇后。光仁皇后を呪詛したとして廃され、同じく皇太子を廃された実子の他戸皇子とともに幽閉先で薨去した。その後起こった天変地異が廃后・廃太子の怨霊によるものとされたことから、皇后を追号、御墓は山陵と追称された。

  • 陵墓印(宇智陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「光仁帝皇后 井上内親王 宇智陵」。

大枝陵(高野新笠)

御陵名:大枝陵(おおえのみささぎ)
被葬者:光仁天皇夫人贈太皇太后 天高知日之子姫尊(高野新笠)
所在地:京都市西京区大枝沓掛町
※高野新笠は光仁天皇の妃で、桓武天皇の生母。父は百済の武寧王の子孫とされる和史乙継で、光仁天皇即位の後に高野朝臣を賜った。桓武天皇の即位に伴い皇太夫人、薨去の後、贈皇太后・贈太皇太后。

  • 陵墓印(大枝陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「洛西 大枝陵」。下の高畠陵・宇波多陵と同一デザインで作られているようだ。

高畠陵(藤原乙牟漏)

御陵名:高畠陵(たかばたけのみささぎ)
被葬者:桓武天皇皇后 天之高藤廣宗照姫之尊(藤原乙牟漏)
所在地:京都市向日市寺戸町大牧
※藤原乙牟漏は桓武天皇の皇后で、平城天皇・嵯峨天皇の生母。父は藤原式家の藤原良継。

  • 陵墓印(高畠陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「長岡 高畠陵」。

宇波多陵(藤原旅子)

御陵名:宇波多陵(うはたのみささぎ)
被葬者:桓武天皇夫人贈皇太后 旅子
所在地:京都市西京区大枝中山町乳母堂
※藤原旅子は桓武天皇の夫人で、淳和天皇の生母。父は桓武天皇擁立の功労者である藤原百川。没後に正一位と妃を贈られ、淳和天皇即位により皇太后を追贈された。

  • 陵墓印(宇波多陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「洛西 宇波多陵」。

嵯峨陵(檀林皇后)

御陵名:嵯峨陵(さがのみささぎ)
被葬者:嵯峨天皇皇后 嘉智子(檀林皇后・橘嘉智子)
所在地:京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町
※檀林皇后(橘嘉智子)は嵯峨天皇の皇后で、父の橘清友は橘諸兄の孫に当たる。

  • 陵墓印(嵯峨陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「檀林皇后嵯峨陵」。

後山階陵(藤原順子)

御陵名:後山階陵(のちのやましなのみささぎ)
被葬者:仁明天皇女御 尊称太皇太后 順子(藤原順子・五条后)
所在地:京都市山科区御陵沢ノ川町
※藤原順子は仁明天皇の女御で、文徳天皇の生母。文徳天皇の即位により皇太夫人、後に皇太后、太皇太后。

  • 陵墓印(後山階陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「後山階陵」。

宇治陵(藤原温子・藤原穏子など)

御陵名:宇治陵(うじのみささぎ)
被葬者:宇多天皇中宮 温子(藤原温子)
御陵名:宇治陵(うじのみささぎ)
被葬者:醍醐天皇皇后 穏子(藤原穏子)
御陵名:宇治陵(うじのみささぎ)
被葬者:村上天皇皇后 安子(藤原安子)
御陵名:宇治陵(うじのみささぎ)
被葬者:円融天皇皇后 遵子(藤原遵子)
御陵名:宇治陵(うじのみささぎ)
被葬者:円融天皇皇后 媓子(藤原媓子)
御陵名:宇治陵(うじのみささぎ)
被葬者:花山天皇御母贈皇太后 懐子(藤原懐子)
御陵名:宇治陵(うじのみささぎ)
被葬者:一条天皇御母尊称皇太后 詮子(藤原詮子)
御陵名:宇治陵(うじのみささぎ)
被葬者:一条天皇皇后 彰子(上東門院・藤原彰子)
御陵名:宇治陵(うじのみささぎ)
被葬者:三条天皇御母贈皇太后 超子(藤原超子)
御陵名:宇治陵(うじのみささぎ)
被葬者:三条天皇皇后 娍子(藤原娍子)
御陵名:宇治陵(うじのみささぎ)
被葬者:三条天皇皇后 妍子(藤原妍子)
御陵名:宇治陵(うじのみささぎ)
被葬者:後一条天皇皇后 威子(藤原威子)
御陵名:宇治陵(うじのみささぎ)
被葬者:後冷泉天皇御母贈皇太后 嬉子(藤原嬉子)
御陵名:宇治陵(うじのみささぎ)
被葬者:後冷泉天皇皇后 寛子(藤原寛子)
御陵名:宇治陵(うじのみささぎ)
被葬者:後冷泉天皇皇后 歓子(藤原歓子)
御陵名:宇治陵(うじのみささぎ)
被葬者:白河天皇御母贈皇太后 茂子(藤原茂子)
御陵名:宇治陵(うじのみささぎ)
被葬者:鳥羽天皇御母贈皇太后 苡子(藤原苡子)
所在地:京都府宇治市木幡
※宇治市木幡地区にある古墳群の総称で、藤原冬嗣・基経・時平・道長・頼通など藤原氏の人々と、藤原氏から入内した中宮、ゆかりの皇族の埋葬地とされる。上記17陵と宇多天皇皇子 敦実親王墓・冷泉天皇皇子 敦道親王墓・准后 藤原生子墓の3墓が宮内庁によって治定されたが、誰がどこに埋葬されているかは特定されていない。陵墓には1号から37号までの番号が付され、1号陵が総遙拝所に当てられている。

  • 陵墓印(宇治陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「宇多帝皇后外十六后宇治陵」。

小野陵(藤原胤子)

御陵名:小野陵(おののみささぎ)
被葬者:宇多天皇女御贈皇太后 胤子(藤原胤子)
所在地:京都市山科区勧修寺北大日町
※藤原胤子は宇多天皇の女御で、醍醐天皇の生母。父は内大臣藤原高藤。醍醐天皇の即位により皇太后を追贈された。

  • 陵墓印(小野陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「宇多帝皇后胤子小野陵」。

岩倉陵(昌子内親王)

御陵名:岩倉陵(いわくらのみささぎ)
被葬者:冷泉天皇皇后 昌子内親王
所在地:京都市左京区岩倉上蔵町
※昌子内親王は朱雀天皇の第一皇女で、冷泉天皇の皇后。

  • 陵墓印(岩倉陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「岩倉陵」。

圓乗寺東陵(禎子内親王)

御陵名:円乗寺東陵(えんじょうじのひがしのみささぎ)
被葬者:後朱雀天皇皇后 禎子内親王(陽明門院)
所在地:京都市右京区龍安寺朱山 龍安寺内
※禎子内親王は三条天皇の第三皇女で、後朱雀天皇の皇后。

  • 陵墓印(円乗寺東陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「後朱雀天皇皇后圓乗寺東陵」。

※元は隣接する後朱雀天皇円乗寺陵・後冷泉天皇円教寺陵・後三条天皇円宗寺陵と合わせた印だった時期があるようで、おかむら氏の「昔の集印帖」に掲載されている。
https://www.shuincho.tk/ryoin/kyotofu/enjojinohigashinomisasagi/

菩提樹院陵(章子内親王)

御陵名:菩提樹院陵(ぼだいじゅいんのみささぎ)
被葬者:後一条天皇・後冷泉天皇皇后 章子内親王(二条院)
所在地:京都市左京区吉田神楽岡町
※章子内親王は後一条天皇の第一皇女で、後冷泉天皇の中宮。後一条天皇と合葬されている。現在は同一の御陵印だが、かつては別の印であった。

  • 陵墓印(菩提樹院陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「中宮章子内親王 菩提樹院陵」。

上醍醐陵(藤原賢子・媞子内親王・令子内親王)

御陵名:上醍醐陵(かみだいごのみささぎ)
被葬者:白河天皇皇后 賢子(藤原賢子)・白河天皇皇女尊称皇后 媞子内親王(郁芳門院)・白河天皇皇女尊称皇后 令子内親王・鳥羽天皇皇女 禧子内親王(墓)
所在地:京都市伏見区醍醐醍醐山 醍醐寺内
※上記4人が合葬されている。藤原賢子は白河天皇の皇后で、実父は右大臣・源顕房で太政大臣・藤原師実の養女となる。媞子内親王・令子内親王は白河天皇と賢子の子で堀河親王の同母姉。媞子内親王は堀河天皇の准母として立后、令子内親王は鳥羽天皇の准母として立后された。禧子内親王は鳥羽天皇の第一皇女。

  • 陵墓印(上醍醐陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「上醍醐陵」。

花園西陵(待賢門院璋子)・花園東陵(統子内親王)

御陵名:花園西陵(はなぞののにしのみささぎ)
被葬者:鳥羽天皇皇后 璋子(待賢門院・藤原璋子)
御陵名:花園東陵(はなぞののひがしのみささぎ)
被葬者:鳥羽天皇皇女 尊称皇后 統子内親王(上西門院)
所在地:京都市右京区花園扇野町
※隣接する花園西陵と花園東陵で一つの印があったようである。待賢門院・藤原璋子は鳥羽天皇の皇后で、父は正二位権大納言・藤原公実。統子内親王は鳥羽天皇の皇女で、母は待賢門院璋子。後白河天皇の准母として皇后宮となる。

  • 陵墓印(花園西陵・花園東陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「花園西陵 花園東陵」。

高野山陵(美福門院得子)

御陵名:高野山陵(こうやさんのみささぎ)
被葬者:鳥羽天皇皇后 得子(美福門院・藤原得子)
所在地:和歌山県伊都郡高野町大字高野山字蓮華谷 不動院内
※美福門院・藤原得子は鳥羽天皇の皇后で、近衛天皇の生母。父は権中納言・藤原長実。鳥羽天皇譲位の後の寵妃であったが、実子の体仁皇子(近衛天皇)が崇徳天皇の皇太子となったことから女御となり、近衛天皇が即位すると、国母として上皇の妃でありながら皇后に立てられた。

  • 陵墓印(高野山陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「高野山陵」。

大原西陵(建礼門院徳子)

御陵名:大原西陵(おおはらのにしのみささぎ)
被葬者:高倉天皇皇后 徳子(平徳子)
所在地:京都市左京区大原大原草生町
※建礼門院・平徳子は高倉天皇の皇后で安徳天皇の生母、父は平清盛。

  • 陵墓印(大原西陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「建礼門院 大原西陵」。

粟田山陵(西園寺姞子)

御陵名:粟田山陵(あわたやまのみささぎ)
被葬者:後嵯峨天皇皇后 姞子(大宮院・西園寺姞子)
所在地:京都市左京区南禅寺福地町 南禅寺内
※大宮院・西園寺姞子は後嵯峨天皇の中宮、皇太后。父は太政大臣・西園寺実氏。

  • 陵墓印(粟田山陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「粟田山陵」。

今林陵(姈子内親王)

御陵名:今林陵(いまばやしのみささぎ)
被葬者:後宇多天皇皇后 姈子内親王(遊義門院)
所在地:京都市右京区嵯峨大覚寺門前六道町
※姈子内親王は後深草天皇の皇女で、後宇多天皇の妃。後二条天皇の准母として皇后宮に立てられる。

  • 陵墓印(今林陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「遊義門院 今林陵」。

笠間山陵(源顕子)

御陵名:笠間山陵(かさまやまのみささぎ)
被葬者:後村上天皇中宮 顕子(北畠顕子)
所在地:奈良県宇陀市榛原笠間
※源(北畠)顕子は北畠親房の娘で、後村上天皇の中宮に立てられたと伝えられるが、不明な点が多い。

  • 陵墓印(笠間山陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「笠間山陵」。

般舟院陵(蒼玉門院朝子)

御陵名:般舟院陵(はんじゅういんのみささぎ)
被葬者:後土御門天皇後宮贈皇太后 朝子(蒼玉門院・庭田朝子)
所在地:京都市上京区般舟院前町
※同一兆域内に1陵3分骨所10墓がある。蒼玉門院・源朝子(庭田朝子)は後土御門天皇の典侍で、後柏原天皇の生母。父は権大納言(贈内大臣)・庭田長賢。後柏原天皇の即位により皇太后を追贈される。なお、同一兆域にある墓は、後花園天皇後宮嘉楽門院藤原信子墓、後土御門天皇皇子 尊伝親王墓、後柏原天皇後宮 豊楽門院藤原藤子墓、後水尾天皇皇子 高仁親王墓、後水尾天皇皇女 菊宮墓、後光明天皇皇女 孝子内親王墓、後西天皇皇女 女二宮墓、桜町天皇皇女 盛子内親王墓、光格天皇皇子 礼仁親王墓、光格天皇皇女 寿賀宮墓 である。

  • 陵墓印(般舟院陵)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「般舟院陵」。

皇族の御墓の陵墓印

天皇および三后以外の皇族の墳墓は「墓」と称するが、日本武尊白鳥陵のような例外もある。宮内庁治定の皇族の墓は553ヶ所もあるようだが、他の陵や墓と同一兆域にあるものが多い。またすべての墓に印があったとも考えられず、実際の数はかなり限定されると思われる。

例えば勧修寺宮墓地には済深入道親王と尊孝入道親王の墓があるが、陵墓印には「済深法親王勧修寺宮墓」とあり、済深法親王に限定されている。済深入道親王が天皇の皇子、尊孝入道親王が伏見宮の王子であることによると思われ、陵墓印が作成される皇族に一定の範囲があったことを窺わせる。

とはいえ、ここに掲載したもの以外にも陵墓印があったことは間違いなく、その全貌についてはよくわからない。

竈山墓(彦五瀬命)

陵墓名:竈山墓(かまやまのはか)
被葬者:神武天皇皇兄 彦五瀬命
所在地:和歌山県和歌山市和田
※彦五瀬命は神武天皇の兄。

  • 陵墓印(竈山墓)

    (1)

(1)昭和16年の陵墓印。印文は「彦五瀬命竈山墓」。

大市墓(倭迹迹日百襲姫命)

陵墓名:大市墓(おおいちのはか)
被葬者:孝霊天皇皇女 倭迹迹日百襲姫命
所在地:奈良県桜井市大字箸中
※倭迹迹日百襲姫命は孝霊天皇の皇女で大物主神との神婚譚などが有名。大市墓は箸墓古墳として知られ、周濠は国の史跡に指定されている。

  • 陵墓印(大市墓)

    (1)

(1)昭和16年の陵墓印。印文は「倭迹迹日百襲姫命墓」。

身狭桃花鳥坂墓(倭彦命)

陵墓名:身狭桃花鳥坂墓(むさのつきさかのはか)
被葬者:崇神天皇皇子 倭彦命
所在地:奈良県橿原市北越智町・鳥屋町
※倭彦命は崇神天皇の皇子。

  • 陵墓印(身狭桃花鳥坂墓)

    (1)

(1)昭和17年の陵墓印。印文は「倭彦命身狭桃花鳥坂墓」。

宇度墓(五十瓊敷入彦命)

陵墓名:宇度墓(うどのはか)
被葬者:垂仁天皇皇子 五十瓊敷入彦命
所在地:大阪府泉南郡岬町淡輪
※五十瓊敷入彦命は垂仁天皇の皇子。

  • 陵墓印(宇度墓)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「五十瓊敷入彦命宇度墓」。

※この印より古いものではないかと思われる印がおかもと氏の「昔の集印帖」で紹介されている。印文は「宇度墓印」
https://www.shuincho.tk/ryoin/osakafu/udonohaka/

能褒野墓(日本武尊)

陵墓名:能褒野墓(のぼののはか)
被葬者:景行天皇皇子 日本武尊
所在地:三重県亀山市田村町
※日本武尊は景行天皇の皇子で、仲哀天皇の御父。伊勢国の能褒野で亡くなったのでその地に葬られたが、白鳥と化して西に向かって飛び、大和の琴弾原と河内の古市に留まった後、天に昇った。そこでその3ヶ所に陵墓を築いたと伝えられる。

  • 陵墓印(能褒野墓)

    (1)

(1)昭和16年頃。印文は「能褒野墓」。

白鳥陵(日本武尊)

陵墓名:白鳥陵(しらとりのみささぎ)
被葬者:景行天皇皇子 日本武尊
所在地:大阪府羽曳野市軽里3丁目
※白鳥と化した日本武尊は大和の琴弾原から当地に飛来し、その後、天に昇ったと伝えられる。

  • 陵墓印(白鳥陵)

    (1)

(1)時期不詳、昭和戦前。印文は「日本武尊 白鳥陵」。

※大和琴弾原(奈良県御所市)の白鳥陵にも印があったようで、鹿鳴文庫で紹介されている。印文は「琴弾原白鳥陵」。
http://rokumeibunko.com/goryoin/ryoin-p012.html

神櫛王墓(神櫛王)

陵墓名:神櫛王墓(かみくしのみこのはか)
被葬者:景行天皇皇子 神櫛王
所在地:香川県高松市牟礼町牟礼
※神櫛皇子は景行天皇の皇子。

  • 陵墓印(神櫛王墓)

    (1)

(1)昭和18年。印文は「景行天皇皇子神櫛王墓」。

宇治墓(菟道稚郎子尊)

陵墓名:宇治墓(うじのはか)
被葬者:応神天皇皇太子 菟道稚郎子尊
所在地:京都府宇治市菟道丸山
※菟道稚郎子命は応神天皇の皇子。仁徳天皇の異母弟で、応神天皇の寵愛を得て皇太子に立てられるが、仁徳天皇に皇位を譲るため自害したと伝えられる。

  • 陵墓印(宇治墓)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「菟道稚郎子尊宇治墓」。

磯長墓(聖徳太子)

陵墓名:磯長墓(しながのはか)
被葬者:推古天皇皇太子 聖徳太子
所在地:大阪府南河内郡太子町大字太子
※聖徳太子は用明天皇の第二皇子で、諱は厩戸皇子もしくは厩戸王。推古天皇の即位に伴い皇太子に立てられ、天皇を補佐した。

  • 陵墓印(磯長墓)

    (1)

(1)昭和16年頃。印文は「聖徳皇太子磯長墓」。

※おかもと氏の「昔の集印帖」には、この印より以前に使われたと思われる印が掲載されている。印は二つ押されており、印文は「厩戸皇子墓」「聖徳太子磯長墓」。
https://www.shuincho.tk/ryoin/osakafu/shinaganomisasagi/

埴生崗上墓(来目皇子)

陵墓名:埴生崗上墓(はにゅうのおかのえのはか)
被葬者:用明天皇皇子 来目皇子
所在地:大阪府羽曳野市はびきの3丁目
※来目皇子は用明天皇の皇子で、聖徳太子の同母弟。

  • 陵墓印(埴生崗上墓)

    (1)

  • 陵墓印(埴生岡上墓)

    (2)

(1)昭和16年。印文は「来目皇子埴生崗上墓」。

(2)昭和17年。枠は八稜鏡の形で、印文は「来目皇子埴生崗上墓」。

蜂子皇子墓(蜂子皇子)

陵墓名:蜂子皇子墓(はちこのみこのはか)
被葬者:崇峻天皇皇子 蜂子皇子
所在地:山形県鶴岡市羽黒町手向字羽黒山
※蜂子皇子は崇峻天皇の皇子。羽黒山修験の祖とされ、能除太子と呼ばれる。

  • 陵墓印(蜂子皇子墓)

    (1)

(1)昭和7年。印文は「羽黒山 蜂子皇子 墓之印」。

檜隈墓(吉備姫王)

陵墓名:桧隈墓(ひのくまのはか)
被葬者:敏達天皇皇孫茅渟王妃 吉備姫王
所在地:奈良県高市郡明日香村大字平田
※吉備姫王は欽明天皇の子・桜井皇子の娘で、茅渟王(敏達天皇の第一皇子である押坂彦人大兄皇子の子)の妃となった。皇極天皇・孝徳天皇の生母で、吉備島皇祖母命と尊称される。

  • 陵墓印(桧隈墓)

    (1)

(1)昭和17年。印文は「吉備姫王檜隈墓」。

長屋王墓(長屋王)

陵墓名:長屋王墓(ながやのみこのはか)
被葬者:天武天皇皇孫 長屋王
所在地:奈良県生駒郡平群町大字梨本
※長屋王は天武天皇の第一皇子である高市皇子の長男。母は天智天皇の皇女・御名部皇女(元明天皇の同母姉)。妃の吉備内親王は草壁皇子と元明天皇の娘、藤原長娥子は藤原不比等の娘。正二位・左大臣となり皇親勢力の重鎮として活躍するが、藤原四兄弟の陰謀とされる長屋王の変により自害した。

  • 陵墓印(長屋王墓)

    (1)

(1)昭和18年。印文は「長屋王墓」。

吉備内親王墓(吉備内親王)

陵墓名:吉備内親王墓(きびないしんのうのはか)
被葬者:天武天皇皇孫長屋王妃 吉備内親王
所在地:奈良県生駒郡平群町大字梨本
※吉備内親王は草壁皇子と元明天皇の次女で、長屋王の妃。元正天皇の妹、文武天皇の姉または妹に当たる。長屋王の変により自害した。

  • 陵墓印(吉備内親王墓)

    (1)

(1)昭和18年。印文は「吉備内親王墓」。

巨幡墓(伊予親王)

陵墓名:巨幡墓(こはたのはか)
被葬者:桓武天皇皇子 伊予親王
所在地:京都市伏見区桃山町遠山
※伊予親王は桓武天皇の第三皇子、母は藤原吉子。謀反の嫌疑を受けて川原寺に幽閉され、母とともに自害するが、後に無罪とされて復号・復位、さらに一品を追贈される。御霊信仰系の神社で御祭神とされる。

  • 陵墓印(巨幡墓)

    (1)

(1)昭和17年。印文は「伊豫親王巨幡墓」。

阿保親王墓(阿保親王)

陵墓名:阿保親王墓(あぼしんのうのはか)
被葬者:平城天皇皇子 阿保親王
所在地:兵庫県芦屋市翠ケ丘町
※阿保親王は平城天皇の第一皇子で、母は葛井藤子。子女は臣籍降下して在原朝臣を賜った。歌人として名高い在原行平は三男、在原業平は五男である。

  • 陵墓印(阿保親王墓)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「平城天皇皇子阿保親王御墓」。

冬野墓(良助法親王)

陵墓名:冬野墓(ふゆののはか)
被葬者:亀山天皇皇子 良助親王
所在地:奈良県高市郡明日香村大字冬野
※良助法親王は亀山天皇の第7皇子で、天台座主・青蓮院門跡などを歴任した。

  • 陵墓印(良助法親王)

    (1)

(1)昭和17年。印文は「良助法親王墓」。

仁和寺宮墓(覚深入道親王など)

陵墓名:仁和寺宮墓地(にんなじのみやぼち)
被葬者:後陽成天皇皇子 覚深親王(21世)、後水尾天皇皇子 性承親王(22世)、霊元天皇皇子 寛隆親王(23世)、霊元天皇皇孫 守恕親王(24世)、中御門天皇皇子 慈仁親王(25世)、中御門天皇皇子 遵仁親王(26世)、霊元天皇皇孫 覚仁親王(27世)、東山天皇皇曾孫 深仁親王(28世)、霊元天皇皇曾孫 済仁親王(29世)、東山天皇皇曾孫 鏗宮、東山天皇皇玄孫 喜久宮
所在地:京都市右京区花園扇野町 
※同一兆域に11墓1塔がある。覚深入道親王から済仁入道親王まで9名は仁和寺門跡。

  • 陵墓印(仁和寺宮墓)

    (1)

(1)昭和18年。印文は「仁和寺宮御墓」。

圓照寺宮墓(文智女王など)

陵墓名:円照寺宮墓地(えんしょうじのみやぼち)
被葬者:後水尾天皇皇女 文智女王(初代)、後水尾天皇皇女 文察女王、霊元天皇皇女 文喜女王(2代)、霊元天皇皇女 永応女王(3代)、霊元天皇皇孫女 文亨女王(4代)、霊元天皇皇曾孫女 文乗女王(5代)、後伏見天皇十九世皇孫女 文秀女王(6代)
所在地:奈良県奈良市山町
※同一兆域に7墓2塔がある。大和三門跡の一で山村御所と称された円照寺の歴代門跡を葬る。

  • 陵墓印(円照寺宮墓)

    (1)

(1)昭和18年。印文は「圓照寺宮墓」。

勧修寺宮墓(済深入道親王)

陵墓名:勧修寺宮墓地(かじゅうじのみやぼち)
被葬者:霊元天皇皇子 済深親王(29世)、後伏見天皇十五世皇孫 尊孝親王(30世)
所在地:京都市山科区勧修寺南谷町
※:同一兆域内に2墓1塔がある。済深入道親王は霊元天皇の第一皇子で、勧修寺長吏・東大寺別当を兼ね、東大寺大仏の開眼導師を勤めた。尊孝入道親王は伏見宮邦永親王の第四王子で、霊元天皇の養子となり、済深入道親王の後を継いで勧修寺長吏・東大寺別当となる。

  • 陵墓印(勧修寺宮墓)

    (1)

(1)昭和16年。印文は「済深法親王 勧修寺宮墓」。

※勧修寺宮墓地には済深入道親王と尊孝入道親王の墓があるが、陵墓印は済深法親王の墓に限定されている。済深入道親王が天皇の皇子、尊孝入道親王が伏見宮の王子であることによると思われる。

御陵印とは、歴代天皇陵の参拝記念の印である。一般にはそれほど知られていないが、戦前から収集する人は多く、専用の集印帳があるほか、掛け...

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