亀戸七福神

亀戸香取神社大国神・恵比寿神の水掛け像

亀戸香取神社 大国神・恵比寿神の水掛け像

亀戸七福神は、江戸近郊の行楽地として賑わった亀戸の地に、明治時代に開創された七福神霊場である。

■龍眼寺(萩寺):布袋尊
江東天祖神社:福禄寿
■普門院:毘沙門天
亀戸香取神社:恵比寿神・大国神
■東覚寺:弁財天
■常光寺:寿老人

以上の2社4ヶ寺で構成される。江戸時代から萩寺として知られる龍眼寺や江戸六阿弥陀の常光寺、御府内八十八ヶ所の普門院や東覚寺、「流鏑馬(こども歩射」が行われる江東天祖神社や「勝矢祭」の亀戸香取神社など、いずれも由緒ある寺社である。亀戸はかなり広い範囲に及ぶが、その北部の亀戸天神社周辺にまとまっており、手軽に巡拝することができる。

周辺には亀戸天神社のほか、梅の名所の小村井香取神社や柳島の妙見様として信仰を集めた法性寺など古くから知られた寺社が多く、合わせて参拝するのもよいだろう。龍眼寺からは東京スカイツリーへも徒歩圏で、すぐ近くには「逆さスカイツリー」で人気の十間橋もある。

亀戸七福神について

亀戸七福神は、もともと亀戸香取神社に恵比寿神・大国神が祀られていたことから、隅田川七福神に倣い、近隣の寺社に残りの五福神を祀って開創したという。時は明治後半で、東京では江戸時代に始まった谷中七福神元祖山手七福神隅田川七福神に次ぐ歴史を持つ七福神霊場である。

開創年代について、『江戸東京札所事典』は「明治42年頃に始まるか」とする。構成する寺社は開創当初から変わらないのだが、龍眼寺と江東天祖神社は旧柳島村の内にあり、亀戸村に編入されたのは明治22年(1889)のことである。また、明治に入って寂れていた隅田川七福神が再び盛んになったのは明治30年代以降なので、これより後の開創であることは間違いないだろう。

明治44年(1911)に出版された『東京年中行事』にも、隅田川・谷中・芝(元祖山手七福神のことか?)の七福神とともに亀戸七福神の名が挙げられている。

この中で、谷中が「繁盛するのは不忍の弁天だけで、他の六福神は昨年あたりから参詣者がないので、今年はまるきり準備もせぬという」というのに対し、亀戸は「今年は九日の初卯にも頗る賑わったそうである」と記されているので、明治の終わりには、隅田川七福神に次ぐ賑わいを見せるようになっていたようである。

ただ、明治42年の開創であれば、新しくできたというような記述があってもよいような気がする。

このように明治の終わりから昭和の初めにかけて大変盛んになったが、先の大戦によって中断され、昭和53年(1978)に再興された。

巡拝情報

御開帳は1月1日から7日までだが寺社による違いがあり、東覚寺(弁財天)は3日まで、常光寺は15日まで、龍眼寺は通年となっている。色紙や絵あわせ台紙・御神体(お姿)などの授与も7日まで。対応時間は9時~17時。御朱印は通年対応のようである。

巡拝コースは決まっていないが、東側の常光寺か西側の龍眼寺から始めるのが効率的だろう。比較的コンパクトにまとまっているので所要時間は1時間半から2時間程度だが、御朱印の待ち時間によって大きく変わることがあるため、注意が必要である。

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龍眼寺(布袋尊)

龍眼寺布袋堂

布袋堂

慈雲山 無量院 龍眼寺
通称:萩寺
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:布袋尊
創建年代:応永2年(1395)
開山:良博大和尚
宗派:天台宗
所在地:東京都江東区亀戸3-34-2 [Mapion|googlemap]
公式サイト:http://ryugenji.net/

略縁起

龍眼寺本堂

本堂

龍眼寺は室町時代の応永2年(1395)良博大和尚による開創で、柳島総鎮守・神明宮(江東天祖神社)の旧別当である。

寺伝によれば、比叡山での修行を終えた良博大和尚が郷里に帰る途中、柳島で一夜を過ごした。すると夢に観世音菩薩が現れ、「この堂の下に、汝の守るべき御本尊と村の守護神となる御神体がある」とお告げがあった。翌朝、夢告通りに観世音菩薩像と御神体を見つけた良博が一心に祈願すると、村を襲っていた流行病が治まった。そこで一宇を建立して観世音菩薩を奉安し、柳源寺と称したことに始まるという。御神体は江東天祖神社に祀られている。

その後、寺の湧き水で眼を洗えば目がよくなる眼病平癒の観音様として信仰を集めるようになり、龍眼寺と改称した。さらに元禄の頃(1688~1704)、当時の住職が全国から集めた数百株の萩を植え、秋には文人墨客が集まったことから「萩寺」と通称されるようになった。『江戸名所図会』には萩を愛でる人々の姿が描かれている。

龍眼寺布袋尊

布袋尊

布袋尊は境内の布袋堂に祀られており、年間を通して拝見することができる。

御朱印

龍眼寺布袋尊の御朱印

平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は梵字の「サ」、御本尊・聖観世音菩薩の種字である。右上は「慈雲山」、左下は「龍眼寺」。朱印は御本尊の御朱印と同じで、揮毫だけが違うようだ。

アクセス

□江東天祖神社(福禄寿)より徒歩3分
□普門院(毘沙門天)より徒歩7分

□東京メトロ半蔵門線「押上駅」より徒歩8分
□都営浅草線・京成押上線「押上駅」より徒歩12分
□東部スカイツリーライン「とうきょうスカイツリー駅」より徒歩15分
□JR総武線・東京メトロ半蔵門線「錦糸町駅」より徒歩15分

江東天祖神社(福禄寿)

江東天祖神社福禄寿

福禄寿の祠

天祖神社
通称:江東天祖神社/旧称:砂原神明宮
御祭神:天照皇大御神
札所本尊:福禄寿
創建年代:伝・推古天皇の御代(592~628)
社格等:旧村社
鎮座地:東京都江東区亀戸3-38-35 [Mapion|googlemap]
公式サイト:http://www.tensojinja.com/

御由緒

江東天祖神社

江東天祖神社

江東天祖神社は、柳島の総鎮守。柳島は江戸時代の葛飾郡柳島村と柳島五ヶ町の総称で、現在の江東区亀戸二・三丁目と墨田区太平・横川・業平・錦糸の各一部にあたる。古くは砂原神明宮、柳島総鎮守神明宮と称した。

社伝によれば、推古天皇の御代(592~628)聖徳太子御作という御神像を祀ったことに始まる。応永10年(1403)旧別当・龍眼寺を開いた沙門良博が再興したという。秋の例大祭に氏子児童によって奉納される流鏑馬神事(こども歩射)は、天正年間(1573~1593)疫病が大流行した際、織田信長が使いを参向させ、流鏑馬を神前に奉納したことが恒例となったと伝えられている。

福禄寿は境内の祠に祀られている。御開帳は1月1日から7日まで。

御朱印

江東天祖神社・福禄寿の御朱印

平成19年拝受の御朱印。中央上の朱印は流れ三つ巴の神紋、下は「天祖神社」。朱印は通常の御朱印と同じで、揮毫のみ「福禄寿」とする形のようだ。

アクセス

□龍眼寺(布袋尊)より徒歩3分
□普門院(毘沙門天)より徒歩6分
□亀戸香取神社(恵比寿神・大国神)より徒歩7分

□東京メトロ半蔵門線「押上駅」より徒歩10分
□都営浅草線・京成押上線「押上駅」より徒歩12分
□JR総武線「錦糸町駅」より徒歩17分

普門院(毘沙門天)

普門院毘沙門堂

毘沙門堂

福聚山 善応寺 普門院
御本尊:大日如来
札所本尊:毘沙門天
創建年代:大永2年(1522)
開山:長賢上人
宗派:真言宗智山派
所在地:東京都江東区亀戸3-43-3 [Mapion|googlemap]

略縁起

普門院本堂

本堂

普門院は御府内八十八ヶ所の第40番札所で、福聚山善応寺と号する。古くは橋場村(台東区橋場、荒川区南千住の辺り)にあったと伝えられる。

現在の本尊は大日如来だが、元の本尊は伝教大師の作とされる聖観世音菩薩だったという。この観世音菩薩像は身代観世音菩薩と呼ばれ、『江戸名所図会』や『新編武蔵風土記稿』にもその縁起が記されている。

それによれば、千葉自胤(1446~94)の家臣・佐田善次郎盛光というものが讒言によって冤罪を被り、死刑に処せられようとした。そこで、盛光がかねて信仰していたこの観音に祈願したところ、不思議な奇瑞があって助かった。これに深く感じた自胤は、三股城(現在の足立区千住曙町のあたり)に一宇を建立し、この観音像を奉安して普門院と号したという。

後に三股城が落城した際に普門院も焼失。その後再建されたようだが、元和2年(1616)亀戸の現在地に移された。この時、梵鐘を船で渡す途中、誤って隅田川に落としたのが鐘ヶ淵の名の由来であるとされる(ただし台東区橋場の保元寺、あるいは今戸の長昌寺の鐘という説もある)。

毘沙門天は、境内の毘沙門堂に祀られている。御開帳は1月1日から7日まで。

御朱印

普門院毘沙門天の御朱印

平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は毘沙門天の種字「ベイ」。左下の朱印は「普門院」。

アクセス

□龍眼寺(布袋尊)より徒歩7分
□江東天祖神社(福禄寿)より徒歩6分
□亀戸香取神社(恵比寿神・大国神)より徒歩3分

□JR総武線「亀戸駅」より徒歩10分

亀戸香取神社

亀戸香取神社福神社

福神社

香取神社
通称:亀戸香取神社
御祭神:経津主神・武甕槌神・大己貴神
札所本尊:恵比寿神・大国神
創建年代:伝・天智天皇4年(665)
社格等:旧村社
鎮座地:東京都江東区亀戸3-57-22 [Mapion|googlemap]
公式サイト:http://katorijinja.jp/

御由緒

亀戸香取神社

亀戸香取神社は亀戸村の鎮守で、古くは葛飾神社香取大神宮とも称したという。古くから武道の神として尊崇され、現在ではスポーツ振興の神として信仰を集めている。

社伝によれば、天智天皇4年(665)藤原鎌足が東国に下向した際、亀島とか亀津島と呼ばれていた当地に香取大神を勧請し、太刀一振りを奉納して旅の安全を祈願したのが当社の創祀であるという。

藤原秀郷は平將門追討に向かう際、当社に参籠して戦勝を祈願した。凱旋の後、奉賽として弓矢を奉納し、「勝矢」と名付けたと伝えられる。この故事に因んで毎年5月5日には勝矢祭が執り行われる。

恵比寿神・大国神は末社の福神社に祀られている。明治の頃、もともと御本社の相殿に祀られていた大国主神(大国神)に事代主神(恵比寿神)を併せ、境内に鎮祭したという。

御朱印

亀戸香取神社・亀戸七福神の御朱印

平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は「香取神社」、右上の印は「亀戸福神」。朱印は通常の御朱印と同じで、揮毫のみが「恵比寿神 大国神」になっているようだ。

アクセス

□江東天祖神社(福禄寿)より徒歩7分
□普門院(毘沙門天)より徒歩3分
□東覚寺(弁財天)より徒歩2分

□JR総武線「亀戸駅」より徒歩10分

東覚寺(弁財天)

東覚寺弁天堂

弁天堂

法号山 明王院 東覚寺
御本尊:不動明王
札所本尊:弁財天
創建年代:享禄4年(1531)
開山:玄覚法印
宗派:真言宗智山派
所在地:東京都江東区亀戸4-24-1 [Mapion|googlemap]

略縁起

東覚寺本堂

本堂(平成24年)

東覚寺は法号山明王院と号する。かつては明王山東覚寺と号し、阿弥陀三尊を本尊としていた。明治34年(1901)猿江にあった御府内八十八ヶ所の73番札所・法号山覚王寺を合併、本尊を大日如来に改めて73番札所を引き継いだ。

当寺に奉安する不動明王像は、東大寺の初代別当・良弁僧正が相模国の大山不動(神奈川県伊勢原市の雨降山大山寺)と同じ木で彫ったものと伝えられ、古くから「盗難除け不動」「亀戸不動」として信仰を集めてきたという。今も門前に「大山同木同作 不動明王」の標石が立っている。

現在の本堂は平成23年(2011)に落成したもの。平成19年に参拝した時は、まだ古い本堂であった。

東覚寺旧本堂

旧本堂(平成19年)

弁財天は境内を入ってすぐ右側の弁天堂に祀られている。御開帳は1月1日から3日である。

御朱印

東覚寺弁財天の御朱印

平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は蓮華座に弁財天の種字「ソ」。右上は「亀戸七福神」、左下は「東覚密寺」。

アクセス

□亀戸香取神社(恵比寿神・大国神)より徒歩2分
□常光寺(寿老人)より徒歩4分

□JR総武線「亀戸駅」より徒歩9分

常光寺(寿老人)

常光寺寿老人堂

寿老人堂

西帰山 常光寺
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:寿老人
創建年代:天平9年(737)
開山:行基菩薩/中興開山:勝庵宗最大和尚
宗派:曹洞宗
所在地:東京都江東区亀戸4-48-3 [Mapion|googlemap]
公式サイト:http://joukou.sakura.ne.jp/

略縁起

常光寺本堂

本堂

常光寺は江戸六阿弥陀の第六番で、開山は行基菩薩と伝えられる。御本尊は行基菩薩御作とされる6寸の阿弥陀如来坐像である。天文13年(1544)勝庵宗最大和尚を中興開山、里見義実を開基として再興、曹洞宗に改められた。

創建については六阿弥陀の他の寺院と同じく、足立姫と豊島清光に関わる伝承が残る。

聖武天皇の御代、足立庄司・藤原正成は、熊野権現の霊験により一人の女子を得た(足立姫)。後に姫は豊島左衛門尉清光に嫁いだが、舅姑と折り合いが悪く、里帰りの途中に荒川へ身を投じた。この時、姫に従っていた12人の侍女も世を儚み、ともに身を投じた。

庄司は嘆き悲しみ、法師となって13人の菩提を弔うために諸国の霊場を巡拝した。紀州の熊野権現に至った時、夢告を受けて光り輝く霊木を得た。この霊木に我が名を記して海に流し、巡礼を終えて実家に帰ると霊木が流れ着いていたので、夢告にあった行基菩薩の到来を待った。お告げの通り当地を訪れた行基菩薩を屋敷に請じ、これまでの次第を語ったところ、行基は断食をして6体の阿弥陀如来を彫った。そこで侍女達の出生地に寺を建立し、阿弥陀像を奉安して菩提を弔ったのが常光寺を含む六阿弥陀の6ヶ寺である。

寿老人は本堂脇の御堂に安置されている。御開帳は1月1日から15日までである。

御朱印

常光寺寿老人の御朱印

平成19年拝受の御朱印。中央に朱印はなく、「寿老人」の揮毫のみ。右上の印は「亀戸七福神」、左下は「六阿弥陀 常光禅寺」。

アクセス

□東覚寺(弁財天)より徒歩4分

□JR総武線「亀戸駅」より徒歩10分
□東武亀戸線「亀戸水神駅」より徒歩5分

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