日本橋七福神は、日本橋地区の八つの神社を巡る七福神霊場である。昭和25年(1950)頃に有馬頼寧の発案で始まり、昭和51年(1976)再興された。近年は日本橋三越の正月行事としても定着している。
■水天宮:弁財天
■茶ノ木神社:布袋尊
■小網神社:福禄寿
■椙森神社:恵比寿神
■笠間稲荷神社東京別社:寿老神
■末廣神社:毘沙門天
■松島神社:大國神
以上の神社のみ7社で構成されているが、寶田恵比寿神社(恵比寿神)を含めた8社を巡拝するのが一般的。日本橋三越主催の七福神詣でも寶田恵比寿神社を含めている。
日本橋七福神について
日本橋七福神を始めた有馬頼寧は旧久留米藩主・有馬家の15代当主で元伯爵。戦前は女子教育や農民救済、部落解放運動などの社会活動に携わり、その後政治家に転じて衆議院議員・貴族院議員となり、近衛内閣で農林大臣を務めた。プロ野球や競馬などスポーツの振興などにも尽力し、昭和44年(1969)には野球殿堂入りしている。競馬の有馬記念は頼寧に因む。
頼寧は、戦後の荒れ果てた人形町界隈を見て、人々の心を明るくするために七福神巡りを思いついたという。昭和32年(1957)頼寧が亡くなったために中断したが、昭和51年(1976)復活した。
当初の構成神社は、現在とは少し違っていた。また、現在ではどの神社から始めてもよいとされるが、当時は有馬家ゆかりの水天宮を1番として巡拝したようだ。その順序は以下の通り。
1番 水天宮(弁財天)
2番 小網神社(福禄寿・弁財天)
3番 常盤稲荷神社(布袋尊)
4番 椙森神社(恵比寿神)
5番 笠間稲荷神社東京別社(寿老神)
6番 末廣神社(毘沙門天)
7番 松島神社(大國神)
昭和60年(1985、昭和58年頃とも)、布袋尊が常盤稲荷神社から茶ノ木神社に移った。また、いつの頃からか寶田恵比寿神社も巡拝コースに含めるようになっているが、準札所のような扱いと思われる。なお、小網神社には福禄寿と弁財天を祀っているが、日本橋七福神とされるのは福禄寿のみのようである。
各神社の距離が近く、手軽に巡拝することができる。通常であれば1時間から1時間半程度で参拝できるが、七福神の期間中は待ち時間が長く、2時間以上かかることもあるようだ。
街中の小さなお社が多いが、いずれも日本橋の歴史に密着した由緒を持っている。近年改築された水天宮をはじめ、見事な彫刻が施された木造社殿の小網神社、鉄筋コンクリートの社殿としては最初期に属する椙森神社、境内がビルに生まれ変わった松島神社など各神社の社殿もバラエティに富んでいる。
初めて巡拝したのは平成18年の正月。普段、宮司さんがいらっしゃらない椙森神社の御朱印をいただくのが主目的だった。元旦の午前中ということもあって参拝客も少なく(日本橋は地元住民が少なくなっているためだろう)、ほとんど待ち時間もなくスムーズに巡拝することができた。唯一初詣客の多かった水天宮も弁財天の前は空いていて、元旦の都心の人の少なさに感心したものである。
2度目の参拝は平成28年の1月4日。平日だったが、日本橋三越の七福神詣や近辺のオフィスの仕事始めと重なったこともあって大変な人出で、前回の約2倍の時間がかかった。ネット上の情報を見ると「三が日は巡拝者が多い」とのことなので、やはり参拝者は増えているのだろうと思われる。また、私が見た範囲ではほとんどの方が御朱印帳を持っており、色紙の方は数人程度。御朱印帳を持って回っている人を見かけなかった10年前とは様変わりしていた。
巡拝情報
七福神詣の期間は1月1日から7日までだが、御朱印は通年対応していただける。ただし、茶ノ木神社は七福神詣で期間のみ町会による対応で、普段は水天宮での対応になる。
また、寶田恵比寿神社の御朱印はべったら市保存会による対応で、七福神詣での期間とべったら市の時のみ授与される。
日本橋三越主催の日本橋七福神詣は1月4日に行われ、8社巡拝すると記念品をもらうことができる。
巡拝コースは特に決められていない。ほぼ円を描くように神社があるので、どこから始めても支障はない。自宅からの交通の便がよい神社から始めるとよいだろう。
因みに私が参拝した時は、平成18年は小網神社から反時計回りに、平成28年は寶田恵比寿神社から時計回りに参拝した。
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水天宮(弁財天)
■水天宮
御祭神:天御中主大神、安徳天皇、建礼門院、二位ノ尼
札所本尊:宝生弁財天
創建年代:文政元年(1818)
社格等:旧無格社
鎮座地:東京都中央区日本橋蠣殻町2-4-1 [Mapion|googlemap]
公式サイト:http://www.suitengu.or.jp/
御由緒
日本橋の水天宮は、文政元年(1818)久留米藩9代藩主・有馬頼徳が三田赤羽の有馬家上屋敷内に久留米・水天宮から御分霊を勧請したことを創祀とする。毎月5日の縁日には藩邸を開放し、庶民の参拝を許した。安産や火防・水難除けの霊験で人気が高く、お札を求める人で早朝から群衆が長い行列を作ったという。
明治4年(1871)有馬邸とともに青山に移転、さらに明治5年(1872)日本橋蛎殻町の有馬家中屋敷(現社地)に遷座した。現在の社殿は平成28年(2016)春に落成したものである。
日本橋七福神の宝生弁財天は、品川の有馬家下屋敷に祀られていた。水天宮を江戸に勧請した有馬頼徳が、能楽のライバルである加賀の前田公と芸を競った時、この弁財天に願をかけて稽古に励み、見事勝利したと伝えられる。学業・芸能の上達や財福の御神徳で名高い。
なお、以前は「中央弁財天」と呼んでいた。
御朱印
(1)平成18年拝受の御朱印。朱印は弁財天の御姿と「中央辯財天」。
(2)平成24年拝受の御朱印。朱印は弁財天の御姿と「寶生辯財天」。
(3)平成28年拝受の御朱印。朱印は平成24年のものと同じだが、揮毫はなくなっている。
平成18年・28年参拝時の様子
平成18年当時の弁財天。当時は中央弁財天と称していた。
平成28年参拝時は水天宮の新築工事が行われており、浜町に設けられていた仮宮に参拝した。
アクセス
□茶ノ木神社(布袋尊)より徒歩3分
□松島神社(大国神)より徒歩3分
□東京メトロ半蔵門線「水天宮前駅」より徒歩2分
茶ノ木神社(布袋尊)
■茶ノ木神社
御祭神:倉稲魂大神
札所本尊:布袋尊
創建年代:不詳
社格等:-
鎮座地:東京都中央区日本橋人形町1-12-10
公式サイト:http://www.geocities.jp/cha_no_ki/ [Mapion|googlemap]
御由緒
茶ノ木神社は、江戸時代には下総国佐倉藩主・堀田家中屋敷の邸内社として祀られていた。社の周囲に茶ノ木を植え込んでいたことから、「お茶の木様」と称された。長年、堀田家の屋敷や近辺に火事がなかったことから火防の神として人々の信仰を集め、初午祭には庶民の参拝を許していた。
昭和35年(1960)地下鉄日比谷線の建設に際し、その計画路線にあったため、社殿を解体新築した。さらに平成20年(2008)地域の再開発により新しい高層マンションの敷地内に新社殿が建てられた。
昭和60年(1985)布袋尊を合祀し、日本橋七福神に参加した。
御朱印
(1)平成18年拝受の御朱印。朱印は布袋尊の御姿と「布袋尊」。
(2)平成28年拝受の御朱印。朱印は平成18年のものと同じ。
御朱印は町会の方による対応で、正月の七福神巡拝期間のみ。神社の御朱印もいただける。巡拝期間以外は、七福神の御朱印のみ水天宮で対応していただける。
平成18年参拝時の様子
マンションの工事中で、社前が狭い路地のようになっていた。
アクセス
□水天宮(弁財天)より徒歩3分
□小網神社(福禄寿)より徒歩5分
□東京メトロ半蔵門線「水天宮前」より徒歩1分
小網神社(福禄寿)
■小網神社
御祭神:倉稲魂神、市杵島比売神(弁財天)
札所本尊:福禄寿
創建年代:文正元年(1466)
社格等:旧村社
鎮座地:東京都中央区日本橋小網町16-23
公式サイト:http://www.koamijinja.or.jp/
御由緒
小網神社は、恵心僧都の開基と伝えられる万福寺を起源とする。古くは万福庵と称し、観世音菩薩と弁財天を祀っていた。文正元年(1466)当時の庵主が夢告を受けて稲荷大明神を祀ったところ、当地で流行っていた悪疫が退散した。太田道潅が御神徳の著しいことを聞いて当社を参拝し、土地を寄進して小網山稲荷院万福寺と名付けたという。
江戸時代の初め、万福寺とともに浅草新寺町に移転したが、明治の神仏分離に際して独立、小網稲荷神社と改めて当地に戻った。また万福寺が廃絶したため、弁財天も当社に遷された。
現在の社殿は関東大震災で被災した後、昭和4年(1929)に再建されたもので、奇跡的に東京大空襲の戦災を免れた。さらに当社での出征奉告祭に参列し、御守りを拝受した氏子出征兵士が全員無事に生還したことなどから、強運厄除けの御神徳で信仰を集めている。また、11月のどぶろく祭は奇祭として知られる。
福禄寿と弁財天(万徳舟乗弁財天)を祀り、御朱印も両方いただけるが、日本橋七福神とされるのは福禄寿である。
御朱印
(1)平成18年拝受の御朱印。上の朱印は福禄寿の御姿に「福禄寿」、下は「小網神社」。
(2)平成28年拝受の御朱印。上の朱印は福禄寿の御姿に「福禄寿」、下は白抜きで「小網神社」。
平成18年参拝時の様子
境内を整備する前で、のどかな元旦の光景だ。
アクセス
□茶ノ木神社(布袋尊)より徒歩5分
□寶田恵比寿神社(恵比寿神)より徒歩8分
□椙森神社(恵比寿神)より徒歩6分
□人形町駅(日比谷線)より徒歩5分
□人形町駅(都営浅草線)より徒歩7分
□水天宮前(半蔵門線)より徒歩10分
寶田恵比寿神社(恵比寿神)
■宝田神社
御祭神:宇迦之御魂神、素盞嗚命、大国主命、少彦名命、事代主命(恵比寿神)
通称:宝田恵比寿神社・宝田稲荷神社
創建年代:慶長11年(1606)以前
社格等:旧無格社
鎮座地:東京都中央区日本橋本町3-10-11 [Mapion|googlemap]
御由緒
10月のべったら市で名高い宝田恵比寿神社は、正式には宝田神社と称する。
かつて大伝馬町(宝田恵比寿神社周辺を含む現在の日本橋本町三丁目と日本橋大伝馬町一丁目あたり)には木綿問屋が多く、古くから毎年10月20日に恵比寿講が行われた。その前日の19日の晩に恵比寿講市が行われたが、恵比寿講に供える魚や野菜、神棚の他、べったら漬けが売られたことから「べったら市」と呼ばれるようになった。
宝田神社は宝田稲荷神社とも称し、徳川家康の江戸入府以前、現在の東京駅付近にあった宝田村の鎮守であった。慶長11年(1606)宝田村は江戸城の拡張に伴って日本橋に移転、大伝馬町となった。当社は大伝馬町の名主となった馬込勘解由の邸内に遷座し、宝田稲荷と称された。文政年間(1818~30)現社地に遷座したという。
恵比寿像は馬込勘解由が徳川家康より拝領したもので、運慶の作とも左甚五郎の作とも伝えられる。
御朱印
御朱印は寶田恵比寿神社べったら市保存会による対応で、七福神詣でとべったら市の時のみ授与される。
(1)平成18年拝受の御朱印。中央の朱印は「福神璽」、下は「寶田恵比寿神社」。
(2)平成28年拝受の御朱印。恵比寿神の御姿の印が加えられている。
平成18年参拝時の様子
平成18年の参拝時の最後に参拝。ちょうどお昼頃だったが、まだ人はまばらだった。
アクセス
□小網神社(福禄寿)より徒歩8分
□椙森神社(恵比寿神)より徒歩4分
□JR総武線「新日本橋駅」より徒歩3分
□東京メトロ日比谷線「小伝馬町駅」より徒歩3分
□東京メトロ銀座線「三越前駅」より徒歩5分
□東京メトロ半蔵門線「三越前駅」より徒歩8分
椙森神社(恵比寿神)
■椙森神社
御祭神:伍社稲荷大神、恵比寿大神
創建年代:平安時代
社格等:旧村社
鎮座地:東京都中央区日本橋堀留町1-10-2 [Mapion|googlemap]
公式サイト:http://www.geocities.co.jp/suginomori2/
御由緒
椙森神社は新橋の烏森神社、神田の柳森神社とともに江戸三森と呼ばれ、古くから信仰を集めている。
創建は約1千年前で、天慶3年(940)藤原秀郷が平將門追討に際して戦勝祈願を行ったと伝えられる。文正元年(1466)太田道潅が雨乞いの祈願を行い、霊験あらたかであったことから山城国の伏見稲荷から伍社稲荷大神を勧請したという。
江戸時代には富興行が盛んで、境内には富塚が残っている。現在の社殿は関東大震災で被災した後、昭和6年(1931)耐震構造の鉄筋造りで再建されたもの。
恵比寿神の像は、寛文年間(1661~73)神道家の吉川惟足が当社の御祭神・大己貴大神の託宣を受けて奉納したものである。
御朱印
(1)平成18年拝受の御朱印。上の印は恵比寿神の御姿に「須幾のもりゑびす神」、下は「椙森神社参拝章」。
(2)平成28年拝受の御朱印。朱印は平成18年のものと同じ。
平成18年参拝時の様子
こちらも初詣客や七福神巡拝の方がぼつぼつとくる程度で、のどかな都心の元旦風景だった。
アクセス
□小網神社(福禄寿)より徒歩6分
□寶田恵比寿神社(恵比寿神)より徒歩4分
□笠間稲荷東京別社(福禄寿)より徒歩8分
□東京メトロ日比谷線「小伝馬町駅」より徒歩5分
□東京メトロ銀座線「三越前駅」より徒歩8分
□都営新宿線「馬喰横山駅」より徒歩10分
笠間稲荷神社東京別社(寿老神)
■笠間稲荷神社東京別社
御祭神:宇迦之御魂神
創建年代:安政6年(1859)
社格等:旧無格社
鎮座地:東京都中央区日本橋浜町2-11-6 [Mapion|googlemap]
公式サイト:http://www.kasama.or.jp/top/index2.html
御由緒
茨城県笠間市に鎮座する笠間稲荷神社は、白雉2年(651)の鎮座と伝えられ、日本三大稲荷の一つにも数えられる。「胡桃下稲荷」「紋三郎稲荷」とも称し、その信仰は関東一円はもとより全国に広がる。また、歴代笠間藩主も深く崇敬し、社殿・祭具の寄進がたびたびであったという。
笠間稲荷東京別社は、安政6年(1859)笠間藩主・牧野正直が笠間稲荷から御分霊を勧請し、江戸下屋敷にあった稲荷社に合祀したことに始まる。毎年初午の日には屋敷の門戸を開放し、庶民の参詣を許したという。明治になって笠間邸が本所に移転した後、笠間の本社が祭祀を引き継いだ。
七福神の寿老神は本殿に向かって左側の寿老神社に祀られている。
御朱印
(1)平成18年拝受の御朱印。上の朱印は寿老神の御姿に「寿老神」、下は「笠間稲荷神社」。
(2)平成28年拝受の御朱印。朱印は寿老神のお姿に「寿老神」。
平成18年参拝時の様子
初詣客や七福神巡りの参詣者が次々訪れていた。
アクセス
□椙森神社(恵比寿神)より徒歩8分
□末廣神社(毘沙門天)より徒歩3分
□都営新宿線「浜町駅」より徒歩3分
□東京メトロ日比谷線・都営浅草線「人形町駅」より徒歩5分
末廣神社(毘沙門天)
■末廣神社
御祭神:宇賀之美多麻命、武甕槌命(毘沙門天)
創建年代:慶長元年(1596)以前
社格等:旧無格社
鎮座地:東京都中央区日本橋人形町2-25-20 [Mapion|googlemap]
御由緒
末廣神社は慶長元年(1596)以前から当地に鎮座していた稲荷社である。「末廣」という社号は、延宝3年(1675)社殿を修復した時、本殿から中啓(末広扇)が出てきたことに因むという。
元和3年(1617)幕府の許可を得て当地に遊女町が開かれた。これが葭原(吉原)の起こりで、当社はその鎮守とされた。明暦の大火の後、葭原の遊女町は浅草の新吉原に移され、当地は元葭原と呼ばれるようになった。幕府に仕える役人が住むようになり、当地に残った末廣神社はその鎮守として崇敬された。
毘沙門天は、当社では武神の武甕槌命として祀られているようである。
御朱印
(1)平成18年拝受の御朱印。上の朱印は毘沙門天の御姿に「毘沙門天」。下は「末廣神社」。
(2)平成28年拝受の御朱印。上の朱印は平成18年と同じもの、下は「末廣神社」だが、平成18年のものとは違っているようだ。
平成18年参拝時の様子
初詣客や七福神詣での参拝者がポツポツと訪れていた。待ち時間もなく、スムーズな参拝だった。
アクセス
□笠間稲荷神社東京別社(寿老神)より徒歩3分
□松島神社(大国神)より徒歩3分
□東京メトロ日比谷線・都営浅草線「人形町駅」より徒歩2分
□東京メトロ半蔵門線「水天宮前」より徒歩5分
□都営新宿線「浜町駅」より徒歩6分
松島神社
■松島神社
御祭神:稲荷大神、伊邪那岐神、伊邪那美神、大国主神(大国神)、他10柱
創建年代:元亨年間(1321~23)以前
社格等:旧村社
鎮座地:東京都中央区日本橋人形町2-15-2
御由緒
松島神社の創建年代は不詳だが、元亨年間(1321~23)以前の創建と伝えられる。この辺りは入り江の小島で、下総から移住してきた柴田氏が屋敷の中に祀った。島内に松が生い茂っていたことから松島稲荷大明神と称された。正中元年(1324)柴田氏の三男・権太が夢告を受け、霊験をもって人々を救済したという。
正徳3年(1713)当地に新町が開かれるに際し、当社に因んで町名を松島町とした。ここに住み着いた人々がそれぞれの故郷の神を松島稲荷に合祀したことから、御祭神14柱を数えるようになった。日本橋七福神の大国神もその一柱である。
御朱印
(1)平成18年拝受の御朱印。書き置き。上の朱印は大国神の御姿に「大国主神」。下は「松島神社」だが、「松」は異体字で上が「公」、下が「木」。
(2)平成28年拝受の御朱印。朱印は平成18年のものと同じ。
平成18年参拝時の様子
やはりのどかな都心の元日。当時は鳥居の色が違っていた。
アクセス
□末廣神社(毘沙門天)より徒歩3分
□水天宮(弁財天)より徒歩3分
□東京メトロ半蔵門線「水天宮前駅」より徒歩2分
□東京メトロ日比谷線・都営浅草線「人形町駅」より徒歩3分